新型コロナウイルス感染症の拡大を契機に急速に普及した在宅勤務(テレワーク)は、今や多くの企業にとって恒常的な働き方の選択肢となっています。しかし、導入から数年が経過した現在も、「労働時間をどう把握すればよいか」「就業規則はどこまで整備すべきか」「自宅での事故は労災になるのか」といった疑問を抱えたまま運用している中小企業は少なくありません。
在宅勤務は従業員の働きやすさや生産性向上に寄与する一方、適切な管理体制が整っていなければ、法令違反や労働トラブル、従業員の健康悪化を招くリスクがあります。特に中小企業では専任の労務担当者がいないケースも多く、制度の不備が気づかぬうちに蓄積していることがあります。
本記事では、在宅勤務における労務管理の法的根拠を整理しながら、中小企業が実務で押さえておくべき注意点と具体的な対策をわかりやすく解説します。
在宅勤務でも変わらない「労働時間管理」の義務
まず前提として、在宅勤務であっても労働基準法は通常通り適用されます。1日8時間・週40時間という法定労働時間の規制(労働基準法第32条)、休憩付与(第34条)、休日付与(第35条)、そして残業・深夜・休日労働に対する割増賃金の支払い義務(第37条)は、オフィス勤務と何ら変わりません。
「在宅だから管理が難しい」という理由で労働時間の把握を曖昧にしていると、後になって未払い残業代請求や労基署による是正指導を受けるリスクがあります。
「みなし労働時間制」は安易に適用できない
在宅勤務に関連してよく聞かれるのが、「事業場外みなし労働時間制」(労働基準法第38条の2)の活用です。これは、外出営業職など労働時間の算定が困難な場合に、あらかじめ定めた時間を労働したとみなす制度です。
しかし、厚生労働省の「テレワークの適切な導入及び実施の推進のためのガイドライン」(2021年改訂)では、「情報通信機器を使用し、かつ、使用者の指示に即応しなければならない状態に置かれているときは、労働時間の算定が困難とはいえない」とされています。つまり、PCやスマートフォンで常時連絡が取れる状態にある在宅勤務者に対しては、みなし制の適用が認められない可能性が高いのです。
「在宅だからみなし制を使えばラク」という発想は危険です。労働時間を正確に把握・記録する仕組みを構築することが、法令遵守の出発点となります。
実務的な労働時間管理の方法
中小企業でも導入しやすい労働時間管理の方法としては、以下の組み合わせが有効とされています。
- クラウド型勤怠管理システムの活用(月額数百円〜数千円程度のサービスが多数存在する)
- 始業・終業時刻のチャットやメールによる報告ルールの明文化
- PCのログイン・ログオフ記録を補助的な確認手段として活用
- 中抜け時間のルール設定(育児・介護等での一時離席の取り扱いを明確にする)
- 一定時間を超えた場合に警告を表示するアラート機能の活用
また、月80時間を超える時間外労働が疑われる従業員に対しては、労働安全衛生法に基づく医師による面接指導が義務付けられています。在宅勤務者であってもこの義務は免除されません。労働時間の正確な把握は、過重労働防止の観点からも不可欠です。
就業規則・テレワーク規程の整備は経営者の責任
常時10人以上の従業員を雇用する事業者には、就業規則を作成し労働基準監督署に届け出る義務があります(労働基準法第89条)。テレワーク勤務制度を導入している場合は、その内容を就業規則に明記するか、別途「テレワーク勤務規程」として策定することが強く推奨されます。
規程に盛り込むべき主な事項は以下の通りです。
- 対象者・対象業務の範囲(誰が・どんな仕事でテレワークできるか)
- 申請・許可の手続き(上長の承認が必要かどうか等)
- 労働時間・休憩・休日の取り扱い
- 費用負担のルール(通信費・光熱費の補助方法)
- 情報セキュリティ上のルール(使用機器、Wi-Fiの制限等)
- テレワーク中の連絡体制(報告・連絡方法の明確化)
規程が存在しない場合、「この費用は会社が負担してくれるはずだった」「残業代が支払われていない」といったトラブルが発生しやすくなります。整備にかかるコストは弁護士や社会保険労務士への依頼でも十数万円程度が相場であり、トラブル対応のコストと比較すれば決して高くはありません。
費用負担のルールを曖昧にしないこと
在宅勤務では、通信費や電気代など、本来オフィスが負担すべきコストを従業員が自己負担していることがあります。法的には費用補助の義務は明示されていませんが、実費相当額の補償は望ましい対応とされており、補助を行わない場合は従業員満足度や採用競争力に影響する可能性があります。
費用補助を行う際には、国税庁が示している計算式を参考にすると、非課税の範囲内で適切な金額を設定しやすくなります。たとえば通信費については「月額の電話料金 × 業務使用割合(1/2)× 在宅日数÷当月日数」という考え方が示されています。税務上の処理を含めて経理担当者や税理士と連携して設計することをおすすめします。
在宅勤務中の「労災」はどう判断されるか
「自宅で仕事中にけがをしたら労災になるのか」という疑問は、経営者・人事担当者から頻繁に寄せられます。結論から言えば、業務遂行中に発生した事故は在宅でも労災認定の対象となります。
労働者災害補償保険(労災保険)における認定の基準は、「業務起因性」(その事故が業務に起因するものかどうか)と「業務遂行性」(業務を遂行している状況であったかどうか)の2点です。在宅勤務中にPCで作業していたところ体調不良になった、机から書類を取ろうとして転倒したといったケースは、業務中の事故として労災認定される可能性があります。
一方で、業務と私的行為の切り分けが難しいケースもあります。たとえば、休憩中にトイレで転倒した場合、オフィスであれば「施設管理上の問題」として業務起因性が認められやすいですが、自宅の場合は私的な環境での出来事として扱われ、判断が微妙になることがあります。
企業としては、業務時間と休憩時間を明確に記録させるルールを整備しておくことで、万一の事故発生時の証明を容易にすることができます。「いつ、何をしていたか」が記録されていれば、労災申請の際に事実確認がスムーズになります。
見えにくいからこそ重要な「健康管理・メンタルヘルス対策」
在宅勤務の普及に伴い、従業員のメンタルヘルス不調が顕在化しにくくなっています。オフィスであれば表情や様子の変化を目で確認できますが、在宅では画面越しのやり取りが中心となるため、孤立感・燃え尽き症候群・抑うつ状態などが見逃されやすくなります。
労働安全衛生法第65条の3では、作業環境の維持管理や健康管理について事業者の義務が規定されており、これは在宅勤務者にも適用されます。また、常時50人以上の従業員を雇用する事業者にはストレスチェックの実施が義務付けられており、在宅勤務者も対象から除外されません。
中小企業が取り組める具体的な対策
- 定期的な1on1面談のルーティン化(週1回または隔週が望ましい)。業務の進捗確認だけでなく、体調や気持ちの変化を把握する場として機能させる
- チャットツールを活用したカジュアルなコミュニケーション(雑談チャンネルの設置等)で孤立感を軽減する
- 作業環境の自己チェックシート(厚生労働省が提供)を活用し、自宅の作業環境(椅子・照明・画面の高さ等)を定期的に確認させる
- 長時間労働が続いている従業員を早期に把握し、産業医や保健師との連携体制を整える
特に従業員が自分の不調を言い出しにくい環境を放置することは、重大なメンタルヘルス不調や休職・離職につながるリスクがあります。外部の専門家によるサポートも視野に入れ、メンタルカウンセリング(EAP)の導入を検討することも、継続的な健康管理体制の構築において有効な選択肢の一つです。
在宅勤務における実践的な労務管理のポイント
ここまでの内容を踏まえ、中小企業が今すぐ取り組めることを整理します。
ステップ1:現状の棚卸しをする
まず、現在の在宅勤務運用において「ルールが存在しないもの」「曖昧なもの」を洗い出します。就業規則にテレワーク規定があるか、勤怠記録の方法が統一されているか、費用補助のルールが明文化されているかを確認してください。
ステップ2:就業規則・テレワーク規程を整備する
現行の就業規則にテレワークの規定がなければ、社会保険労務士などの専門家と連携して早急に整備します。既に規程がある場合も、運用実態と乖離していないか定期的に見直すことが重要です。
ステップ3:勤怠管理の仕組みを統一する
クラウド型の勤怠管理システムを導入し、始業・終業・休憩・中抜けの記録ルールを全員に周知します。管理職が部下の労働時間を日々確認できる体制を整えることが、過重労働防止の基本となります。
ステップ4:定期的な健康状態の確認を制度化する
1on1面談やオンライン健康相談など、従業員が体調や悩みを相談できる機会を定期的に設けます。特に在宅勤務が多い従業員については、意識的にコミュニケーションの頻度を高めることが大切です。また、産業医との連携が難しい小規模事業者では、産業医サービスを外部委託することで、法令遵守と従業員の健康管理を同時に実現できます。
ステップ5:情報セキュリティ対策を並行して進める
労務管理と並行して、情報セキュリティのルール整備も欠かせません。私用端末を業務利用する場合のルール(BYOD規程)の策定、VPN接続の徹底、公共Wi-Fiの業務利用禁止などを明文化します。情報漏洩事故は、企業の信頼を大きく損なうリスクがあります。
まとめ
在宅勤務は、従業員の多様な働き方を支え、優秀な人材を確保するための有力な手段です。しかし、その恩恵を享受するためには、法令に基づく適切な労務管理体制が不可欠です。
重要なポイントを改めて整理します。
- 在宅勤務でも労働基準法・労働安全衛生法は通常通り適用される
- みなし労働時間制の安易な適用は法令違反のリスクがある
- テレワーク規程の整備と費用負担ルールの明確化は経営者の責任
- 業務中の自宅での事故も労災認定の対象となり得る
- 在宅勤務者のメンタルヘルス不調は見えにくく、早期発見の仕組みが重要
「今まで問題が起きなかったから大丈夫」という姿勢は、いつ法的リスクに転じてもおかしくありません。まずは自社の現状を点検し、専門家の力も借りながら一つひとつ整備を進めることが、経営者・人事担当者としての重要な責務です。
よくある質問(FAQ)
在宅勤務者に事業場外みなし労働時間制を適用することはできますか?
スマートフォンやPCで常時連絡が取れる状態にある場合は、「労働時間の算定が困難」という要件を満たさないとして、みなし制の適用が認められない可能性が高いとされています(厚生労働省ガイドライン)。原則として、クラウド勤怠システムや申告制などによって実際の労働時間を把握・記録する仕組みを整備することが望ましいです。
在宅勤務中に従業員がけがをした場合、会社は労災申請の手続きをしなければなりませんか?
業務遂行中に発生した事故であれば、在宅勤務中でも労災保険の対象となります。会社には労災申請手続きへの協力義務があります。万一の際に備えて、業務時間と休憩時間を明確に記録させるルールを平時から整備しておくことで、業務起因性の確認がスムーズになります。
中小企業でも産業医の選任は必要ですか?
常時50人以上の従業員を雇用する事業場には産業医の選任が義務付けられています(労働安全衛生法第13条)。50人未満の事業場は義務の対象外ですが、在宅勤務の普及により従業員の健康管理が難しくなっているため、外部の産業医サービスを活用することは有効な選択肢です。長時間労働者への面接指導や過重労働対策においても、専門家の関与が法令遵守と職場環境の維持に役立ちます。
労務管理の課題を抱える企業様には、INTERMINDの産業医サービスをご検討ください。産業医と連携した従業員の健康管理体制を構築できます。







