コロナ禍を機にテレワークを導入した中小企業の多くが、現在も「暫定運用のまま」という状態を続けているのではないでしょうか。緊急対応として始まった在宅勤務が制度として定着した一方で、正式な規程が整備されていないケースは珍しくありません。しかし、その状態を放置することは、労働時間管理の不備・労災対応の遅れ・情報漏えいリスクといった深刻な問題につながる可能性があります。
本記事では、中小企業の経営者・人事担当者が押さえておくべき在宅勤務規程の作成ポイントと運用上の注意点を、関連法令と実務の両面から解説します。
在宅勤務規程はなぜ必要か:法的位置づけと整備の緊急性
在宅勤務規程は、法律上「就業規則の一部または付属規程」として位置づけられます。常時10人以上の労働者を使用する事業場では就業規則の作成・届出が義務づけられており(労働基準法第89条)、在宅勤務のルールを就業規則本体または別規程として定めた場合も、労働基準監督署への届出と労働者への周知が必要です。
重要なのは、「規程がない」ことは「ルールがない」ことと同義ではないという点です。規程が未整備であっても、会社には労働契約法第5条に基づく安全配慮義務が課されており、在宅勤務中に労働者が健康被害を受けた場合には使用者責任を問われることがあります。また、労働時間の把握義務(労働安全衛生法第66条の8の3)はテレワーク中も適用されるため、「在宅だから管理できない」は通用しません。
さらに、2021年3月に厚生労働省が改定した「テレワークの適切な導入及び実施の推進のためのガイドライン」では、費用負担の明確化・ハラスメント対策・安全衛生管理について具体的な対応を求めています。このガイドラインは法的拘束力を持つものではありませんが、トラブル発生時の判断基準として参照されることが多く、対応しておくことが望ましいといえます。
規程設計の基本:対象者・申請フロー・上限日数
規程作成において最初に決めるべきは「誰が・どのような条件で在宅勤務を利用できるか」です。対象者の選定基準が曖昧なままでは、従業員間の不公平感やトラブルの原因となります。
対象者の選定基準
一般的に規程に盛り込まれる選定基準の例として、以下が挙げられます。
- 正規雇用の社員であること(パート・アルバイトは別途規定するか適用除外とする)
- 試用期間中および入社後一定期間(例:1年未満)は対象外とする
- 在宅勤務に適した業務を担当していること
- 自宅の作業環境が一定の基準を満たしていること
- 情報セキュリティに関する教育を修了していること
試用期間中や入社直後の従業員を対象外とするケースが多いのは、業務習得やコミュニケーション形成の観点から在宅勤務がなじみにくいためです。ただし、一律に除外する場合はその理由を明確にしておくことが重要です。
申請・許可フローの明文化
「上長の承認を得て在宅勤務を行う」という仕組みを規程に落とし込むことで、恣意的な運用を防ぐことができます。申請の単位(1日単位か半日単位か)、申請期限(前日までか当日朝までか)、許可権者(直属の上長か人事担当者か)を具体的に定めておきましょう。
上限日数・曜日制限
在宅勤務の上限日数(例:週3日まで、月15日まで)を設けることで、チームワークや業務品質の維持を図ることができます。また、会議が集中しやすい曜日については出社を原則とするといった曜日制限を設けている企業もあります。自社の業務実態に合わせて設定してください。
労働時間管理:みなし制の誤解と適切な管理方法
在宅勤務規程の作成において最も誤解が多い領域のひとつが、労働時間管理です。
「事業場外みなし労働時間制」は在宅勤務に使えるか
事業場外みなし労働時間制とは、労働者が事業場の外で業務を行い、労働時間の算定が困難な場合に所定労働時間を働いたとみなす制度です(労働基準法第38条の2)。一見すると在宅勤務に適用できそうに思えますが、実態はほぼ逆です。
在宅勤務では、PCやスマートフォンで随時連絡が取れる状態であることが多く、この場合は「労働時間の算定が困難」という適用要件を満たさないとされています。厚生労働省のガイドラインでも、情報通信機器が使用者の指示により常時通信可能な状態となっている場合には、みなし制の適用は困難であると示されています。みなし制を根拠に残業代を支払わないでいると、後に未払い賃金として請求されるリスクがあるため注意が必要です。
実務的な労働時間管理の方法
在宅勤務者の労働時間を正確に把握するためには、以下のような方法が有効です。
- チャットツールや勤怠管理システムによる始業・終業時刻の報告:日々の記録が証跡として残るため、後のトラブル防止にもなります。
- 中抜け時間の取り扱いの明確化:育児や介護などで業務を一時中断する場合の取り扱いを規程で定めます。時間単位年次有給休暇(労働基準法第39条第4項)を活用する方法が一般的です。
- 深夜・休日労働の事前許可制:在宅勤務者が深夜や休日に労働する場合には事前申請・承認を必須とすることで、時間外労働コストの管理とコンプライアンスの両立が図れます。
- フレックスタイム制のコアタイム設定:フレックスタイム制を採用する場合、チームとして連絡が取れる時間帯(コアタイム)を設けることで、業務効率とコミュニケーションのバランスを保ちやすくなります。
費用負担・労災対応:会社が負うべき責任の範囲
通信費・光熱費の負担ルール
在宅勤務に伴い発生する通信費や光熱費について、厚生労働省のガイドラインは「費用負担の明確化」を求めています。「自己負担が当然」という理解は誤りであり、少なくとも負担ルールを規程で明示する必要があります。
実務上よく用いられるのは以下の二つのアプローチです。
- 一律定額の在宅勤務手当を支給する方法:管理が簡便で従業員にも分かりやすい。月額3,000円〜5,000円程度とする企業が多いとされていますが、自社の在宅勤務頻度に合わせて設定します。
- 国税庁の計算式に基づく按分支給:業務使用割合を算出して実費相当額を精算する方法。正確ですが事務負荷が高くなります。
なお、業務用PCやモニターなどの機器については、会社貸与を原則とすることが情報セキュリティ管理の観点からも望ましいとされています。私用端末の業務利用(BYOD)を認める場合は、利用条件・セキュリティ要件・費用負担を規程に明記してください。
在宅勤務中の労災:認定される範囲とその境界
在宅勤務中であっても、業務遂行中に発生した事故は労災保険の適用対象となります。たとえば、業務中にトイレへ向かう際に転倒した場合も、業務に付随する行為として労災と認められる可能性があります。
一方で、私的行為中や日常生活動作中の事故は労災の対象外となる場合があります。業務と私生活の境界が曖昧になりがちな在宅勤務では、労災申請時に「その時間に何をしていたか」が重要な判断材料となります。従業員に対して業務記録(日報等)の詳細な記載を習慣づけておくことが、労災申請時のスムーズな対応につながります。個別の労災認定については、労働基準監督署や社会保険労務士にご相談ください。
在宅勤務者の健康管理については、定期健康診断やストレスチェックの実施が義務づけられており(労働安全衛生法第66条、第66条の10)、孤立感や過重労働によるメンタルヘルス不調のリスクにも目を向ける必要があります。従業員のメンタルヘルス面での早期変化を把握するためには、メンタルカウンセリング(EAP)の導入も有効な手段のひとつです。
情報セキュリティ・コミュニケーション管理の規程への落とし込み
情報セキュリティルールの明文化
在宅勤務において情報漏えいリスクを高める要因として、私用ネットワーク経由のアクセス、私用端末の利用、作業環境の第三者への露出などが挙げられます。規程には以下の点を盛り込んでおくことが推奨されます。
- 業務用ネットワークへのアクセスはVPN(仮想プライベートネットワーク)経由を必須とする
- 個人情報・機密情報を含むデータの持ち出し可否と持ち出す際のルール
- 使用できる端末・アプリケーションの範囲
- 公共の場所(カフェ等)での作業禁止または条件付き許可
- 画面ののぞき見防止フィルターの使用
また、従業員のセキュリティ意識のばらつきはルールを定めるだけでは解消されません。定期的な教育・研修を規程に組み込み、受講を在宅勤務利用の条件とすることで実効性を高めることができます。
作業環境チェックと安全配慮義務の履行
使用者の安全配慮義務(労働契約法第5条)は在宅勤務中も継続します。机や椅子の高さ、照明の明るさ、換気などの作業環境が不適切な場合、健康被害が生じた際に会社の責任が問われる可能性があります。作業環境チェックリストを作成し、在宅勤務開始時と定期的(例:年1回)に従業員から提出させる仕組みを整えましょう。
コミュニケーションと評価の仕組み
管理職が部下の状況を把握しにくくなる在宅勤務環境では、コミュニケーションのルール化が重要です。
- 1on1ミーティングの頻度(週1回・隔週等)と実施方法を定める
- 業務報告の頻度・形式(日報・週報等)を規程または運用ルールで明確にする
- 緊急連絡の方法と応答可能時間帯を設定する
評価制度についても、在宅勤務の定着に合わせて「プロセスと成果の両方を見る」方向への見直しを検討することが望ましいといえます。評価基準が曖昧なままでは、管理職・従業員双方に不満が生じやすくなります。
実践ポイント:規程作成から運用定着までのステップ
規程を「作って終わり」にしないためには、作成から運用定着までの流れを意識することが重要です。以下に実践的なステップを整理します。
- ステップ1:現状の把握:現在の在宅勤務の実態(利用者数・頻度・労働時間管理の方法・発生しているトラブル)を整理する。雛形規程を使っている場合は自社の労働時間制度との整合性を確認する。
- ステップ2:規程の設計:対象者・申請フロー・労働時間管理・費用負担・セキュリティ・コミュニケーションの各項目を自社の実態に合わせて設計する。フレックスタイム制や変形労働時間制を採用している場合は、既存の労働時間制度との整合性を必ず確認する。
- ステップ3:法的確認と届出:就業規則の変更を伴う場合は労働者代表の意見聴取を行い、労働基準監督署へ届け出る。変更内容が労働者に不利益となる場合は合理的な理由の説明が必要となるため、社会保険労務士や弁護士への事前相談を推奨します。
- ステップ4:周知・教育:規程の内容を全従業員に説明し、特にセキュリティルールや労働時間の報告方法については実習を交えた研修を実施する。
- ステップ5:定期的な見直し:法改正・ガイドライン更新・社内の実態変化に合わせて規程を見直す機会(年1回程度)を設ける。チェックリストの提出・労働時間の集計データを活用して実態との乖離がないか確認する。
また、在宅勤務の広がりによって従業員の健康状態やメンタルヘルスに影響が出るケースも報告されています。孤立感・過重労働・オンとオフの切り替え困難といった課題に対応するため、産業医サービスを活用して定期的な健康相談や職場環境の評価を受けることも検討してください。
まとめ
在宅勤務規程の整備は、単なる書類作成ではなく、会社と従業員の双方にとって安心して働ける環境を制度的に担保するための取り組みです。「緊急対応として始まったから」「雛形をそのまま使っているから」という状態は、労務リスク・情報漏えいリスク・従業員の不公平感という三重の問題を抱えることになります。
まずは現状の運用を棚卸しし、労働時間管理・費用負担・セキュリティルール・対象者基準の四点から自社規程の抜け漏れを確認することをお勧めします。専門家(社会保険労務士・弁護士)への相談を活用しながら、自社の実態に合った規程を整備し、継続的に運用・見直しを行っていくことが、持続可能なテレワーク体制の基盤となります。
よくある質問(FAQ)
在宅勤務規程は就業規則とは別に作成する必要がありますか?
必ずしも別文書にする必要はありませんが、在宅勤務に関するルールを就業規則本体に組み込むか、付属規程(在宅勤務規程・テレワーク規程)として別立てにするかを選択します。内容が多岐にわたる場合は別規程とするほうが管理しやすく、変更時の手続きもシンプルになります。いずれの場合も、就業規則と同様に労働基準監督署への届出と従業員への周知が必要です。
在宅勤務中の事故はすべて労災になりますか?
すべての事故が労災となるわけではありません。業務遂行中に発生した事故は労災の対象となりますが、私的行為中や日常生活動作(完全な休憩中の行動など)による事故は対象外となる場合があります。在宅勤務では業務と私生活の境界が曖昧になりやすいため、労働時間の記録や日報による業務内容の記録を習慣化することが、労災申請時の重要な証拠となります。個別の労災認定については労働基準監督署や社会保険労務士にご相談ください。
在宅勤務手当はどのくらいの金額が適切ですか?
法律で金額が定められているわけではなく、各社の在宅勤務の頻度や実際に発生するコストに応じて設定します。一律定額支給の場合、月額3,000円〜5,000円程度の設定例が見られますが、週4〜5日の在宅勤務が前提の場合はより高額となることもあります。国税庁が示す通信費の非課税計算式を参考に実費計算する方法もありますが、事務負荷が増すため、自社の状況に応じてバランスを取ることが重要です。具体的な金額設定に迷う場合は、社会保険労務士や税理士にご相談ください。








