「がんの治療を続けながら働きたい」「透析通院があるが、できれば仕事を辞めたくない」——こうした声を持つ従業員が職場にいたとき、あなたの会社はどう対応しますか。
実は、治療と仕事の両立支援に関する公的ガイドラインや活用できる制度は数多く整備されています。しかし中小企業の現場では、「そもそも制度を知らなかった」「どこまで対応すれば良いか分からず、場当たり的になってしまった」という声が後を絶ちません。
対応を誤ると、解雇無効の訴訟リスクや優秀な人材の離職につながる恐れがあります。一方、適切な支援体制を整えることは、採用コストの削減や職場全体の士気向上にも直結します。本記事では、中小企業の経営者・人事担当者が今すぐ実践できる両立支援の基本から具体的な対応手順までを、法的根拠を交えながら解説します。
「治療と仕事の両立支援」とは何か——制度の全体像を把握する
治療と仕事の両立支援とは、病気を抱えながらも働き続けたいと希望する従業員が、適切な治療を受けながら職業生活を継続できるよう、企業が環境を整える取り組みのことです。
厚生労働省は2016年に「事業場における治療と仕事の両立支援のためのガイドライン」を策定し、その後も改訂を重ねています。このガイドラインでは、企業・医療機関・労働者それぞれの役割を明確に示しており、実務の拠り所となる重要な指針です。
また、法律面では以下の根拠が企業の対応義務を裏付けています。
- 労働契約法第5条(安全配慮義務):使用者は労働者の生命・身体・健康を危険から保護するよう配慮する義務を負います。体調不良のサインがある従業員に声もかけず放置することは、この義務違反と評価される可能性があります。
- 労働安全衛生法:健康診断の実施、産業医の選任、就業上の措置義務などを定めています。
- 障害者雇用促進法:がんや難病が一定の条件を満たす場合、障害者手帳の取得が可能となり、企業には「合理的配慮」の提供義務が生じるケースがあります。
対象となる疾患は特定の病気に限られず、がん・脳卒中・心疾患・糖尿病・精神疾患・難病など、長期にわたる治療が必要なあらゆる疾病が含まれます。「自分の会社には関係ない」と考えている経営者も、実際にはいつ直面するかわからない問題です。
中小企業が特に直面しやすい4つの課題
①「どこまで配慮すれば良いか」の判断基準がない
もっとも多い悩みが、配慮の範囲をめぐる判断の難しさです。「配慮=何でもOK」と過剰対応してしまうと、他の従業員の不公平感や業務混乱を招きます。逆に「配慮が足りなかった」と後から指摘されることも恐れています。
基本的な考え方は、配慮は「業務の遂行が可能な範囲」で行うものという点です。無理のない範囲で業務量・勤務時間・勤務場所を調整することが求められますが、業務の根幹を揺るがすほどの対応は必須ではありません。主治医の意見や産業医のアドバイスをもとに、個別に判断することが重要です。
②就業規則に治療への対応規定がない
治療のための頻繁な遅刻・早退・欠勤をどう扱うか、多くの中小企業の就業規則では想定されていません。明確なルールがないまま運用すると、人によって対応が異なる属人的な判断になりがちで、後にトラブルの原因となります。
③医療機関・専門家との連携方法がわからない
従業員50人未満の事業場は産業医の選任義務がなく、専門的な医療知識なしに対応を迫られます。「主治医に直接電話していいのか」「診断書以外に何を求めれば良いのか」といった基本的な手順すら不明な担当者も少なくありません。
④本人が病状を開示したがらないケースへの対応
従業員が「職場に知られたくない」と考えている場合、どこまで情報を収集・共有して良いのかの判断に迷います。病状・治療内容は要配慮個人情報(個人情報保護法)に該当するため、本人の同意なく第三者に提供することはできません。情報管理のルール整備も不可欠です。
具体的な対応フローと活用できる制度・支援
対応の基本フローを押さえる
治療と仕事の両立支援における標準的な対応フローは以下のとおりです。
- ステップ1:本人からの申し出または会社からの声がけ——体調不良のサインがある場合、会社側から丁寧に状況を確認することも安全配慮義務の観点から重要です。
- ステップ2:会社が「勤務情報提供書」を作成し、本人経由で主治医へ提出——業務内容・勤務時間・職場環境などを医師に伝え、就労可否の判断材料とします。
- ステップ3:主治医が「主治医意見書」を作成し、本人経由で会社へ提出——必ず本人を通じて取得することがプライバシー保護の原則です。
- ステップ4:産業医等が「就業上の措置・両立支援プラン」を策定——具体的な勤務調整内容(短時間勤務、時差出勤、テレワーク等)を文書化します。
- ステップ5:定期的な見直し——月1回程度の面談を通じて、治療状況の変化に応じてプランを柔軟に修正します。
傷病手当金の仕組みを正しく理解する
治療のために働けない期間が生じた場合、傷病手当金(健康保険)が従業員の生活を支えます。業務外の病気やケガで休業した場合、連続して3日間休んだ後の4日目から、最長1年6ヶ月にわたり標準報酬日額の3分の2相当額が支給されます。
よくある誤解として、「傷病手当金は会社が申請するもの」と思っている担当者がいますが、正しくは本人(または会社を通じて)が協会けんぽや健康保険組合へ申請するものです。会社の役割は申請書の「事業主証明欄」への記入であり、従業員本人に申請方法を早めに案内することが親切な対応といえます。
産業医がいない企業が使える無料相談窓口
産業医の選任義務がない50人未満の事業場でも、専門家のサポートを無料で受けられる仕組みがあります。産業保健総合支援センター(さんぽセンター)は全国の都道府県に設置されており、産業保健に関する相談・情報提供・専門家派遣などを無料で行っています。まずはここに連絡することが、医療機関連携の第一歩になります。
また、両立支援コーディネーターという専門職の活用も有効です。社会保険労務士・看護師・医療ソーシャルワーカーなどが担い、病院・企業・本人の三者間の調整役を果たします。がん診療連携拠点病院や勤労者医療センターに設置されているケースが多く、従業員が通院している医療機関に確認してみることをお勧めします。
なお、嘱託産業医との契約を検討している場合は、産業医サービスを活用することで、選任義務のない規模の企業でも専門的なサポートを受けることができます。
助成金制度も見逃さない
両立支援促進助成金(雇用関係助成金)は、両立支援のための環境整備や個別支援計画の策定に取り組んだ企業に対して助成が行われる制度です。具体的な支給要件や金額は年度ごとに変更される場合があるため、厚生労働省または都道府県労働局への確認をお勧めします。
就業規則と社内制度の整備——今すぐ着手できる実務ポイント
「傷病休暇制度」と時間単位有給の導入
通院や体調不良のために、従業員が1日単位の有給休暇を消費し続けてしまうケースは少なくありません。有給休暇が枯渇すると欠勤扱いとなり、収入減少から退職につながるという悪循環が起きます。
これを防ぐ手段として有効なのが、傷病休暇制度(有給の短時間休暇)の新設です。例えば「通院のため年間○日(または○時間)を有給で取得できる」といった規定を設けることで、有給休暇の消耗を抑えられます。
また、労働基準法第39条第4項に基づく時間単位の有給取得も有効です。これは労使協定を締結することで、1時間単位で有給休暇を取得できるようにする仕組みです。通院後に出勤するような場合に特に役立ちます。
休職以外の「働き方の選択肢」を就業規則に明記する
従業員が病気になったとき、選択肢が「フルタイム勤務」か「休職」の二択しかないと、本人も会社も困ります。以下の制度を就業規則に明記することで、実態に合った柔軟な対応が可能になります。
- 短時間勤務制度:治療やリハビリ期間中、所定労働時間を一時的に短縮できる規定
- 時差出勤制度:通院時間に合わせて始業・終業時刻をずらせる制度
- テレワーク(在宅勤務)制度:通勤負担を軽減しながら業務継続できる選択肢
- 試し出勤(リハビリ勤務)制度:休職から本格復職の前段階として、段階的に出勤できる制度
これらを整備しておくことで、「退職してもらうしかない」という誤った判断を防ぎ、合理的配慮の検討をせずに退職勧奨した場合のリスク——解雇無効・損害賠償——も回避できます。
管理職への研修を忘れない
制度を整備しても、現場の管理職に知識がなければ機能しません。病気を抱える部下への不用意な発言(「早く治してね」「いつ復帰できるの?」の繰り返しなど)がハラスメントと評価されるリスクもあります。管理職向けのガイドブック整備や研修の実施は、制度整備と並行して進めることが重要です。
また、周囲の従業員への業務分担の見直しも丁寧に行いましょう。配慮を受ける本人だけでなく、サポートする側の従業員の負担にも目を向けることが、職場全体の公平感の維持につながります。
よくある誤解と、対応を誤った場合のリスク
実務上、特に注意が必要な誤解を整理します。
- 「休職期間満了=自動退職と就業規則に定めれば問題ない」——休職期間の設定が短すぎる場合、合理的な配慮を欠くとして無効と判断された裁判例があります。期間設定は慎重に行う必要があります。
- 「医師の診断書があれば全て対応しなければならない」——診断書は就業可否の判断材料の一つですが、最終的な就業上の措置は会社が産業医等の意見を踏まえて判断します。診断書の内容をそのまま全て実施する義務はありません。
- 「本人が申し出ないから会社は何もしなくて良い」——体調不良のサインが見られる場合、会社側から丁寧に声をかけることが安全配慮義務の観点から求められます。申し出がないことは「問題がない」とは同義ではありません。
- 「傷病手当金は会社が申請するもの」——再掲になりますが、申請の主体は本人です。会社は証明欄の記入を担います。
精神疾患を抱える従業員への対応でも、誤った対応が症状の悪化や訴訟リスクにつながることがあります。メンタルヘルスの問題が疑われるケースでは、メンタルカウンセリング(EAP)の活用も従業員の早期回復と職場復帰を支える有効な手段です。
実践ポイントまとめ——今日から始める両立支援の3ステップ
制度・法律・フローと多くの情報をお伝えしてきましたが、最初から全てを完璧に整備する必要はありません。まず以下の3ステップから着手することをお勧めします。
- ステップ1:現状の就業規則を見直す——傷病に関する規定、休職期間の設定、復職基準が明文化されているか確認します。不備があれば社会保険労務士に相談しながら改定しましょう。
- ステップ2:産業保健総合支援センター(さんぽセンター)に相談する——産業医がいない企業でも無料で専門家のアドバイスが受けられます。まずは電話一本から始めてください。
- ステップ3:管理職に向けた情報共有を行う——厚生労働省のガイドラインや社内の連絡フローを管理職に周知するだけでも、現場の初動対応は大きく変わります。
治療と仕事の両立支援は、病気を抱えた一人の従業員のためだけの取り組みではありません。「いつでも安心して治療を受けながら働ける職場」という評判は、採用力の向上や離職率の低下にも直結する、中長期的な経営戦略です。対応のコストを「負担」としてではなく、「人材への投資」として捉え直すことが、今後の企業競争力を左右するポイントになるかもしれません。
まとめ
治療と仕事の両立支援は、法律・制度・実務の三つの側面から体系的に整備していく必要があります。中小企業だからこそ、一人の人材を失うコストは大きく、だからこそ早めの制度整備が経営上の合理的な判断といえます。
まずは厚生労働省のガイドラインに目を通し、産業保健総合支援センターへの相談、就業規則の見直しを順に進めてみてください。一歩一歩着実に整備することが、従業員と会社双方を守ることにつながります。
Q. 従業員が病気であることを他の社員に伝えても良いですか?
A. 病状・治療内容は個人情報保護法上の「要配慮個人情報」に該当します。本人の同意なく他の従業員に開示することは原則として認められません。情報を共有する範囲(例:直属の上司のみ)についても、事前に本人と合意を取り文書化しておくことが重要です。
Q. 産業医がいない会社でも両立支援は対応できますか?
A. 対応できます。従業員50人未満の事業場は産業医の選任義務はありませんが、都道府県の産業保健総合支援センター(さんぽセンター)が無料で相談に応じています。また、嘱託産業医との契約や、両立支援コーディネーターが在籍する医療機関との連携も有効な手段です。
Q. 従業員が「病気のことは職場に知らせたくない」と言っています。それでも会社は対応が必要ですか?
A. 本人の意向は最大限尊重する必要があります。ただし、体調不良のサインがある場合に会社が何も対応しないことは安全配慮義務違反とみなされるリスクがあります。情報共有の範囲を最小限にする、匿名での相談窓口を設けるなど、本人が開示しやすい環境を整える工夫が大切です。







