社員が病気やメンタル不調で休職した際、多くの中小企業の人事担当者が最初に直面するのは「給与はどうすればいいのか」「社会保険料はだれが払うのか」という実務的な疑問です。休職制度は法律で細かく定められているわけではなく、会社ごとの就業規則と複数の法令が複雑に絡み合います。対応を誤ると、従業員との信頼関係が損なわれるだけでなく、保険料の滞納や行政上のトラブルに発展するリスクもあります。
本記事では、休職中の給与・保険料の取り扱いについて、法律の根拠から具体的な実務手順まで体系的に解説します。社内の担当者が兼務で対応している中小企業でも、この記事を読めば必要な手続きの全体像を把握できるよう構成しています。
休職中の給与支払い義務はあるのか
結論から述べると、労働基準法には私傷病(業務外の傷病)による休職中の給与支払いを義務づける規定はありません。給与を有給とするか無給とするかは、就業規則や雇用契約の定めによって決まります。多くの企業では、私傷病による休職は無給または最初の一定期間のみ有給としています。
ただし、業務上の災害(労災)による休職は別扱いです。この場合、労働者災害補償保険(労災保険)から休業補償給付として賃金の60%相当額が支給されます。さらに会社が就業規則で上乗せを定めている場合を除き、会社が直接給与を支払う義務は原則として発生しません。
注意すべき点は、「無給だから何もしなくてよい」という思い込みが最大の失敗の原因になることです。給与がゼロでも社会保険料や住民税の手続きは発生し続けます。以降の項目で詳しく確認していきましょう。
傷病手当金の仕組みと会社が果たすべき役割
私傷病で休職した従業員が無給になった場合、生活の支えとなるのが傷病手当金です。これは健康保険(協会けんぽまたは健康保険組合)の給付制度であり、以下の要件をすべて満たした場合に支給されます。
- 業務外の傷病による療養であること
- 療養のために就労が不能な状態であること
- 連続する3日間の待期期間(その3日間は給付対象外)が完成していること
- 休業期間中に給与の支払いがないこと(一部支給の場合は差額支給)
支給額は標準報酬日額(直近12ヵ月の標準報酬月額の平均を30で割った額)の3分の2です。支給期間は、2022年1月の健康保険法改正により「支給開始日から通算1年6ヵ月」となりました(改正前は暦日で計算していたため、実質的に途中出勤があると期間が延びる仕組みに変わっています)。
申請の主体は従業員本人です。「会社が申請してあげるもの」という誤解がよく見られますが、健康保険傷病手当金支給申請書を記入・提出するのは被保険者本人です。会社の役割は、申請書中の事業主記入欄に出勤状況と給与支払いの有無を正確に記載することです。
実務上のポイントは、申請が通常1〜3ヵ月ごとに必要であることを本人に事前に周知しておくことです。担当者が手続きのサポート方法を知らないまま放置すると、給付の受け取りが遅れて従業員の生活が困窮し、会社への不満につながります。休職開始時に申請の流れを書面で説明しておくことを強くお勧めします。
傷病手当金の手続きや従業員への説明に不安がある場合は、メンタルカウンセリング(EAP)のような外部専門機関のサポートを活用することも有効な選択肢です。
給与ゼロの月の社会保険料・住民税の実務処理
社会保険料(健康保険・厚生年金)の取り扱い
休職中であっても、社会保険(健康保険・厚生年金)の被保険者資格は継続します。つまり、保険料の会社負担分・本人負担分ともに毎月発生し続けます。「休職したら社会保険を抜ければいい」という声を聞くことがありますが、在籍している限り資格を喪失させることはできません。
問題は、給与がゼロの月に本人負担分を天引きできないことです。この場合の実務的な処理方法は主に2つあります。
- 会社が立替払いをして、復職後の給与から一括または分割で回収する:1ヵ月分ずつの分割徴収が一般的です。
- 毎月本人に請求書を発行し、直接振込で納付してもらう:長期化が見込まれる場合に有効です。
どちらの方法を採用するにしても、休職開始前に本人と書面で確認・合意しておくことが不可欠です。後になって「そんな話は聞いていない」というトラブルを防ぐためです。また、立替分を記録しておかないと、復職時の回収計算が煩雑になります。
なお、育児休業中には社会保険料が免除される制度がありますが、私傷病による休職には同様の免除制度は適用されません。この点は特に誤解が多いため注意が必要です。
雇用保険料の取り扱い
雇用保険料は給与額に応じて計算されるため、給与がゼロの月は保険料もゼロになります。特別な手続きは原則不要です。また、在籍中は失業給付の対象外であるため、雇用保険関係で特段の申請を行う必要もありません。
住民税の処理
住民税は前年の所得に基づいて課税されるため、休職中も納税義務は継続します。通常は毎月の給与から特別徴収(天引き)されますが、給与がゼロになると天引きができなくなります。
この場合は普通徴収への切替手続きが必要です。具体的には、市区町村に対して「給与支払報告・特別徴収に係る給与所得者異動届出書」を提出し、本人が自分で納付する形に変更します。この手続きを怠ると、住民税の徴収漏れが生じ、後に一括請求となって本人に大きな負担がかかることがあります。速やかな対応を心がけてください。復職時には特別徴収への再切替手続きも必要です。
就業規則の休職規程を整備する重要性
休職制度は法律で義務づけられたものではありませんが、就業規則に明記しておくことは実務上ほぼ必須です。規程がなければ、休職期間の上限・給与の有無・社会保険料の扱い・復職条件・復職できなかった場合の扱いなど、すべてが都度判断となり、従業員との認識齟齬(そご、つまり意見のすれ違い)やトラブルの温床になります。
就業規則の休職規程に盛り込むべき主な事項は以下の通りです。
- 休職事由(私傷病、精神疾患、業務外傷病など)
- 休職期間の上限と延長の可否・条件
- 休職中の給与の有無(有給期間がある場合はその期間と金額)
- 社会保険料の本人負担分の支払い方法
- 休職期間満了時の取り扱い(自然退職か解雇か)
- 復職条件(医師・産業医の意見書の提出など)
- 復職後の就業条件(試し出勤・職務変更の可否など)
特に「休職期間が満了しても復職できない場合は自然退職とする」旨の条項は、後のトラブル回避のために重要です。ただし、この規定を設ける際は、期間設定が合理的であること、本人への事前通知が適切に行われることが求められます。
復職判断と長期休職への対応
復職可否の判断基準
復職の可否判断は、主治医の診断書だけで決定するのではなく、産業医または産業保健スタッフの意見を踏まえて行うことが望まれます。主治医は治療の観点から「職場復帰可能」と判断することがありますが、実際の業務遂行能力や職場環境への適応可能性とは別問題です。
厚生労働省の「心の健康問題により休業した労働者の職場復帰支援の手引き」では、段階的な復職支援(試し出勤制度など)が推奨されています。こうした仕組みを就業規則や社内ルールとして整備しておくことで、復職後の再休職リスクを下げることができます。復職判断に課題を感じている企業は、産業医サービスの導入を検討することも有効です。
長期休職への対応
休職が長期化する場合は、休職期間満了の1〜2ヵ月前に書面で本人に通知し、復職見込みを確認することが必要です。この通知なく突然「退職」扱いにすると、不当解雇として争われるリスクがあります。
また、標準報酬月額(社会保険料の算定基礎となる月額)は、休職中は変動しないため月額変更届(随時改定)の対象にはなりません。しかし復職後に給与額が変わった場合は、3ヵ月後に変更要件を確認する必要があります。
休職開始時に必ず行う実践チェックリスト
以下は、従業員が休職に入る際に人事担当者が確認・実施すべき事項を整理したものです。中小企業では担当者が兼務であることも多く、漏れ・遅れが起きやすいため、チェックリストとして活用してください。
- 就業規則の休職規定の内容を書面で本人に説明する
- 休職中の給与支払いの有無と期間を確認・通知する
- 傷病手当金の申請方法・スケジュールを書面で案内する
- 社会保険料(本人負担分)の支払い方法を書面で合意する(振込・復職後一括等)
- 住民税の普通徴収への切替手続きを市区町村に届け出る
- 事業主記入欄の記載義務を担当者間で共有する
- 休職開始日・期間満了予定日を社内で記録・管理する
- 復職支援の流れ(産業医面談・試し出勤等)をあらかじめ説明しておく
これらの手続きを休職開始時にまとめて対応することで、担当者の後追い作業を最小限に抑えることができます。
まとめ
休職中の給与・保険料の取り扱いは、複数の法令と社内規程が交差する複雑な領域です。要点を整理すると以下の通りです。
- 私傷病休職中の給与支払い義務は法律上なく、就業規則の定めによる
- 傷病手当金は本人が申請するもので、会社は証明欄の記載を適切に行う
- 休職中も社会保険の被保険者資格は継続し、保険料は発生し続ける
- 給与ゼロの月の保険料・住民税については、休職前に本人と書面で合意しておく
- 就業規則に休職規程がない企業は早急に整備が必要
- 復職判断は主治医だけでなく産業医の意見も踏まえて行う
中小企業では制度整備が後回しになりがちですが、一度トラブルが起きると解決に多大な時間とコストがかかります。休職者が出たタイミングを契機に、就業規則の見直しと実務フローの整備を進めることが、会社と従業員双方にとって最善の対応といえるでしょう。
よくある質問(FAQ)
休職中に有給休暇を取得させることはできますか?
法律上の明確な禁止規定はありませんが、休職と有給休暇は性質が異なります。一般的には、休職開始前に残っている有給休暇をまず消化してから休職に入る扱いとするか、休職中は有給休暇の請求を認めないと就業規則に明記しておくことが実務上のトラブル防止につながります。自社の就業規則の記載内容を確認し、曖昧な場合は規定を整備しておくことをお勧めします。
休職期間中に標準報酬月額は変わりますか?
休職中は給与がゼロまたは減額されていても、それだけを理由に月額変更届(随時改定)は必要ありません。標準報酬月額は休職前の金額のまま継続されます。ただし、復職後に給与が変動した場合は、復職後3ヵ月の報酬を確認し、随時改定の要件(2等級以上の差など)を満たしているかチェックする必要があります。
休職者の社会保険料を会社が立替えたまま本人が退職してしまった場合はどうなりますか?
退職時に未回収の立替保険料がある場合は、退職時に支払う給与・退職金などから控除するか、退職後に本人へ直接請求することになります。退職後の回収は困難になるケースもあるため、休職開始時に「保険料の支払い方法と未払い時の対応」を書面で合意しておくことが重要です。金額が大きい場合は法的手段を検討することもありえますが、まずは未払いが生じないよう定期的な請求と確認を行うことが現実的な対策です。







