新型コロナウイルス感染症をきっかけに急速に普及したテレワーク(在宅勤務)は、今や多くの企業にとって恒常的な働き方の選択肢となっています。通勤時間の削減や柔軟な働き方といったメリットがある一方で、「従業員の健康状態が見えない」「労働時間の管理が難しい」という声は、中小企業の経営者・人事担当者から今なお多く聞かれます。
オフィス勤務であれば、顔色の悪い社員に声をかけたり、残業している社員に帰宅を促したりといった日常的なコミュニケーションが自然に健康管理の役割を果たしていました。ところがテレワーク環境では、そのような「偶然の気づき」が生まれにくく、体調不良やメンタル不調が深刻化してから発覚するケースが増えています。
本記事では、テレワーク下における健康管理の法的義務を整理したうえで、中小企業が今すぐ取り組める実践的な対策を具体的に解説します。専任の産業保健スタッフがいない企業でも実行できる方法を中心に紹介しますので、ぜひ自社の体制づくりの参考にしてください。
テレワーク中も変わらない「事業者の健康管理義務」
まず確認しておきたいのは、テレワーク中であっても事業者の健康管理義務は軽減されないという点です。労働安全衛生法は、勤務場所を問わず事業者に従業員の安全と健康を確保する責任を課しています。「在宅勤務は従業員の自己管理が原則だから、会社の責任は軽くなる」と誤解しているケ営者の方もいますが、これは大きなリスクにつながる認識です。
労働安全衛生法上の主な義務を規模別に整理すると、以下のようになります。
- 常時50人以上の労働者を使用する事業場:産業医の選任と衛生委員会の設置が義務。ストレスチェック(心理的な負担の程度を把握するための検査)の年1回実施も必須。テレワーク勤務者も対象から除外できない。
- 常時50人未満の事業場:産業医の選任・衛生委員会の設置・ストレスチェックはいずれも努力義務。ただし「努力義務」は「やらなくてよい」という意味ではなく、実施に向けた取り組みが求められる。
- 規模を問わず全事業場:時間外労働が月80時間を超えた従業員に対する医師による面接指導の実施が義務。テレワーク勤務者も例外ではない。
また、厚生労働省が公表している「テレワークの適切な導入及び実施の推進のための ガイドライン」では、事業者が健康相談窓口を設置することや、作業環境の自己点検チェックリストを活用することが推奨されています。法的義務の範囲を正確に把握したうえで、自社の体制を点検することが第一歩です。
テレワーク時代の労働時間管理:「見えない残業」をどう把握するか
テレワーク環境で最も対応が難しい課題の一つが、労働時間の正確な把握です。オフィス勤務であれば入退場記録やタイムカードで比較的容易に確認できますが、自宅では仕事と私生活の境界が曖昧になりやすく、実際の労働時間が把握しにくくなります。
「事業場外みなし労働時間制(実際の労働時間にかかわらず、あらかじめ定めた時間を労働したとみなす制度)を適用すれば、残業管理が不要になる」と考える経営者もいますが、これは誤りです。スマートフォンやPCで常時連絡が取れる状態にある場合は、この制度の適用要件を満たさないケースが多く、実態と乖離した適用は未払い残業代の請求リスクにつながります。
実務上の標準となりつつある労働時間把握の方法は以下の通りです。
- PCのログオン・ログオフ時刻の記録:業務用PCへのアクセス時間を自動で記録するシステムを導入することで、客観的な労働時間データを取得できる。
- チャットツールによる始業・終業報告の習慣化:SlackやTeamsなどのビジネスチャットを活用し、「始業します」「終業します」の報告を日課にする。低コストで始められる簡便な方法。
- 長時間労働アラートの設定:一定の労働時間を超えた場合に上長や人事担当者へ自動通知が届く仕組みを構築する。問題を後手に回らせないための予防策として有効。
労働時間の把握は単なる管理業務ではなく、過重労働による健康被害を未然に防ぐための重要な健康管理施策です。月80時間超の時間外労働が続いているにもかかわらず放置していた場合、労災認定や損害賠償請求につながるリスクがあることを念頭に置いてください。
在宅勤務の作業環境整備:見落としがちな「物理的リスク」
テレワーク中の健康リスクとして見落とされがちなのが、自宅の作業環境に起因する身体的な問題です。不適切な高さの机や椅子を長時間使用することによる腰痛・肩こり、照明不足による目の疲れ、換気不十分による集中力低下などは、生産性低下だけでなく、慢性的な健康被害につながるおそれがあります。
また、在宅勤務中に発生した事故や疾病が労災認定されるためには、「業務遂行性(業務として行われていたこと)」と「業務起因性(業務が原因であること)」の両方が必要です。2021年に厚生労働省が通達を発出し、在宅勤務中の労災認定基準が明確化されました。転倒や腰痛、メンタル不調も業務起因性が認められれば労災の対象となりますが、私的な行為中のケガは対象外です。
事業者として取り組める作業環境整備の具体策を以下に示します。
- 自己点検チェックリストの定期実施:厚生労働省が提供しているテンプレートを活用し、年1〜2回、従業員自身に作業環境を点検させる。机・椅子の高さ、照明の明るさ、換気状況などを確認する内容が含まれる。
- 在宅勤務手当・備品貸与制度の整備:モニターやキーボード、椅子などの貸与制度を設けることで、従業員の環境改善を会社としてサポートする姿勢を示せる。
- VDT(ディスプレイを使用した作業)ガイドラインの周知:1時間の連続作業ごとに10〜15分程度の休憩を取るよう従業員に案内する。目の疲れや筋骨格系の不調予防に効果的。
- テレワーク規程への作業場所要件の明記:就業規則やテレワーク規程に「作業に適した環境を確保すること」という条項を設け、事業者・従業員双方の責任を明確にする。
テレワーク時代のメンタルヘルス対策:孤立と不調を早期に察知する
テレワーク環境で特に深刻化しているのがメンタルヘルスの問題です。オフィスでの何気ない会話がなくなることによる孤立感、仕事とプライベートの切り替えができないことによる精神的疲弊、上司や同僚との関係が希薄化することによる不安感などが複合的に作用し、うつ病や適応障害(強いストレスへの適応がうまくいかず心身に症状が出る状態)のリスクが高まるとされています。
しかし、テレワーク下では不調のサインが表面化しにくく、重症化してから発覚するケースが後を絶ちません。こうした問題に対応するための主な施策を紹介します。
ストレスチェック制度の実効的な活用
50人以上の事業場では年1回のストレスチェック実施が法律上の義務ですが、「実施すれば終わり」という姿勢では制度の意味がありません。ストレスチェックはあくまで入口であり、高ストレス者と判定された従業員への医師による面接指導の実施と、集団分析結果を活用した職場環境改善こそが本質です。実施して結果を放置すると、制度の形骸化だけでなく従業員の会社への不信感にもつながります。
50人未満の事業場でも、オンラインで低コストに実施できるツールが増えています。努力義務とはいえ、積極的な取り組みが従業員の安心感と離職防止につながります。
1on1ミーティングによる早期異変察知
管理職と部下が週に1回・15〜30分程度、業務の進捗だけでなく体調や気持ちについても話せる1on1ミーティングを制度化することは、テレワーク環境でのメンタルヘルス対策として非常に有効です。定期的な対話の場を設けることで、「なんとなく元気がない」「返答が遅くなった」といった微細な変化に気づきやすくなります。管理職向けに、傾聴の仕方や不調のサインの見つけ方についてのオンライン研修を実施することも効果的です。
外部相談窓口(EAP)の導入
上司や人事担当者には話しにくい悩みを抱えている従業員のために、外部の専門家に相談できる窓口を設けることが重要です。EAP(従業員支援プログラム)とは、メンタルヘルスの専門家によるカウンセリングや相談サービスを外部委託で提供する仕組みで、比較的低コストで導入できるサービスも増えています。社内には言いづらい悩みも相談できる環境を整えることで、問題の早期解決と重症化防止につながります。メンタルカウンセリング(EAP)の活用は、特にテレワーク環境での孤立感対策として有効な選択肢です。
50人未満の中小企業が使える「無料・低コスト」の産業保健リソース
「産業医を選任したいが費用の余裕がない」「保健師を雇う規模ではない」という中小企業の声は非常に多くあります。しかし、活用できるリソースを知らないまま対応を放置することは、長期的には大きなリスクにつながります。ここでは、コストをかけずに、または低コストで利用できる産業保健サービスを紹介します。
- 地域産業保健センター(地産保)の活用:各都道府県に設置されており、50人未満の小規模事業場を対象に、産業医による健康相談・面接指導や保健指導を無料で提供しています。テレワーク勤務者の健康相談にも対応可能で、まず問い合わせてみる価値があります。
- 産業医のオンライン面談の制度化:テレワーク勤務者は通院や面談のために外出すること自体がハードルになる場合があります。産業医との面談をオンラインで実施できる体制を整えることで、アクセスのしやすさが格段に向上します。
- 外部委託の産業保健サービス:月数万円程度から利用できる外部委託の産業保健サービスも普及しています。産業医の選任が義務付けられていない規模の企業でも、産業医サービスを活用することで、専門的な健康管理体制を整えることが可能です。
今すぐ着手すべき実践ポイント:テレワーク健康管理の5ステップ
これまでの内容を踏まえ、中小企業が優先的に取り組むべき実践ポイントを5つのステップで整理します。完璧な体制を一度に構築しようとするのではなく、まずできることから着手することが重要です。
- ステップ1:現状の把握と課題の整理
現在の労働時間管理の方法、ストレスチェックの実施状況、相談窓口の有無などを棚卸しし、何が欠けているかを明確にする。 - ステップ2:就業規則・テレワーク規程の見直し
健康管理に関する条項(作業場所の要件、深夜・休日の連絡制限、緊急時の連絡フローなど)がテレワーク規程に盛り込まれているかを確認し、不足があれば整備する。 - ステップ3:労働時間の客観的把握の仕組みを導入する
PCログの記録やチャットツールによる始終業報告を導入し、月80時間超の時間外労働が発生していないかを定期的に確認する体制を整える。 - ステップ4:作業環境の自己点検チェックリストを配布・実施する
厚生労働省のテンプレートを活用し、全テレワーク従業員に作業環境の自己点検を年1〜2回実施させる。問題が発見された場合は改善を支援する。 - ステップ5:相談できる体制を整える
1on1ミーティングの定期化、外部相談窓口(EAP)の導入、または地域産業保健センターの活用など、従業員が不調を抱えたときに相談できるルートを複数確保する。
まとめ
テレワークは従業員にとって大きなメリットをもたらす一方で、事業者にとっては健康管理・労働時間管理・作業環境整備という新たな課題を生み出しています。重要なのは、「テレワークだから責任が軽くなる」という発想を捨て、むしろ見えない環境だからこそ意識的に管理体制を整えるという姿勢です。
法律上の義務を守ることはもちろんですが、それ以上に「従業員が安心して働ける環境をつくる」という経営者・人事担当者としての姿勢が、長期的には優秀な人材の定着と生産性向上につながります。完璧な体制を一度に整えようとする必要はありません。まずは本記事で紹介した5つのステップを参考に、今日できることから一つずつ取り組んでみてください。
産業保健の専門家への相談が難しいと感じている中小企業の方は、地域産業保健センターや外部委託サービスの活用を検討することをお勧めします。専門家の力を借りることで、自社だけでは気づきにくいリスクを早期に把握し、適切な対策を講じることが可能になります。
よくある質問
テレワーク中の従業員が自宅でケガをした場合、労災になりますか?
在宅勤務中のケガが労災と認められるためには、「業務遂行性(業務として行われていたこと)」と「業務起因性(業務が原因で生じたこと)」の両方を満たす必要があります。2021年に厚生労働省が通達を発出し、在宅勤務中の労災認定基準が明確化されました。たとえば、業務中に自宅の階段で転倒した場合は労災と認められる可能性がありますが、業務とは無関係の私的な行為(昼休みに家事をしていてケガをした場合など)は対象外です。判断が難しいケースは労働基準監督署や社会保険労務士に相談することをお勧めします。
50人未満の小規模企業でも産業医に相談できますか?
はい、可能です。50人未満の事業場を対象に、各都道府県に設置されている「地域産業保健センター(地産保)」では、産業医による健康相談・面接指導や保健指導を無料で受けることができます。また、外部委託の産業保健サービスを利用することで、産業医の選任義務がない規模の企業でも専門家のサポートを受けることが可能です。費用や対応内容はサービスによって異なりますので、自社の状況に合った選択肢を検討してみてください。
テレワーク社員のストレスチェックはどのように実施すればよいですか?
50人以上の事業場では年1回のストレスチェックが義務付けられており、テレワーク勤務者も対象から除外できません。オンラインで回答できるツールを活用することで、在宅勤務者でも参加しやすい環境を整えることができます。50人未満の事業場は努力義務ですが、低コストで利用できるオンラインツールも増えており、積極的な実施が推奨されます。なお、ストレスチェックは実施するだけでなく、高ストレス者への面接指導の実施や集団分析を活用した職場環境改善まで行うことが重要です。







