コロナ禍をきっかけに多くの企業が在宅勤務を導入してから数年が経過しました。しかし「とりあえず始めた」まま規程が整備されていない、あるいは形骸化しているという企業は、特に中小企業において少なくありません。在宅勤務は従業員の働き方の自由度を高める一方で、労働時間管理・費用負担・健康管理・情報セキュリティなど、多岐にわたる法的・実務的な課題を伴います。
本記事では、在宅勤務規程の整備に必要な法的根拠を踏まえながら、中小企業の経営者・人事担当者が今すぐ取り組める実践的な労務管理の工夫を解説します。
在宅勤務規程を整備しなければならない法的理由
在宅勤務を制度として導入・継続するためには、就業規則への記載または別途「在宅勤務規程(テレワーク規程)」の整備が法律上必要です。労働基準法第89条は、常時10人以上の労働者を使用する事業場に対して就業規則の作成・届出を義務づけており、始業・終業時刻や休憩・休日、賃金などに関する事項を記載しなければなりません。在宅勤務によって通常の就業規則と異なる扱いが生じる場合は、その内容を明確に規程に盛り込む必要があります。
また、労働時間の適正な把握は在宅勤務中も使用者の義務です。厚生労働省が2017年に策定した「労働時間の適正な把握のためのガイドライン」は、在宅勤務者にも適用されます。「自宅だから管理が難しい」という理由は法律上の免責事由にはなりません。
さらに、厚生労働省は2021年に「テレワークの適切な導入及び実施の推進のためのガイドライン」を改定しており、このガイドラインが在宅勤務に関する実務上の基準として広く参照されています。中小企業においても、このガイドラインの内容を踏まえた規程整備が強く推奨されます。
在宅勤務規程に盛り込むべき主要事項
規程を整備する際には、以下の項目を漏れなく盛り込むことが重要です。それぞれの項目について、なぜ必要なのかも合わせて確認しておきましょう。
対象者・適用要件と申請手続き
在宅勤務を認める対象者の基準が曖昧なままでは、「なぜあの人は認められて自分は認められないのか」という不満が生じます。職種・雇用形態・業務内容・勤続年数などの観点から適用要件を明確にし、事前申請制を原則とすることで、会社側が状況を把握しやすくなります。また、在宅勤務の取消・変更要件(業務上の理由、成績不振、セキュリティ違反等)もあらかじめ規定しておくことが望ましいです。
就業場所と労働時間制度の明記
「自宅に限定するのか、サテライトオフィスやカフェなども認めるのか」という就業場所の範囲は、情報セキュリティや労災認定の観点からも重要です。就業場所を明確にしておくことで、業務災害が発生した際の「業務起因性」(その事故や疾病が業務に起因するかどうか)の判断もしやすくなります。
また、適用する労働時間制度を明記することも欠かせません。在宅勤務との相性が良い制度として、フレックスタイム制(一定期間の総労働時間を定め、始業・終業時刻を労働者が自由に決められる制度)や事業場外みなし労働時間制があります。ただし、事業場外みなし労働時間制は「労働時間の算定が困難な場合」に限られており、チャットやメールで常時連絡が取れる状況では適用要件を満たさないと判断されるリスクがある点に注意が必要です。フレックスタイム制やみなし労働時間制を導入する場合は、労使協定の締結と所轄労働基準監督署への届出が必要です。
連絡体制・応答義務と費用負担ルール
業務時間中の連絡手段(チャットツール、メール、電話等)と応答すべき時間帯を規程に明示することで、「連絡がつかない」「どこまで対応すべきかわからない」といったトラブルを防ぎます。
費用負担については、通信費・光熱費・備品等の負担者と支給方法を明確にする必要があります。通信費・光熱費の業務使用分を会社が負担する場合、国税庁の計算式を参考に非課税となる範囲を確認することが重要です。実務上は月額3,000円から5,000円程度の定額手当として支給する企業が多く見られます。パソコンや周辺機器は会社貸与を原則とし、従業員私有端末を業務に使用するBYOD(Bring Your Own Device)を認める場合は、セキュリティ要件や責任の所在を別途整理する必要があります。
在宅勤務における労働時間管理の具体的な方法
在宅勤務での労働時間管理が「属人的」になりがちな最大の原因は、客観的な記録の仕組みがないことです。以下の方法を組み合わせることで、より確実な労働時間把握が可能になります。
- PCログの活用:パソコンのログイン・ログオフ時刻を自動記録することで、始業・終業の客観的な証跡になります。
- 勤怠管理システムの導入・見直し:クラウド型の勤怠管理システムはスマートフォンからも打刻でき、リアルタイムで管理者が状況を確認できます。在宅勤務に対応した機能(GPS不要の打刻、中抜け記録等)を持つシステムも増えています。
- チャット・メールによる始業・終業報告:システム導入が難しい場合でも、チャットツール上で始業・終業を報告するルールを徹底することで記録に残すことができます。
- 中抜け時間の取扱いルールの明文化:育児や介護による中抜けは、労働時間から除外して休憩扱いにする方法と、時間単位の有給休暇で処理する方法のいずれかを選択できます。どちらを採用するかを規程で明記しておく必要があります。
- 時間外労働の事前申請制:時間外・深夜労働を原則禁止または事前申請制にすることで、長時間労働の抑制につながります。勤怠システムで一定時間を超えた場合にアラートが出る設定も有効です。
健康管理・メンタルヘルス対策をどう実施するか
在宅勤務では、職場環境の変化により孤立感・コミュニケーション不全・長時間労働・運動不足といったメンタルヘルスリスクが高まりやすい傾向があります。労働安全衛生法上の事業者責任(健康管理・ストレスチェック等の義務)は在宅勤務中も変わりません。
コミュニケーションと孤立感への対策
上司と部下の定期的な1on1面談をオンラインで制度化し、業務進捗だけでなく心身の状態についても確認できる場を設けることが重要です。また、週に一定日数の出社日を設けるハイブリッド勤務のルールを導入することで、チームのまとまりを維持しながら在宅勤務の柔軟性も確保できます。
ストレスチェックと相談窓口の周知
常時50人以上の労働者を使用する事業場にはストレスチェックの実施が義務づけられていますが(労働安全衛生法第66条の10)、在宅勤務者特有の悩み(孤立感、自己管理の難しさ、仕事とプライベートの境界線の曖昧さ等)に対応した質問項目を工夫することも検討に値します。
また、従業員が気軽に相談できる窓口として、産業医や外部の相談サービス(EAP:Employee Assistance Program)の活用が有効です。相談窓口の存在が従業員に周知されていないと、不調が深刻化してから発見されるリスクが高まります。メンタルカウンセリング(EAP)を導入し、在宅勤務者が自宅からでも利用できる体制を整えることが、早期発見・早期対応につながります。
評価制度と情報セキュリティ:見落としやすい二つの課題
成果ベースの評価体制への移行
「オフィスにいれば仕事ぶりが見える」という前提が崩れる在宅勤務では、プロセスではなく成果・アウトプットを評価する仕組みへの移行が重要になります。KPI(重要業績評価指標)や目標管理制度(MBO)を活用し、何をどれだけ達成したかを具体的に評価できる指標を設定することで、在宅勤務者と出社勤務者の評価の公平性を担保しやすくなります。進捗報告の仕組み(日報・週次レポート等)を整備することで、管理職の「見えないから不安」という問題も軽減できます。
情報セキュリティ対策の明文化
在宅勤務では、社外での業務に伴う情報漏洩リスクが高まります。個人情報保護法の遵守義務は在宅勤務中も継続しており、以下の点を規程に明記し、従業員への教育・周知を徹底することが求められます。
- 会社貸与端末以外での業務データの取り扱い制限
- 公衆Wi-Fiの利用禁止またはVPN(仮想プライベートネットワーク)使用の義務化
- 業務書類・資料の自宅外への持ち出しルール
- 画面の覗き見防止フィルターの使用
- インシデント(情報事故)発生時の報告手順
BYODを認める場合は、私有端末にセキュリティソフトの導入を義務づけるなど、より詳細なルールが必要です。
今すぐ取り組める実践ポイント
規程整備と労務管理の工夫を実効性のあるものにするために、以下のステップから着手することをおすすめします。
- 現状の棚卸しを行う:既存の就業規則・在宅勤務規程(または口頭ルール)を見直し、法的に必要な項目が網羅されているか確認します。特に労働時間制度の記載、費用負担ルール、情報セキュリティ条項は優先的に確認してください。
- 労使間で合意形成を図る:規程の新設・変更は労働者代表への意見聴取(常時10人以上の場合は労働基準監督署への届出)が必要です。一方的な変更は労使トラブルの原因になるため、事前に説明・協議の場を設けましょう。
- 勤怠管理の「見える化」から始める:システム投資が難しい場合でも、チャットによる始業・終業報告ルールを今すぐ導入できます。記録が残る仕組みを作ることが、労働時間管理の第一歩です。
- 費用負担ルールを明文化する:通信費・光熱費の補助金額と支給方法を規程に記載し、課税・非課税の整理を行います。国税庁の算定方法を確認した上で、現実的な金額設定をしましょう。
- 管理職向けのオンラインマネジメント研修を実施する:「見えない部下をどう管理するか」は多くの管理職が悩む問題です。1on1の進め方、目標管理の活用方法、心理的安全性の醸成といったテーマの研修が有効です。
- 産業医・EAPとの連携体制を整える:メンタルヘルス不調の早期発見のために、産業医サービスを活用し、定期的な職場巡視や健康相談をオンラインでも実施できる体制を構築することが望ましいです。
まとめ
在宅勤務規程の整備は、単なる「書類手続き」ではありません。労働時間管理・費用負担・健康管理・情報セキュリティ・評価制度という多岐にわたる課題に対して、会社としての方針を明確にし、従業員が安心して働ける環境を整えるための基盤です。
特に中小企業では、リソースの制約からすべてを一度に整備することが難しい場合もあります。しかしそれでも、「何が法的に必要か」「どこにリスクがあるか」を把握した上で優先順位をつけて着手することが、後々のトラブル防止につながります。コロナ禍で始まった在宅勤務が「当たり前の働き方」として定着しつつある今こそ、規程と仕組みを見直す絶好のタイミングです。
よくある質問(FAQ)
在宅勤務規程は就業規則とは別に作成しなければなりませんか?
法律上は就業規則本体に記載する方法と、別規程として作成する方法のどちらでも構いません。ただし、実務上は在宅勤務特有の事項が多岐にわたるため、「在宅勤務規程(テレワーク規程)」として別途作成し、就業規則から「別に定める在宅勤務規程による」と参照させる形式が管理しやすく、一般的に採用されています。いずれの場合も、常時10人以上の労働者を使用する事業場では、労働基準監督署への届出が必要です。
在宅勤務中に起きたケガは労災になりますか?
在宅勤務中の事故や疾病も、業務遂行中に生じたものであれば労働災害(労災)の対象になります。ただし、「業務起因性」(その事故や疾病が業務に起因するかどうか)の判断が難しいケースがあります。たとえば、就業中にトイレに行く途中での転倒は業務災害として認められやすい一方、完全に私的な行為(業務時間中の家事や育児等)中の事故は対象外となります。規程に就業場所や業務時間中の行動に関するルールを明記しておくことが、トラブル防止と適切な対応につながります。
在宅勤務者と出社勤務者の間の不公平感はどうすれば解消できますか?
不公平感の多くは、適用基準の曖昧さや評価への不透明感から生じます。在宅勤務の適用要件(職種・業務内容・申請手続き等)を規程で明確にし、誰もが同じ基準で判断されることを示すことが重要です。また、在宅勤務者・出社勤務者ともに成果・アウトプットで評価される仕組みを整えることで、「在宅の方が楽をしている」「出社しないと評価されない」といった不満を軽減できます。定期的に従業員からの意見を収集し、運用上の問題点を継続的に改善する姿勢も大切です。







