コロナ禍をきっかけに急速に普及したテレワーク・在宅勤務ですが、中小企業では「とりあえず始めた」まま制度整備が追いついていないケースが少なくありません。試行運用のまま年月が経過し、いざトラブルが起きたときに拠り所となる規程がない、あるいは規程はあっても実態と乖離しているという声は、現場の人事担当者から今もよく聞かれます。
在宅勤務は労働基準法をはじめとする各種法令の適用を受けます。「オフィスにいないのだから管理しにくい」という感覚は理解できますが、法的には在宅勤務中も通常の労働と同等の保護義務が使用者に課されています。規程が整備されていなければ、残業代の未払いや安全配慮義務違反として問題になるリスクを常に抱えることになります。
本記事では、中小企業の経営者・人事担当者が在宅勤務規程を整備・運用するうえで押さえておくべきポイントを、法律の根拠とともに実務目線で解説します。
在宅勤務規程を整備しないと何が起きるのか
まず、規程が未整備のまま在宅勤務を続けることのリスクを整理しておきます。
労働時間管理の問題:労働基準法第32条は、在宅勤務中であっても使用者の労働時間把握義務を免除しません。始業・終業時刻の記録が曖昧なまま運用していると、時間外労働(残業)の実態が把握できず、第37条が定める割増賃金の支払い漏れが生じます。労働基準監督署の調査が入った場合、遡って未払い残業代を請求される可能性があります。
就業規則との整合性の問題:労働基準法第89条により、常時10人以上の労働者を使用する事業場は就業規則の作成と労働基準監督署への届出が義務付けられています。在宅勤務に関する事項が就業規則に明記されていないか、別に設けた在宅勤務規程と本則の内容が矛盾している場合、トラブル発生時の根拠が揺らぎます。
労働契約法上のリスク:在宅勤務制度の変更(例えば通勤手当の廃止や勤務場所の変更)は、労働契約法第9条・第10条が定める「不利益変更」に当たる場合があります。労働者の同意なく一方的に変更すると、後日紛争に発展するリスクがあります。
これらのリスクは、規程を整備することで大幅に軽減できます。
在宅勤務規程に盛り込むべき必須項目
在宅勤務規程は、就業規則の「特別規程」として位置づけるのが一般的です。本則との整合性を確認したうえで、以下の項目を網羅的に定めることが求められます。
対象者・対象業務の要件
誰でも在宅勤務できるとすると運用が煩雑になります。職種・雇用形態・勤続年数・業務内容などで対象者を明確に絞り込むことが重要です。たとえば「試用期間中の社員は対象外」「個人情報を日常的に扱う業務は原則対象外」といった基準を明文化しておくことで、後の判断がぶれにくくなります。
申請・許可手続きと取り消し条件
在宅勤務は「社員の権利」として無条件に認めるのではなく、上長の許可を前提とする申請制にすることが一般的です。また、業務上の必要性や成果不足が続いた場合に在宅勤務を取り消せる条件も明記しておきます。これにより、いわゆる「サボり」への対処が恣意的にならずに済みます。
勤務場所の範囲
「自宅に限定するか、サテライトオフィスやコワーキングスペースも認めるか」を規程に明記します。勤務場所が特定できないと、後述する安全配慮義務や費用負担の整理が困難になります。
労働時間制度と中抜けの扱い
通常の所定労働時間制で運用するのか、フレックスタイム制(労働基準法第32条の3)を活用するのかを明確にします。フレックスタイム制は在宅勤務との親和性が高く、コアタイムの設定によって業務の柔軟性と管理のバランスが取りやすくなります。
在宅勤務特有の問題として「中抜け(一時離席)」があります。育児や介護など私的な用事で一時的に業務を離れる場合、その時間を休憩として扱うのか、時間単位の年次有給休暇として処理するのかをあらかじめ定めておく必要があります。ルールがないと、実態と申告のずれが慢性化します。
費用負担ルール
通信費・電気代・備品費用の負担ルールは、多くの中小企業で未整備のまま放置されています。国税庁は2021年に、在宅勤務にかかる通信費・電気代について実費相当分の計算方法の目安を通達で示しています。定額の在宅勤務手当を支給する場合は課税対象になりやすく、実費精算または計算式に基づく非課税処理との違いを理解したうえでルールを設計することが重要です。給与担当者は税理士とも連携して確認することをお勧めします。
情報セキュリティ遵守義務
個人情報保護法は、在宅勤務中の個人情報の取り扱いにも適用されます。2022年の改正で漏洩時の本人への通知・監督官庁への報告義務が強化されました。規程には「書類の自宅への持ち出し禁止または条件付き許可」「VPN(仮想私設通信網)の使用義務」「個人端末(BYOD)の利用条件」などを具体的に明記しておきます。
労働時間管理:「みなし労働時間制」の誤用に注意
在宅勤務の導入に際して「事業場外みなし労働時間制(労働基準法第38条の2)」を適用しようとする企業がありますが、この制度の適用条件は厳格です。
事業場外みなし労働時間制は、「労働時間の算定が困難」な場合に限り適用できる制度です。在宅勤務でパソコンやスマートフォンを通じて上司からいつでも業務指示を受けられる状態にある場合は、「労働時間の算定が困難」とはいえないと解釈される傾向があります。厚生労働省のガイドラインでも、在宅勤務に対してこの制度を安易に適用することへの注意が示されています。
現実的な労働時間管理の方法としては、クラウド型の勤怠管理システムを活用し、始業・終業時刻をリアルタイムで記録する方法が多くの中小企業に導入されています。自己申告制を採用する場合でも、定期的なログデータとの照合や上長によるヒアリングで実態確認を怠らないことが重要です。
また、深夜労働(午後10時から午前5時)については在宅中であっても割増賃金(25%以上)の支払いが必要です。深夜に業務連絡を送ることが常態化している場合は、それ自体が深夜労働の黙示の指示とみなされるリスクもあります。
安全配慮義務とメンタルヘルス管理の盲点
労働契約法第5条は、使用者が労働者の生命・身体・健康を守るために必要な配慮をしなければならないと定めています。この安全配慮義務は在宅勤務中も適用され、自宅の作業環境が不十分であったことによる健康被害が生じた場合、会社の責任が問われる可能性があります。
実務上の対応として、在宅勤務開始前に「作業環境チェックリスト」を社員に記入させ、デスク・椅子・照明・通信環境が一定の基準を満たしているかを確認する企業が増えています。
さらに深刻なのがメンタルヘルスの問題です。在宅勤務では上司・同僚との対面接触が減るため、孤立感や不安感が蓄積しても周囲が気づきにくい状況が生まれます。従業員のメンタル不調を早期に発見するためには、定期的な1on1面談の実施や、気軽に相談できる窓口の設置が効果的です。
外部の専門機関を活用する方法として、メンタルカウンセリング(EAP)の導入があります。EAP(従業員支援プログラム)は、従業員が匿名で専門家にメンタルヘルスの悩みを相談できる仕組みであり、在宅勤務中の孤立リスクに対する有効な対策として中小企業でも活用が広がっています。
なお、労働安全衛生法第66条は在宅勤務者も健康診断の対象とすることを定めており、実施漏れは法令違反になります。50人以上の事業場では、同法第66条の10に基づくストレスチェックの実施も義務です。在宅勤務が増えたことを理由に実施を怠らないよう注意が必要です。
実践ポイント:中小企業が今すぐ取り組める整備ステップ
専任の人事担当者がいない中小企業でも、以下のステップで順を追って整備を進めることができます。
ステップ1:現状の棚卸し
現在の在宅勤務の実態(対象者数・頻度・運用ルール)を確認し、既存の就業規則に在宅勤務に関する記載があるかを確認します。記載がない場合や実態と乖離している場合は整備が必要です。
ステップ2:規程の骨格作成
厚生労働省が公開している「テレワークの適切な導入及び実施の推進のためのガイドライン」(2021年改定)や、各都道府県の労働局が提供するひな形を参考に、自社の実態に合わせた規程の骨格を作成します。ひな形をそのまま使用するのではなく、自社の業種・規模・社員構成に合わせたカスタマイズが不可欠です。
ステップ3:社会保険労務士・弁護士への確認
作成した規程案を社会保険労務士や弁護士に確認してもらい、法令違反がないかをチェックします。就業規則の変更が伴う場合は、過半数代表者への意見聴取と労働基準監督署への届出(常時10人以上の事業場)が必要です。
ステップ4:社員への周知と合意形成
規程の内容は全社員に書面または電子データで周知し、内容を理解したことを確認します。在宅勤務の対象となる社員については、個別に説明の機会を設けることが望ましいです。
ステップ5:定期的な見直し
- 年1回以上、規程の内容が実態に即しているかを確認する
- 法改正があった場合は速やかに規程に反映させる
- 社員からのフィードバックを受け付ける窓口を設け、運用上の問題点を拾い上げる
- 在宅勤務者の健康状態・エンゲージメントを定期的にモニタリングする
また、在宅勤務者の健康管理を継続的に支える体制として、産業医サービスの活用も検討に値します。産業医は労働者の健康診断結果の確認・就業上の配慮に関する意見・職場環境改善のアドバイスなどを行う専門家であり、在宅勤務者のケアにも対応できます。
まとめ
在宅勤務規程の整備は、「制度を整えれば終わり」ではありません。法令を遵守しながら、実態に即したルールを作り、定期的に見直し続けることが求められます。
特に中小企業では人事リソースの制約から後回しになりがちですが、規程が未整備のまま運用を続けることは法的リスクと人材定着リスクの両方を高めます。労働時間管理・費用負担・安全配慮・メンタルヘルスという四つの柱を意識しながら、まず現状の棚卸しから着手することをお勧めします。
一度しっかりとした土台を作れば、その後の運用は大幅に楽になります。専門家の力を借りながら、自社に合った在宅勤務制度を着実に整備していきましょう。
よくある質問(FAQ)
在宅勤務規程は就業規則とは別に作る必要がありますか?
必ずしも別文書にする必要はありませんが、在宅勤務に関する事項を就業規則の本則に全て盛り込むと文書が煩雑になるため、実務上は「特別規程」として別に定めることが一般的です。その場合、本則と矛盾する条文がないか必ず整合性を確認してください。常時10人以上の事業場では、変更後の就業規則を労働基準監督署に届け出る義務があります。
在宅勤務中の残業はどのように管理すればよいですか?
クラウド型の勤怠管理システムで始業・終業時刻を記録する方法が現実的です。自己申告制を採用する場合でも、システムのログデータや業務完了報告と申告内容を定期的に照合し、乖離がないかを確認することが重要です。事業場外みなし労働時間制の安易な適用は避け、深夜・時間外労働には割増賃金を適切に支払う体制を整えてください。
在宅勤務手当を支給する場合、税務上の注意点はありますか?
通信費・電気代などの実費相当分は、国税庁が示す計算式に基づいて算出すれば非課税として扱えます。一方、業務使用実績に関係なく一律に支給する定額の在宅勤務手当は、課税対象となるケースが多いため注意が必要です。具体的な計算方法については2021年の国税庁通達を参照し、給与担当者や税理士と連携して適切に処理してください。







