「退職金制度がない会社は違法?」中小企業が今すぐ見直すべき賃金・退職金制度の落とし穴

「うちの給料の決め方、正直説明できないな」——そう感じている経営者や人事担当者は、決して少なくありません。創業以来の慣習や経営者の感覚で積み上げてきた賃金体系は、会社が小さいうちは問題が顕在化しにくいものです。しかし、従業員数が増え、雇用形態が多様化し、採用競争が激化する今、賃金制度の公平性と透明性は経営課題の最前線に浮上しています。

従業員が「なぜあの人より自分の給料が低いのか」と疑問を持ち始めたとき、根拠を示せなければ不満は不信感に変わります。その不信感は、優秀な人材の離職という形で会社に跳ね返ってきます。さらに、同一労働同一賃金への対応や女性活躍推進法に基づく賃金差異の公表義務など、法的な要請も年々強まっています。

本記事では、中小企業の経営者・人事担当者が今すぐ取り組むべき賃金・退職金制度の整備と情報公開について、法律の要点を押さえながら実務的な視点で解説します。

目次

賃金制度が「属人的」なままでいることのリスク

多くの中小企業では、賃金が「社長の判断」「採用時の交渉」「なんとなくの年功」によって決まっていることが少なくありません。こうした属人的な賃金決定は、短期的には柔軟な対応ができるように見えますが、組織が成長するにつれて深刻な問題を引き起こします。

まず、従業員間の不公平感です。同じ仕事をしているのに給与が違う、勤続年数が短くても中途採用者の方が高い——こうした状況が社内に広まると、モチベーションの低下や離職の引き金になります。特に情報が広まりやすい中小企業では、「隠しているつもり」の給与情報が思いのほか共有されているケースも多いものです。

次に、法的リスクです。労働基準法第89条は、常時10人以上の労働者を使用する事業場に対して、賃金に関する事項を就業規則に明記し、労働基準監督署へ届け出ることを義務づけています。また、2024年4月の労働基準法施行規則改正により、労働契約締結時に明示すべき労働条件の範囲が拡大されました。賃金の根拠を書面で示せない状態は、法令違反のリスクを常に抱えることを意味します。

そして、採用競争上の不利です。2022年の職業安定法改正により、求人票への賃金記載の正確性・明示義務が強化されています。賃金の決まり方が不透明な企業は、求職者からの信頼を得にくく、優秀な人材の獲得でも後れをとりがちです。

同一労働同一賃金への対応——中小企業が最初に理解すべきこと

パートタイム・有期雇用労働法(以下、パート有期法)に基づく同一労働同一賃金の原則は、中小企業にとっても避けられない対応課題です。この法律では、正規雇用労働者と非正規雇用労働者(パート・アルバイト・有期契約社員など)との間で、不合理な待遇差を設けることを禁止しています。

具体的には、パート有期法第8条が均衡待遇(不合理な待遇差の禁止)を、第9条が均等待遇(職務内容・配置変更の範囲が同じ場合の差別的取扱いの禁止)を定めています。対象となる待遇は、基本給・賞与・各種手当・退職金など、金銭的な処遇全般にわたります。

中小企業が特に注意すべきポイントは、説明義務です。パート有期法第14条は、非正規労働者から待遇差の内容・理由について説明を求められた場合、会社は説明しなければならないと定めています。「うちはずっとこうしてきたから」という説明は法的に通用しません。

実務対応として優先すべきは、以下の3つのステップです。

  • 現状の待遇差の洗い出し:正規・非正規を比較し、手当・福利厚生も含めて差異を一覧化する
  • 待遇差の理由の言語化:「職務の範囲」「責任の程度」「配置転換の有無」など、合理的理由を文書で整理する
  • 説明できない差異の是正:合理的理由のない差異は段階的に解消するか、正規への手当廃止ではなく非正規への適用拡大を検討する

なお、待遇格差に関連するストレスや職場の不公平感がメンタルヘルス問題に発展するケースもあります。従業員の相談窓口としてメンタルカウンセリング(EAP)を導入しておくことで、制度整備と並行して職場環境の改善を図ることができます。

賃金テーブルの作成と評価制度との連動

賃金制度の公平性を担保するための第一歩は、賃金テーブルの明文化です。賃金テーブルとは、等級(グレード)ごとに賃金の範囲(レンジ)を定めた一覧表のことです。これを整備することで、「誰がいくらもらえるか」の根拠が組織として共有され、属人的判断が排除されます。

賃金テーブルの設計には、主に3つのモデルがあります。

  • 職能等級制度:従業員の能力・スキルの習熟度を基準に等級を設定する。年功的な運用になりやすいが、中小企業では導入しやすい
  • 職務等級制度(ジョブ型):担当する職務の難易度・責任に応じて等級を設定する。職務記述書(ジョブディスクリプション)の整備が必要
  • 役割等級制度:会社が期待する役割の大きさを基準に設定する。職能と職務の中間的な位置づけで、近年の中小企業に採用が増えている

どのモデルを選ぶかは会社の規模・業種・文化によって異なりますが、重要なのは「等級の定義が明確で、誰もが理解できること」です。

次に欠かせないのが、人事評価制度との連動です。評価結果が昇給・賞与に反映される仕組みがなければ、評価そのものへの信頼が失われ、制度が形骸化します。具体的には以下の連動設計を検討してください。

  • 評価結果に応じた昇給幅のルール化(例:S評価は年5,000円昇給、A評価は3,000円、B評価は2,000円、C評価は据え置きなど)
  • 賞与の支給係数への評価反映(基準額×評価係数で計算)
  • 評価結果のフィードバック面談の制度化(評価と賃金の納得感を高める)

また、賃金水準の妥当性を定期的に確認するために、厚生労働省が毎年公表している「賃金構造基本統計調査」や業界団体のデータと自社水準を比較することをお勧めします。自社の賃金が市場から大きくかけ離れていると、採用・定着の両面で競争力を失います。

退職金制度の整備——「ない」ことのリスクと整備の方法

退職金制度は、法律上の設置義務はありません。しかし、「ない」状態を放置することが法的・経営的リスクになる場合があります。

最も注意すべきは「慣行による退職金」の問題です。就業規則や退職金規程に明記されていなくても、長年にわたって退職者に金銭を支払い続けてきた場合、「慣行として退職金支払い義務が成立している」と裁判所に認定されるリスクがあります。逆に「今まで払ってきたが、規程がないから払わない」と突然打ち切ることも、トラブルの原因となります。

退職金制度を整備する際の実務上の要点は以下のとおりです。

  • 就業規則・退職金規程への明記:支給条件(対象者・勤続年数の要件)、計算方法(基本給連動型か別テーブルか)、支給時期、不支給・減額事由を具体的に記載する
  • 不支給・減額規定の整備:懲戒解雇の場合や競業避止義務違反の場合の取り扱いを明確にする
  • 制度変更時の手続き:退職金の減額・廃止は就業規則の不利益変更(労働契約法第10条)に該当するため、合理的理由と適切な手続きが必要(詳細は社会保険労務士等の専門家にご相談ください)

資金的な負担が課題となる中小企業には、中小企業退職金共済(中退共)の活用が有効な選択肢です。中退共は、中小企業退職金共済法に基づく国の制度で、企業が毎月一定額の掛金を拠出し、退職時に共済機構から従業員へ直接退職金が支払われます。掛金は全額損金算入でき(法人の場合)、会社が運用リスクを負わない点が中小企業に適しています。新規加入時には国からの助成もあります。

また、企業型確定拠出年金(企業型DC)を選択する場合は、確定拠出年金法に基づく規約の整備が必要となり、より複雑な設計が求められます。まずは中退共から始め、会社の成長に合わせて制度を拡充するというアプローチが現実的です。

賃金情報の「公開」はどこまでするべきか——法的要請と実務判断

賃金情報の公開については、「公開すると従業員同士がギスギスするのでは」という懸念を持つ経営者が多くいます。しかし、法的な流れは明らかに「公開・透明化」の方向に向かっています。

まず押さえるべき法改正として、女性活躍推進法に基づく賃金差異の情報公表義務があります。2022年7月から、常時301人以上の労働者を雇用する企業に対して男女の賃金差異の公表が義務化されました。さらに、常時101人以上300人以下の企業への義務拡大についても議論が進んでいるため、中小企業も早期の実態把握が求められます。

また、上場企業では2023年3月期以降、有価証券報告書への人的資本開示が義務化されており、男女賃金格差や育休取得率などの情報開示が求められています。非上場の中小企業であっても、こうした動向は採用市場を通じて間接的に影響してきます。

実務上の重要な原則は、「制度の公開」と「個人の賃金の公開」を明確に区別することです。

  • 公開すべきもの:等級ごとの賃金レンジ(賃金テーブル)、昇給・賞与の評価連動ルール、各種手当の支給基準、退職金の計算方法
  • 非公開とするもの:個々の従業員の具体的な給与額(ただし、従業員本人が自分の情報を開示することは止められない)

制度の枠組みを公開することで、「なぜ自分はこの等級にいるのか」「何を達成すれば昇給するのか」が従業員に伝わります。これはモチベーションの低下どころか、目標の明確化につながることが多いとされています。

なお、賃金差異の問題が社内の人間関係や心理的安全性に影響しているケースでは、産業医サービスを活用して職場環境のアセスメントを行い、制度改革と併せて組織の健康づくりを進めることが有効です。

今日から始める実践ポイント

賃金・退職金制度の整備は、一気に完成させる必要はありません。以下の優先順位で、段階的に取り組むことをお勧めします。

ステップ1:現状の「見える化」から始める

  • 現在の全従業員の賃金を一覧化し、雇用形態・職種・勤続年数別に整理する
  • 正規・非正規間の待遇差を洗い出し、合理的説明ができるかどうかを確認する
  • 退職金の支払い実績・就業規則への記載状況を確認する

ステップ2:制度の骨格を設計する

  • 自社に合った等級モデル(職能・職務・役割)を選択し、等級定義と賃金レンジを設定する
  • 評価結果と昇給・賞与の連動ルールを文書化する
  • 退職金規程(または中退共への加入)を検討し、就業規則に明記する

ステップ3:従業員への説明と運用を整える

  • 賃金テーブルと評価基準を従業員に周知し、フィードバック面談を定期化する
  • 非正規従業員から待遇差の説明を求められた場合の対応フローを整備する
  • 厚生労働省「賃金構造基本統計調査」等で年1回以上、市場賃金との比較を行う

ステップ4:法改正の動向を継続的にウォッチする

  • 女性活躍推進法の賃金差異公表義務の拡大(101人以上への適用)の動向を確認する
  • 求人票への賃金記載に関する職業安定法の運用を確認し、採用活動に反映する
  • 就業規則・退職金規程の変更が必要な場合は、労働者代表の意見聴取(労働基準法第90条)を忘れずに行う

まとめ

賃金・退職金制度の公平性と透明性の確保は、従業員の信頼を守り、優秀な人材を引き留め、法的リスクを回避するための経営の基盤です。「難しそう」「今は手が回らない」と後回しにするほど、問題は複雑になります。

まずは現状の賃金を「見える化」し、説明できない格差がないかを点検するところから始めてください。制度の整備は一度に完成させる必要はありませんが、「根拠を持って説明できる賃金体系」に向けて一歩ずつ進めることが、従業員との信頼関係を築く最も確実な方法です。

また、制度整備の過程で従業員のストレスや不安が顕在化することもあります。そうした場合には、産業医や相談窓口と連携した支援体制を整えておくことで、組織全体の健康を守りながら制度改革を進めることができます。

よくある質問(FAQ)

Q1. 賃金テーブルを作成すると、既存社員の給与を下げなければならないケースが出てきますが、どうすればよいですか?

賃金の引き下げは就業規則の不利益変更(労働契約法第10条)に該当し、合理的な理由と適切な手続き(労働者代表への説明・意見聴取、周知など)がなければ無効となる可能性があります。実務的には、現行の給与を「個人保障額」として維持しながら新制度に移行し、昇給を停止することで自然に新テーブルの範囲内に収める「経過措置」を設けるアプローチが一般的です。具体的な対応については、社会保険労務士などの専門家にご相談ください。

Q2. 退職金規程がない場合、今から作成すると「新たな労働条件の付与」になりますか?それとも不利益変更になりますか?

退職金制度が全くなかった状態から新たに規程を作成することは、原則として従業員に有利な変更(労働条件の付与)となり、不利益変更には該当しません。ただし、過去に慣行として退職金を支払ってきた場合は「慣行による退職金請求権」が成立している可能性があり、新規程の内容によっては不利益変更と判断されるケースもあります。過去の支払い実績がある場合は、社会保険労務士などの専門家に相談のうえ、その水準を踏まえた規程設計を行うことをお勧めします。

Q3. 同一労働同一賃金の観点から、パート社員に退職金を支払う義務はありますか?

一概に「義務がある」とは言えませんが、パート有期法第8条に基づき、正規社員との職務内容・責任・配置変更の範囲を比較したうえで、不合理な差異がある場合は是正が求められます。厚生労働省のガイドライン(同一労働同一賃金ガイドライン)では、退職金についても「正規との職務内容等の違いに応じた支給が必要」とされています。すべてのパート社員に同額を支払う必要はありませんが、「パートだから一切支払わない」という一律の取り扱いは、合理的な理由の説明ができない場合に問題となり得ます。個別の判断については、社会保険労務士などの専門家にご相談ください。

労務管理の課題を抱える企業様には、INTERMINDの産業医サービスをご検討ください。産業医と連携した従業員の健康管理体制を構築できます。

産業医・メンタルヘルスのご相談はお気軽に

まずは資料請求・無料相談から。専任担当がサポートします。

目次