「うちの会社でも、そういつまでも続けるのは難しくて……」。こうした言葉を、ある日突然ベテラン社員から聞かされた経験はないでしょうか。介護は、当事者にとっても、企業にとっても、ほぼ予告なく始まります。そしてその多くは、職場への相談もないまま離職という選択に至ってしまいます。
厚生労働省の調査によると、介護・看護を理由に離職する人は年間約10万人にのぼります。大企業に比べて一人ひとりへの依存度が高い中小企業では、そのダメージは特に深刻です。即戦力の中堅・ベテラン社員を失うことは、業務の停滞、採用・育成コストの増大、残業対応を強いられる周囲の社員への負担増という連鎖を生み出します。
しかし、制度さえ整備すれば介護離職は防げる、というほど単純な話でもありません。法律を正確に理解したうえで、自社の実情に合った支援体制をどう組み立てるか。本記事では、中小企業の経営者・人事担当者に向けて、介護離職を防ぐための制度整備と職場環境づくりについて、実務的な視点から解説します。
介護離職が中小企業にもたらす経営リスク
介護離職の問題を「本人の事情」として片付けてしまう経営者はいまだに少なくありません。しかし、これは明確な経営リスクです。
中小企業では、一人の社員が複数の業務を掛け持ちしているケースが珍しくありません。その人が突然退職すると、担当していた顧客との関係や、長年かけて蓄積された業務ノウハウがそのまま失われます。新たに採用・育成するには時間とコストがかかりますが、そもそも「同等のスキルを持つ人材をすぐに採用できる」という保証もありません。
また、離職した社員の業務を引き受ける周囲の社員への負担増が、二次的な離職を引き起こすこともあります。一人の介護離職が、連鎖的な人材流出の引き金になるリスクがあることを、経営者は認識しておく必要があります。
さらに見落とされがちなのが、「表面化しない離職予備軍」の存在です。介護が始まっても相談できずにいる社員は、静かに転職を検討しています。会社として制度や相談窓口の整備を怠っていると、気づいたときにはすでに退職届が出ている、という事態になりかねません。
介護休業制度の基本:最低限おさえるべき法律の知識
介護と仕事の両立を支えるルールは、主に育児・介護休業法(育児休業、介護休業等育児又は家族介護を行う労働者の福祉に関する法律)に定められています。まずは法律が定める最低基準を正確に理解しましょう。
介護休業:93日・3回分割の原則
介護休業とは、要介護状態(※常時介護を必要とする状態)にある家族を介護するために取得できる休業制度です。対象家族1人につき通算93日まで、3回を上限として分割して取得することができます。
対象となる家族の範囲は、配偶者・父母・子・配偶者の父母・祖父母・兄弟姉妹・孫です。申出は原則として休業開始予定日の2週間前までに、書面等の方法で行います。
なお、有期雇用労働者については、「取得予定日から93日を経過した後6か月の間に労働契約が満了することが明らかでない者」であれば取得できます。パートやアルバイト社員も対象になりうることを、就業規則に明記しておくことが重要です。
介護休暇:当日申出でも取得できる短期の休み
介護休業とは別に、介護休暇という制度があります。対象家族1人の場合は年間5日、2人以上の場合は年間10日まで取得でき、1日または半日単位で利用できます(時間単位取得は労使協定の締結により設定可能)。当日の申出でも取得できるため、急な通院付き添いや役所手続きなど、日常的な介護対応に活用しやすい制度です。
勤務時間・残業に関する配慮措置
育児・介護休業法は、休業制度だけでなく、働き方の柔軟化についても規定しています。主なものを整理すると以下のとおりです。
- 所定外労働(残業)の免除:介護のために請求した場合、対象家族1人につき介護終了まで残業を免除しなければなりません。
- 時間外労働の制限:1か月24時間・1年150時間を超える時間外労働を制限できます。
- 深夜業の制限:午後10時から午前5時の間の労働を請求により免除できます。
- 短時間勤務等の措置:利用開始から連続する3年間以上、2回以上利用できる措置(短時間勤務・フレックスタイム・始業終業時刻の繰上げ繰下げ・テレワーク・介護サービス費用の助成など)を設けることが義務付けられています。
2025年4月施行の改正点を見逃さない
育児・介護休業法は頻繁に改正されています。2025年4月施行の改正では、以下の点が新たに義務化・努力義務化されました。中小企業も対応が求められます。
- 個別の周知・意向確認の義務化:従業員が介護に直面した時点で、会社側が個別に制度を説明し、取得の意向を確認することが義務付けられました。
- 介護両立支援制度の周知義務:入社時と介護発生時の2段階で、制度内容を従業員に説明する義務が生じます。
- テレワーク活用の努力義務:介護中の従業員に対してテレワークを活用できるよう配慮することが求められます。
「知らなかった」では済まされない改正が続いています。最新の法令情報を定期的に確認する体制を、社内で仕組みとして作っておくことが重要です。なお、改正内容の詳細は厚生労働省の公式情報または社会保険労務士にご確認ください。
中小企業が取り組むべき就業規則・社内制度の整備
法律が定めるのはあくまで最低基準です。社内制度として整備するには、法定基準をベースに自社の実情に合った規程を設けることが必要です。
就業規則への反映と「介護両立支援規程」の独立設置
就業規則の本則に介護関連の規定を埋め込むだけでは、従業員が必要なときに参照しにくくなります。「介護両立支援規程」として独立した規程を作成することで、制度の存在が従業員に伝わりやすくなります。
規程には以下の項目を盛り込むことが望ましいです。
- 介護休業・介護休暇の取得手続きと申出様式
- 短時間勤務・フレックスタイム等の適用条件と申請方法
- 残業免除・深夜業制限の申請手続き
- 有期雇用・パートタイム労働者への適用範囲
- 不利益取扱いの禁止とケアハラスメント(介護を理由とした嫌がらせ)防止に関する方針
- 相談窓口の設置と担当者の明示
また、法定を上回る「上乗せ規定」も検討する価値があります。たとえば介護休業の分割回数を3回から5回に増やす、介護休暇を時間単位で取得できるようにする、といった対応は、従業員の実態に合った支援につながります。就業規則の改定にあたっては、社会保険労務士への相談をおすすめします。
経済的支援制度の周知も重要
制度の整備とあわせて、活用できる経済的支援についても従業員に情報提供することが大切です。介護休業を取得した場合、雇用保険から休業開始時賃金月額の67%に相当する介護休業給付金が支給されます(通算93日を限度)。「休むと収入がゼロになる」という誤解から休業取得をためらう社員も少なくないため、正確な情報を伝えることが離職防止につながります。
また、企業側の制度整備に対しては、両立支援等助成金(介護離職防止支援コース)という助成制度があります。雇用環境の整備や職場復帰支援を実施した場合に助成を受けられる可能性があります。支給額や要件は年度ごとに変更されることがあるため、厚生労働省や都道府県労働局にて最新情報をご確認ください。
制度だけでは足りない:相談しやすい職場環境づくり
制度を整備しても、従業員が「言い出せない」「相談できない」状況では意味がありません。介護離職の多くは、実は相談がないまま静かに進行します。職場環境そのものを変えていくことが、制度整備と並んで重要なステップです。
「介護に直面する前」からの情報提供
介護は突然始まりますが、準備ができているかどうかで対応の幅は大きく変わります。40代以降の社員を対象に、定期的な介護リテラシー研修(介護保険の仕組み、地域包括支援センターの活用方法、社内制度の説明など)を実施することが効果的です。
また、社内のイントラネットや掲示板に介護関連制度の一覧を常時掲示し、「うちの会社にはこういう制度がある」という認識を日頃から従業員に持ってもらうことが大切です。制度があっても知られていなければ、ないのと同じです。
管理職の対応スキルを底上げする
従業員が最初に相談を持ちかける相手は、人事部門よりも直属の上司であることが多いです。しかし、介護の実情を理解していない管理職が「それは個人の問題だ」「仕事に支障が出るなら困る」といった対応をしてしまうと、従業員は相談することをあきらめてしまいます。
管理職向けに、以下のような内容を含む研修や対応マニュアルを整備することが有効です。
- 介護の基本的な知識(要介護認定、介護サービスの種類など)
- 部下から相談を受けたときの傾聴の姿勢と最初の対応手順
- 人事・相談窓口への適切なつなぎ方
- ケアハラスメントに該当しうる言動の具体例と注意点
管理職が「介護を抱えながら働く社員の支え手」になれるかどうかが、職場全体の雰囲気を左右します。
相談窓口の設置と心理的安全性の確保
人事担当者が兼任であっても、「介護に関する相談はここへ」という窓口を明示することが大切です。担当者の名前と連絡先を社内に周知し、秘密が守られることを明確に伝えることで、相談のハードルを下げることができます。
また、外部の相談窓口として、EAP(従業員支援プログラム)を活用することも有効です。社内への相談に抵抗を感じる従業員でも、外部の専門家には話しやすいことがあります。介護ストレスや仕事との両立に悩む社員のメンタルヘルスを支える仕組みとして、導入を検討してみてください。
実践ポイント:今日から始められる3つのステップ
「やるべきことは分かったが、何から手をつければいいか分からない」という声をよく聞きます。以下に、規模や体制を問わず中小企業がすぐに着手できる実践ポイントを整理します。
ステップ1:現状の就業規則と社内制度を点検する
まず、現在の就業規則が法定の最低基準を満たしているかどうかを確認します。特に2025年4月施行の改正に対応できているか、個別周知・意向確認の仕組みが社内に存在するかどうかを確認してください。不備があれば、社会保険労務士に相談しながら改定することをおすすめします。
ステップ2:制度の存在を社内に周知する
制度を整備したら、全従業員に向けて説明の場を設けます。朝礼・全体会議・社内メールなどを活用し、「こういう制度がある」「相談窓口はここだ」という情報を繰り返し伝えることが重要です。一度周知すれば終わりではなく、年1回程度の定期的な案内を習慣化してください。
ステップ3:管理職向けの対応研修を実施する
人事担当者だけが制度を知っていても、現場で活かされなければ意味がありません。管理職がいざというときに適切に対応できるよう、研修またはマニュアルの整備を進めます。外部の研修サービスや産業医サービスを通じた職場環境改善の支援を活用することも一つの手段です。産業医は健康管理だけでなく、介護・育児など生活上の問題が職場環境に与える影響についてもアドバイスを提供できます。
まとめ
介護離職を防ぐことは、単に「いい会社」を目指す取り組みではありません。中小企業にとって、人材の流出を防ぎ、組織の継続性を守るための経営課題です。
対策の柱は大きく3つです。第一に、育児・介護休業法の最新内容を正確に理解し、就業規則・社内規程に反映させること。第二に、制度の存在を従業員に継続的に伝え、相談しやすい窓口を設けること。第三に、管理職が現場で適切に対応できるよう、知識とスキルを底上げすること。
どれか一つが欠けても、制度は機能しません。逆に言えば、この3つが揃えば、介護を抱えながらも「この会社でなら続けられる」と感じてもらえる職場に近づくことができます。
完璧な制度を一度に整える必要はありません。今の就業規則の点検から、相談窓口の明示から、管理職への一声からでも、始めることに意味があります。介護離職ゼロを目指す取り組みは、すべての社員が安心して長く働ける職場づくりと、確実につながっています。
よくある質問(FAQ)
介護休業は従業員が申し出た場合、必ず取得させなければなりませんか?
原則として、要件を満たす従業員からの申出があった場合、企業は拒否することができません。ただし、労使協定を締結することで、勤続1年未満の労働者や週の所定労働日数が2日以下の労働者などを対象外とすることは認められています。自社の就業規則・労使協定の内容を確認のうえ、適切に対応してください。個別のケースについては社会保険労務士にご相談ください。
介護休業給付金は会社が申請するのですか?従業員が自分で手続きをするのですか?
介護休業給付金の申請は、原則として事業主(会社)がハローワークに対して行います。従業員から必要書類(介護対象家族の氏名・続柄・介護が必要な状況を確認できる書類など)を受け取り、会社が手続きを進める流れとなります。詳細な手続きはハローワークまたは社会保険労務士に確認することをおすすめします。
「ケアハラスメント」とは具体的にどのような行為を指しますか?
ケアハラスメント(介護ハラスメント)とは、介護休業の取得や介護のための制度利用を妨げたり、介護中であることを理由に不当な扱いをする行為を指します。具体例としては、「介護休業を取るなら辞めてもらう」といった発言、制度利用後の降格・減給、「介護と仕事を両立できないなら向いていない」といった心理的プレッシャーなどが該当します。育児・介護休業法は、こうしたハラスメントを防止するための措置を企業に義務付けています。対応に迷う場合は、弁護士や社会保険労務士にご相談ください。







