社員が病気になったとき、会社はどう対応すればよいのか——。この問いに対して、明確な答えを持っている中小企業はまだ多くありません。がんや脳卒中、糖尿病、難病など、長期的な治療を要する疾患を抱えながら働き続ける人は年々増加しています。厚生労働省の調査によれば、がん患者の約3人に1人は就労世代(20〜64歳)であり、治療と仕事の両立は今や特別なケースではなく、多くの企業が直面しうる現実的な課題です。
しかし、人事担当者や経営者からは「どこまで配慮すればよいかわからない」「就業規則が整備されていない」「同僚の不満をどう抑えればよいか」といった声が絶えません。大企業と違い、中小企業は代替要員の確保が難しく、一人の離脱が事業に直接的なダメージを与えることもあります。だからといって、不適切な対応をとれば不当解雇リスクや法的トラブルに発展する恐れもあります。
本記事では、治療と仕事の両立支援に関わる法律・制度の基礎知識から、中小企業でも実践できる具体的なサポート体制の整備方法まで、順を追って解説します。「何から手をつければよいかわからない」という方にも、実務に直結する情報をお届けします。
治療と仕事の両立支援とは何か:基本的な考え方と対象疾患
「治療と仕事の両立支援」とは、病気を抱えながらも働く意欲と能力を持つ労働者が、安心して就労を継続できるよう、会社・医療機関・支援機関が連携してサポートする取り組みを指します。
厚生労働省は2016年に「事業場における治療と仕事の両立支援のためのガイドライン」を策定し、その後も随時改定を重ねています。同ガイドラインが対象とする主な疾患は以下のとおりです。
- がん(悪性腫瘍)
- 脳卒中(脳梗塞・脳出血など)
- 心疾患(心筋梗塞など)
- 糖尿病
- 肝疾患(肝炎など)
- 難病(指定難病を含む)
- メンタルヘルス疾患(うつ病・適応障害など)
これらの疾患に共通するのは、「完治」ではなく「治療を続けながら生活する」という長期的な経過をたどるという点です。定期的な通院や副作用による体調変動、入退院の繰り返しなど、働き方への影響が断続的に生じます。そのため、「治ったら復帰」という従来の休職モデルだけでは対応しきれず、柔軟な就労継続支援の仕組みが求められています。
また、障害者雇用促進法(2016年改正)では、がんや難病で障害認定を受けた場合に、会社が合理的配慮(過度な負担なく可能な範囲での職場環境整備)を提供する義務が定められています。「合理的配慮」とは難しく聞こえますが、簡単にいえば「本人が働き続けられるよう、実情に応じた調整をする」ということです。
会社が知っておくべき法律上のリスクと義務
治療中の社員への対応を誤ると、法的なリスクに直結します。まず押さえておくべき法律上の要点を整理します。
解雇・雇用終了のリスク
労働契約法第16条は、「客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当と認められない解雇は無効とする」と定めています。治療中であっても、就業が可能な状態にある社員を一方的に解雇することは、不当解雇と判断されるリスクが高く、損害賠償請求や労働審判に発展するケースもあります。
よくある誤解として、「がんと診断されたのだから退職・解雇は仕方ない」という認識がありますが、これは誤りです。就業可能な状態での解雇は法的に問題となる可能性が高く、慎重な判断が必要です。
健康情報の適正管理義務
個人情報保護法および労働安全衛生法第104条は、社員の健康情報(疾患名・治療内容・検査結果など)を適切に管理することを会社に義務づけています。本人の同意なく、上司や同僚に病名や治療内容を開示することは、個人情報の不適切な取り扱いとして問題になる場合があります。
「上司が知らないと業務調整できない」という実務上の困難はありますが、開示する情報の範囲・相手・目的を本人と事前に合意しておくことが大原則です。
産業医・産業保健に関する義務
労働安全衛生法では、常時50人以上の労働者を使用する事業場において、産業医の選任と定期健康診断の実施が義務づけられています。一方、50人未満の中小企業については産業医選任義務はありませんが、後述する地域産業保健センターを無料で活用できる制度があります。「産業医は大企業のもの」という認識は誤りです。
中小企業でも整備できる:サポート体制の4つの柱
大企業のように専任スタッフや潤沢な予算がなくても、基本的な体制は整えることができます。以下の4つの柱を順番に取り組むことをお勧めします。
① 就業規則への明記:ルールを「見える化」する
最初に取り組むべきは、就業規則への明確な規定化です。「なんとなく運用している」状態は、本人にとっても会社にとっても不安定な状況を生みます。具体的に盛り込むべき内容は以下のとおりです。
- 休職期間の上限と延長要件(例:勤続年数に応じた休職期間の設定)
- 時短勤務・勤務時間変更の適用条件と手続き
- フレックスタイム制・テレワークの適用範囲
- 復職時の試し出勤・段階的復帰の手順
- 傷病手当金との関係(無給休職中の社会保険料負担等)
規則があることで、「あの人だけ特別扱い」という同僚の不満も、「制度として存在する」という説明で緩和しやすくなります。
② 相談窓口の設置と周知:「言える環境」をつくる
病気の社員が遠慮して相談できずに症状が悪化したり、突然の長期離脱に至ったりするケースは少なくありません。誰に・何を相談すればよいかを社員が把握しているだけで、早期対応が可能になります。
窓口担当者を明確にし(人事担当者・管理職・産業医など)、その情報を入社時や毎年の研修等で周知しましょう。相談内容の守秘義務についても明示することで、社員が安心して申し出やすくなります。
③ 両立支援プランの作成:三者が合意した書面を残す
厚生労働省のガイドラインが推奨する「両立支援プラン」とは、本人・会社・医療機関(主治医)の三者が内容を確認・合意した上で作成する文書です。以下の項目を盛り込むことが一般的です。
- 就業上の措置の内容(時短勤務・業務内容の変更・通院のための半休取得など)
- 措置の期間(目安として3〜6ヶ月ごとに見直し)
- フォローアップの方法と頻度
- 主治医への情報提供・意見書取得の方法
- 緊急時の対応方針
プランを文書化しておくことで、担当者が変わっても対応が引き継がれ、本人・会社双方にとって安心感が生まれます。
④ 情報管理ルールの明確化:健康情報の取り扱いを整える
健康情報は最も機密性の高い個人情報のひとつです。以下のルールを会社として定め、文書化しておきましょう。
- 健康情報にアクセスできる人の範囲を人事部門等に限定する
- 上司・同僚への情報共有は本人の書面同意を得た上で行う
- 共有する内容は「業務上必要な制限事項」に絞り、病名や詳細な治療内容は原則として非開示とする
- 情報管理の責任者を明確にする
無料で使える:中小企業向け支援機関とお金の制度
「サポート体制を整えたいが、コストが心配」という声は多いです。しかし、中小企業が活用できる無料の相談機関や経済的支援制度は複数存在します。
無料で利用できる相談機関
産業保健総合支援センター(各都道府県に設置)では、中小企業向けに産業保健に関する相談・情報提供・研修を無料で提供しています。両立支援に詳しいスタッフへの相談も可能です。
また、常時50人未満の小規模事業場向けには地域産業保健センターが設置されており、産業医による健康相談や保健指導を無料で受けることができます。「産業医を選任する義務がないから相談先がない」という状況は解消できます。
両立支援コーディネーターは、医療機関や産業保健総合支援センターに配置されている専門職で、社員・会社・医療機関の橋渡し役として機能します。「主治医と会社の間で誰が調整するのか」という悩みに対して、この仕組みを活用することで円滑な連携が可能になります。
社員が利用できる経済的支援制度
治療中の社員が活用できる主な経済的支援制度として、以下のものがあります。人事担当者として把握し、必要に応じて案内できるようにしておきましょう。
- 傷病手当金(健康保険):業務外の病気やケガで休業した場合、休業4日目から最長1年6ヶ月、標準報酬日額の3分の2が支給されます。給与の代わりとなる重要な制度です。
- 高額療養費制度:月の医療費自己負担が一定額(所得に応じた上限額)を超えた場合、超過分が払い戻されます。治療費の負担軽減に直結します。
- 障害年金:一定の障害状態にある場合に申請が可能で、就労中であっても条件を満たせば受給できます。手続きに専門知識が必要なため、社会保険労務士への相談を案内するとよいでしょう。
会社側が活用できる助成金
厚生労働省が所管する両立支援等助成金(名称・内容は年度によって変更される場合があります)では、治療と仕事の両立支援に取り組む企業が一定の制度を整備・運用した場合に助成が受けられます。最新の対象要件や金額は、都道府県労働局またはハローワークでご確認ください。
実践ポイント:個別対応で押さえるべき5つのこと
制度・体制を整えた上で、実際の個別対応において重要なポイントをまとめます。
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本人の意向を最優先する
「働き続けたい」のか「しばらく休みたい」のかは、まず本人の声を丁寧に確認することが出発点です。会社側の都合で一方的に就業制限や休職を命じることは、本人の意欲をそぎ、信頼関係を損なうリスクがあります。 -
主治医意見書の取得と産業医面談の実施
就業可否や業務制限の内容は、医学的根拠に基づいて判断する必要があります。主治医に意見書の作成を依頼し(費用は会社負担が望ましい)、産業医や地域産業保健センターの医師と連携して就業上の措置を決定します。「感覚的な判断」を避けることが、双方にとっての保護になります。 -
治療スケジュールに合わせた柔軟な勤務調整
抗がん剤治療であれば「投与から数日後に副作用が出やすい」など、治療の特性に応じた休暇・時短の取り方が有効です。通院日の半休取得、フレックスタイムの活用、可能であればテレワークの組み合わせなど、具体的な選択肢を本人と一緒に考えましょう。 -
定期的なフォローアップを仕組み化する
状況は変化します。3ヶ月ごとなど定期的な面談・確認の機会を設け、両立支援プランを随時見直す体制をつくることで、問題の早期発見と対応が可能になります。 -
職場の同僚への説明は本人同意を得た上で慎重に行う
業務分担の変更などにより周囲の負担が増える場合、同僚への丁寧な説明は不可欠です。ただし、開示する内容は本人の同意を得た範囲に限定し、「制度として対応している」という会社の姿勢を示すことが、不公平感の軽減につながります。
まとめ:「前例がない」を理由にしない体制づくりを
治療と仕事の両立支援は、社員個人の問題ではなく、会社として取り組むべき経営課題です。適切なサポート体制を整えることは、人材の定着・確保、職場全体の心理的安全性の向上、そして法的リスクの回避という観点からも、中小企業にとって重要な意味を持ちます。
「前例がない」「専門知識がない」「費用がない」——これらの不安は、多くの中小企業が抱える共通の悩みです。しかし、産業保健総合支援センターや地域産業保健センターなど、無料で活用できる相談機関は充実しています。まずは最寄りのセンターに相談することから始めてみてください。
完璧な体制を一度に構築する必要はありません。就業規則への明記、相談窓口の設置、両立支援プランの作成、健康情報の管理ルール整備——この4つを順番に取り組むだけでも、会社として社員に向き合う姿勢は大きく変わります。
病気になっても働き続けられる職場は、すべての社員にとって安心できる環境です。それは、採用競争が激化する今の時代において、会社の魅力そのものにもなり得ます。今日からできる一歩を、ぜひ踏み出してみてください。
よくある質問
Q1: 治療と仕事の両立支援の対象になるのはどんな病気ですか?
がんや脳卒中、心疾患、糖尿病、肝疾患、難病、メンタルヘルス疾患など、完治ではなく治療を続けながら生活する長期的な疾患が対象です。定期的な通院や体調変動がありながらも、本人に働く意欲と能力がある場合が想定されています。
Q2: 病気の社員を解雇することはできますか?
治療中であっても就業が可能な状態にある社員を一方的に解雇することは、不当解雇と判断されるリスクが高く、損害賠償請求や労働審判に発展する可能性があります。慎重な対応が必要です。
Q3: 中小企業でも産業医の制度を利用できますか?
50人未満の中小企業は産業医選任義務がありませんが、地域産業保健センターを無料で活用できます。「産業医は大企業のもの」という認識は誤りで、中小企業でも利用可能な支援制度があります。
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