「退職金制度なし」は違法?中小企業が知っておくべき法的リスクと導入コストの現実

「うちには退職金制度がないけれど、これって問題になるのだろうか」「退職金がないせいで、採用で大企業に負けている気がする」——このような悩みを抱える中小企業の経営者・人事担当者は少なくありません。

実際、厚生労働省の調査によると、退職給付制度を持つ企業の割合は大企業に比べて中小企業では低い傾向があり、従業員数が少ないほどその割合はさらに下がります。しかし、退職金制度がないことは決して珍しいことではなく、また法律違反でもありません。重要なのは、「制度がない」という現状に対してどう対応し、どう伝え、どう改善するかという実務上の判断です。

この記事では、退職金制度を持たない中小企業が知っておくべき法律的な基礎知識から、採用・労務上の実務対応、そして段階的に制度を整えるための具体的な選択肢まで、体系的に解説します。

目次

退職金制度がないこと自体は違法ではない——法律の基本を正しく理解する

まず、最もよく寄せられる疑問から整理しましょう。「退職金を支払わないことは違法ではないか」という点です。

結論から言えば、退職金の支給は法律上の義務ではありません。労働基準法には退職金の支給を強制する規定はなく、あくまで企業が任意で設ける制度です。したがって、退職金制度を設けていないこと自体は法律違反にはなりません。

ただし、以下の点には注意が必要です。

  • 就業規則に退職金に関する定めを設ける場合は記載が義務となる(労働基準法第89条第3号)。逆に言えば、「制度を設けない」と明確に記載することも就業規則に必要です。
  • 一度就業規則や労働契約で退職金の支給を定めた場合は「賃金」として扱われるため、不払いは労働基準法違反になります。
  • 慣行として退職金を支払い続けてきた場合、判例上「退職金を受け取る権利がある」と認められるケースがあります。明確なルールがないまま支払いを続けることは避けるべきです。
  • 既存の退職金制度を廃止・減額する場合は、従業員の個別合意または高度な合理的理由が必要とされています(労働契約法第9条・第10条)。制度の廃止は新設より法的ハードルが高い点を認識してください。

退職金債権の消滅時効は、2020年の民法改正への対応として労働基準法第115条に基づき5年(当分の間は3年の経過措置あり)とされています。制度がある場合には、退職後も請求権が長期間残ることを理解しておく必要があります。

就業規則と労働条件通知書——制度がない場合の必須対応

退職金制度がない企業が実務上まず取り組むべきことは、「制度がない」ことを文書で明確にすることです。曖昧な状態を放置することが、後々のトラブルの温床になります。

就業規則への明記

就業規則に退職金に関する記載がまったくない場合、従業員から「制度があるのではないか」という誤解を招くことがあります。「退職金制度は設けない」という旨を就業規則に明確に記載し、従業員に周知することが重要です。

就業規則は10人以上の労働者を雇用する事業場では作成・届出が義務付けられていますが、10人未満の場合でも作成・運用することが労使トラブルの予防に有効です。改定の際は労働基準監督署への届出と従業員代表からの意見書の提出が必要になります。

採用・入社時の労働条件通知書への記載

採用時に交付する労働条件通知書(雇用契約書)には、退職金に関する事項を明示することが求められています。「退職金制度なし」と明確に記載し、求職者・入社者が認識した状態で雇用関係をスタートさせることが、後のトラブル防止につながります。

求人票への記載も同様です。「退職金制度なし」と正直に記載することは、採用広報上の不安を招くかもしれませんが、入社後に「聞いていなかった」という不満が生じるリスクを大幅に下げます。

慣行による支払いには要注意

就業規則に規定はないものの、長年にわたって退職者に一定額を支払ってきた場合、「退職金慣行」として法的に権利が認められる可能性があります。この場合、支払いを突然打ち切ると訴訟リスクが生じます。過去の支払い実績がある場合は、社会保険労務士などの専門家に相談のうえ、現状を整理することをお勧めします。

採用競争力への影響と代替施策——退職金なしでも選ばれる職場をつくる

「退職金がないと求人で負ける」という不安は多くの中小企業が感じていることです。確かに大企業と同じ土俵で比較されれば不利に映ることはあります。しかし、退職金制度の有無だけが採用の決め手になるわけではありません。

大切なのは、退職金に代わる従業員にとっての「将来への安心感」をどのように設計・提示できるかです。以下のような代替施策が有効です。

  • 給与水準の見直し:退職金の代わりとして基本給や賞与を引き上げ、毎月の手取りに還元する設計。求職者にとっても分かりやすく、即効性があります。
  • 福利厚生の充実:住宅手当、資格取得支援、健康診断の充実、育児・介護支援など、日常生活を支える施策は長く働き続けたいと思わせる動機につながります。
  • キャリア支援・研修制度:スキルアップや成長の機会を提供することで、「この会社にいると自分が成長できる」という価値を感じてもらえます。
  • 透明な人事評価・昇給制度:頑張りが正当に評価・反映される仕組みは、長期的なモチベーション維持に効果的です。

また、従業員のメンタルヘルスや職場環境の整備も、離職防止と採用競争力の向上に直結します。メンタルカウンセリング(EAP)の導入は、「従業員を大切にする会社」という企業イメージを醸成し、優秀な人材の定着にも寄与します。

退職金制度の代替・導入手段——中小企業が使える選択肢を整理する

「いずれは退職金に相当する制度を導入したい」と考える企業向けに、中小企業が実際に活用できる制度・手段を整理します。財務的な体力が限られる中でも、段階的に取り組める選択肢があります。

中小企業退職金共済(中退共)

国が設立した独立行政法人・勤労者退職金共済機構が運営する共済制度で、中小企業向けの退職金制度として最も普及しています。主な特徴は以下のとおりです。

  • 掛金は月額5,000円〜30,000円(16段階)で設定可能。パート・アルバイトは2,000円からの低額掛金も選択できます。
  • 掛金は全額損金算入(法人の場合)または必要経費(個人事業主の場合)として扱われ、税務上のメリットがあります。
  • 新規加入時は、加入後4ヶ月目から1年間、掛金の2分の1(上限月5,000円)を国が補助します。
  • 退職金は従業員に直接支払われるため、企業の経理処理が簡便です。
  • 一方で、企業都合での解約は原則できない仕組みになっているため、掛金を継続して払える見通しが立ってから加入することが重要です。

iDeCo+(中小事業主掛金納付制度)

従業員が加入しているiDeCo(個人型確定拠出年金)に対して、企業が追加で掛金を拠出できる制度です(通称「iDeCo+」)。従業員数300人以下の企業が対象で、企業側の掛金は全額損金算入が可能です。従業員の老後資産形成を支援する仕組みとして、退職金制度の代替または補完として機能します。

企業型確定拠出年金(企業型DC)

企業が掛金を拠出し、従業員が自ら運用する年金制度です。転職時に年金資産を持ち運べる(ポータビリティが高い)ため、キャリアに柔軟性を求める若い世代にも受け入れられやすい制度です。導入には規約の作成と厚生労働大臣への届出が必要で、運営には一定のコストがかかりますが、従業員の将来設計への関与度を高められるメリットがあります。

選択制DC(給与切り出し型)

給与の一部を従業員の選択によって企業型DCの掛金に振り替える仕組みです。企業が追加の財務負担を抑えながら退職金相当の制度を整えられる点が特徴で、導入企業が増えています。ただし、従業員の給与から切り出す設計になるため、説明と合意形成が不可欠です。

生命保険の活用

養老保険や定期保険(逓増定期保険など)を退職金の原資として積み立てる方法もあります。保険料の一部を損金に算入できるケースがあり、財務戦略と組み合わせて活用されます。ただし、2019年以降の税制改正により節税効果は以前より制限されており、導入前に税理士への確認が必須です。

制度を途中から導入する場合の注意点——過去の勤続年数の扱いと合意形成

退職金制度を新たに導入する場合、特に悩ましいのが「過去の勤続年数をどう扱うか」という問題です。すでに数年・十数年と働いている従業員がいる中で、「制度導入日以降の勤続分のみ対象」とすると、長期勤続者から不満が出ることがあります。

法律上、過去の勤続年数に遡って退職金を付与する義務はありません。ただし、労使関係の安定という観点から、以下のような対応を検討することが実務的には有効です。

  • 制度導入と同時に、過去分の一部を「初期積立金」として付与する:財務的に可能な範囲で、過去勤続分を考慮した初期残高を設定する方法。特に中退共などの共済制度への加入時に検討されます。
  • 経過措置を設ける:勤続年数が長い従業員に対して、制度移行に伴う特別加算などを別途設計する。
  • 導入前に丁寧な説明と意見聴取を行う:就業規則の変更には従業員代表からの意見書が必要ですが、それ以上に全従業員への丁寧な説明が定着と不満防止のカギです。

制度設計に際しては、社会保険労務士や税理士との連携が不可欠です。また、健康経営や職場環境整備との連動として、産業医サービスを組み合わせることで、制度面と健康面の両輪から従業員の安心感を高める取り組みも増えています。

実践ポイント——今日からできる具体的アクション

退職金制度をめぐる対応は、一度に完璧を目指す必要はありません。まず現状を整理し、優先度の高い対応から着手することが重要です。以下に、段階別の実践ポイントをまとめます。

  • 【ステップ1】現状の就業規則を確認する:退職金に関する記載が曖昧・欠落していないかを確認し、「退職金制度は設けない」旨を明記していない場合は速やかに整備する。
  • 【ステップ2】労働条件通知書・求人票を見直す:退職金の有無を明確に記載し、採用時のミスマッチとトラブルリスクを防ぐ。
  • 【ステップ3】代替施策を検討・設計する:給与・福利厚生・キャリア支援など、退職金に代わる「働き続ける動機」を言語化し、社内外に打ち出す。
  • 【ステップ4】中退共などの導入可否を試算する:最低掛金(月5,000円)からシミュレーションし、財務的に無理のない範囲で段階的な導入を検討する。社労士・税理士に相談することを強く推奨します。
  • 【ステップ5】従業員への説明・合意形成を丁寧に行う:どのような対応を取る場合でも、従業員への誠実な説明が信頼関係の土台になります。

まとめ

退職金制度がないこと自体は法律違反ではありませんが、制度がないからこそ「就業規則への明記」「採用時の明示」「代替施策の整備」という実務対応が不可欠です。曖昧な状態を放置することが、退職時のトラブルや採用競争力の低下につながる最大の原因です。

また、制度の導入を検討している場合は、中退共・iDeCo+・企業型DCなど、中小企業でも活用できる選択肢が複数存在します。財務的な体力に応じて段階的に取り組むことが現実的であり、専門家の支援を借りながら自社に合った設計を進めることが成功のカギです。

退職金制度は「あるかないか」だけでなく、「従業員の将来に対してどう向き合うか」という会社の姿勢を示すものでもあります。制度整備と職場環境づくりを両輪で進めることが、優秀な人材の採用・定着と健全な労使関係の構築につながります。

Q. 退職金制度がない場合、就業規則にはどう記載すればよいですか?

「退職金制度は設けない」という旨を就業規則に明確に記載し、従業員に周知することが基本です。記載が曖昧なままだと「制度があるのでは」という誤解を招き、退職時のトラブルにつながるリスクがあります。就業規則の整備・改定にあたっては、社会保険労務士への相談と労働基準監督署への届出が必要です。

Q. 中退共(中小企業退職金共済)は一度加入したら解約できないのですか?

中退共は従業員の権利保護を目的とした制度のため、企業都合による解約は原則できません。業績悪化時に掛金が払えなくなっても解約が難しいケースがあるため、加入前に掛金を継続して支払える財務的な見通しを立てることが重要です。最低掛金(月5,000円)から始め、余裕が生じたら増額するという段階的なアプローチが現実的です。

Q. 長年勤めた従業員に対して、今から退職金制度を導入する場合、過去の勤続年数はどう扱えばよいですか?

法律上、過去の勤続年数に遡って退職金を支給する義務はありません。ただし、長期勤続者の不満を防ぐために、過去分の一部を初期積立金として付与する方法や、経過措置を設けて特別加算を行う方法が実務上取られることがあります。どのような設計にするかは、財務状況と従業員への説明・合意形成のバランスを踏まえて決める必要があり、社会保険労務士への相談を強くお勧めします。

監修・運営:INTERMIND株式会社

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