「毎年ストレスチェックを実施しているが、それだけで終わっている気がする」「受検率が低くて困っている」「高ストレス者が出たが、どう対応すればいいのか分からない」——中小企業の経営者や人事担当者から、こうした声をよく耳にします。
ストレスチェック制度は2015年12月に労働安全衛生法第66条の10に基づいて施行されました。常時50人以上の労働者を使用する事業場には毎年1回の実施と労働基準監督署(以下、労基署)への報告が義務づけられており、違反した場合には50万円以下の罰金が科される可能性があります。しかし義務を果たすことと、制度を有効に機能させることは、まったく別の話です。
本記事では、中小企業が陥りがちな誤解や失敗例を交えながら、ストレスチェック制度を「やりっぱなし」で終わらせず、実際の職場改善につなげるための運用方法を、法的根拠をもとに分かりやすく解説します。
まず押さえたい基本:義務の範囲と法的要件
ストレスチェック制度を正しく運用するには、まず自社がどの区分に該当するかを正確に把握することが出発点です。
実施義務の区分
- 常時50人以上の労働者を使用する事業場:毎年1回の実施義務・労基署への報告義務(様式第6号の2)が課されます。
- 常時50人未満の事業場:実施は努力義務(任意)です。ただし、小規模事業場ほどメンタルヘルス不調者が出た際のリスクが大きいため、可能な範囲で取り組むことが望まれます。
ここで注意が必要なのは「事業場単位」で判断する点です。本社と支店を合算した従業員数ではなく、各事業場ごとの人数で判断します。たとえば本社に60人、支店に20人いる場合、本社は義務対象ですが支店は努力義務となります。
実施にあたって守るべき主な法的要件
- 実施者:医師・保健師、または一定の研修を受けた看護師・精神保健福祉士が担当しなければなりません。人事担当者が独自に実施することはできません。
- 調査票:57項目の「職業性ストレス簡易調査票」が厚生労働省から推奨されていますが、独自の調査票を用いることも可能です。
- 結果の通知先:結果は実施者から直接本人へ通知することが原則です。事業者(会社)が個人の結果を閲覧するには、本人の同意が必要です。
- 記録の保存:結果は5年間保存しなければなりません。
- 高ストレス者への面接指導:高ストレスと判定された従業員から申し出があった場合、事業者は1か月以内に医師による面接指導を実施する義務があります。
これらの要件は「実施しさえすれば義務を果たした」とはならないことを示しています。体制の整備・記録の保存・労基署への報告——これら一連のプロセスがすべて揃って初めて、法的義務を履行したことになります。
受検率を高めるために経営者・人事担当者ができること
ストレスチェックは従業員にとって任意受検が原則です。「受けなければ懲戒処分にする」といった強制は、不利益取り扱いの禁止規定(労働安全衛生法第66条の10第3項)に抵触するため、絶対に行ってはなりません。では、どうすれば受検率を高められるのでしょうか。
「なぜ受けないのか」を理解する
受検を避ける従業員の背景には「結果が会社に筒抜けになるのではないか」「高ストレスと出たら人事評価に影響するのではないか」という不安があることが多いです。この不安を解消しないまま「受けてください」と促しても効果は限定的です。
実施前に従業員に対して以下の点を丁寧に周知することが、受検率向上の基本です。
- 個人の結果は本人にしか通知されず、本人の同意なく会社が閲覧することは法律で禁止されていること
- 受検しないことや、高ストレス判定を理由とした不利益な取り扱いは違法であること
- 制度の目的が職場環境の改善にあり、個人を評価・管理するものではないこと
受検しやすい環境をつくる工夫
- 紙とWebの併用:PCを日常的に使わない職種の従業員には紙の調査票、デスクワーク中心の職場にはWebを用意するなど、受検手段を複数用意します。
- 業務時間内での実施:「時間外にやってください」では受検率が落ちます。就業時間内に受検できることを明示しましょう。
- 管理職が率先して受検する:「上司も受けている」という職場の雰囲気が、受検をごく当たり前のこととして定着させます。
高ストレス者への対応:正しい手順と注意点
ストレスチェックで最も重要なアウトプットのひとつが、高ストレスと判定された従業員への対応です。しかし中小企業では「高ストレス者が出たが、どう声をかければいいか分からない」「放置してしまっている」というケースが少なくありません。
高ストレス者を放置することは、安全配慮義務(労働契約法第5条)の観点から会社にとって重大なリスクになります。面接指導の申し出があれば1か月以内に対応することは事業者の法的義務です。放置したまま従業員がメンタルヘルス不調で休職・退職した場合、会社の対応不備が問われる可能性があります。
面接指導の流れ
- 高ストレス判定の通知:実施者(医師・保健師等)から本人へ直接通知されます。
- 面接指導の勧奨:事業者は面接指導を「受けませんか」と勧めることはできますが、強制はできません。本人の意思を尊重することが大原則です。
- 面接指導の実施:本人から申し出があれば、産業医などの医師が面接指導を行います。
- 就業上の措置の検討:面接後、医師の意見をもとに時間外労働の制限・配置転換・休暇取得など、必要な措置を文書化して実施します。
産業医が選任されていない場合
常時50人未満の事業場では産業医の選任義務がなく、「誰に面接指導を依頼すればいいか分からない」という状況に陥りがちです。こうした場合は、地域産業保健センター(各都道府県に設置)を活用する方法があります。また、外部の産業医サービスを利用することで、産業医の選任から面接指導の実施まで一括して委託することも可能です。
さらに、面接指導の申し出が難しい従業員のために、メンタルカウンセリング(EAP)など外部の相談窓口を複数用意しておくことも、早期発見・早期対応の観点から有効です。相談の入口が一つしかないと、それが使いにくい場合に従業員が孤立してしまうリスクがあります。
集団分析を職場改善に活かす方法
ストレスチェックの結果は個人対応だけに使うのではなく、集団(部署・チーム)単位で分析し、職場環境の改善に活かすことが制度本来の目的のひとつです。集団分析自体は努力義務ですが、これを活用しないと「個人が高ストレスになる職場の構造」は変わらず、休職者や離職者が繰り返し発生するリスクが残ります。
集団分析の基本ルール
個人が特定されないよう、10人以上の集団を分析の最小単位とすることが一般的な目安とされています。少人数の部署では、結果を複数部署でまとめるなどの工夫が必要です。
注目すべき3つの軸
- 仕事の量的負担:業務量が過大になっていないか
- 仕事のコントロール:従業員が自分の仕事の進め方を裁量できているか
- 上司のサポート:困ったときに相談できる関係性が職場にあるか
この3軸を分析することで、「どの部署に、どのようなストレス要因があるか」を可視化できます。たとえば「A部門は業務量が多いにもかかわらず上司からのサポートが乏しい」という傾向が見えれば、管理職向けの研修や業務分担の見直しといった具体的な改善策を立案できます。
PDCAサイクルで職場改善を継続する
集団分析の結果は衛生委員会(常時50人以上の事業場に設置義務)でフィードバックし、職場環境改善計画を策定してPDCAサイクルで取り組むことが重要です。単年度で終わらせず、次回のストレスチェックの結果と比較することで、改善の効果を客観的に検証できます。
個人情報の取り扱い:必ず守るべきルールと典型的な失敗例
ストレスチェックの結果は、従業員の健康に関する非常にセンシティブな情報です。不適切な取り扱いは労働紛争の引き金になるだけでなく、従業員の制度不信を招き、翌年以降の受検率低下にもつながります。
事業者が個人の結果を閲覧してはならない
最も多い誤解のひとつが「人事担当者が個人の結果を確認してよい」という思い込みです。本人の同意なく事業者が個人の結果を閲覧することは違法です。過去には、人事担当者が無断で結果を確認し、それをもとに配置転換を行ったケースが労働紛争に発展した事例があります。
実施事務従事者の守秘義務
ストレスチェックの実施に関わる担当者(実施事務従事者)は、知り得た秘密を漏らしてはならないという守秘義務を負います。違反した場合は刑事罰(6か月以下の懲役または50万円以下の罰金)が科される可能性があります。担当者に対して、守秘義務の範囲と重要性を事前に説明し、書面で確認しておくことが望ましいです。
外部委託しても事業者責任は消えない
「外部委託したので、あとはすべておまかせ」という姿勢も危険です。実施を外部に委託しても、体制の整備・高ストレス者へのフォロー・労基署への報告といった事業者としての責任は委託先に転嫁できません。委託先と役割分担を明確にし、自社がすべき事項を漏らさず実行することが必要です。
実践ポイント:制度を形骸化させないための5つのステップ
最後に、ストレスチェック制度を有効に機能させるための実践的な手順をまとめます。
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ステップ1:衛生委員会で事前審議を行う
実施方法・実施者・調査票の選定・結果の利用方法・個人情報の取り扱い方針を、衛生委員会で審議・決定します。50人未満で衛生委員会がない場合も、関係者間で事前に取り決めを文書化しておきましょう。
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ステップ2:従業員への丁寧な事前説明
制度の目的・個人情報の取り扱い・不利益取り扱いがないことを周知します。書面だけでなく、朝礼や説明会などで直接説明する機会を設けると効果的です。
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ステップ3:受検環境を整え、受検率を記録・管理する
紙とWebの併用、業務時間内での実施など受検しやすい環境を整備します。受検率を毎年記録し、低い部署には個別にアプローチを検討します。
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ステップ4:高ストレス者への対応フローを事前に決めておく
「高ストレス者が出たら誰がどう対応するか」を事前にフロー図として整理し、関係者全員が把握しておきます。産業医・外部EAP・地域産業保健センターなど、相談先の連絡先もあわせて準備しておきましょう。
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ステップ5:集団分析結果を職場改善計画に落とし込む
分析結果を「確認して終わり」にせず、改善目標・実施期限・担当者を明記した職場環境改善計画を作成します。次回のストレスチェックで効果を検証するサイクルを確立することが、制度の実質的な効果につながります。
まとめ
ストレスチェック制度は、正しく運用すれば職場のメンタルヘルスリスクを早期に把握し、職場環境の改善を通じて従業員の健康と生産性を守る有効なツールになります。しかし「実施したことにする」「人事が結果を管理する」「高ストレス者を放置する」といった誤った運用は、法的リスクや労働紛争、さらには優秀な人材の流出につながりかねません。
特に中小企業では、産業医や専門人材が社内にいないケースが多く、外部サービスの積極的な活用が現実的な解決策です。制度の枠組みを正確に理解したうえで、自社の規模や体制に合った運用方法を構築することが、経営者・人事担当者に求められる対応です。
「何から手をつければいいか分からない」という方は、まず自社の事業場規模の確認と、実施者・相談窓口の整備から始めてみてください。一歩ずつ体制を整えることが、従業員と会社双方を守ることにつながります。
よくある質問(FAQ)
ストレスチェックを実施しなかった場合、どのような罰則がありますか?
常時50人以上の労働者を使用する事業場でストレスチェックの実施や労基署への報告を怠った場合、労働安全衛生法に基づき50万円以下の罰金が科される可能性があります。ただし、罰則よりも重要なのは、未実施によって従業員のメンタルヘルスリスクを見逃し、安全配慮義務違反として民事上の責任を問われるリスクです。
従業員が50人未満の中小企業でも、ストレスチェックを実施するメリットはありますか?
あります。50人未満の事業場は努力義務ですが、規模が小さいほど1人のメンタルヘルス不調者が職場全体に与える影響が大きくなります。また、従業員が「会社が自分の健康を気にかけている」と感じることで、職場への信頼感や定着率の向上につながるという側面もあります。外部委託を利用すれば、1人あたり数百円〜数千円程度の費用で実施できる場合もあります。
産業医が選任されていない場合、高ストレス者への面接指導はどうすればよいですか?
地域産業保健センター(都道府県ごとに設置されており、無料で利用できます)を活用する方法があります。また、外部の産業医サービスに委託することで、産業医の選任から面接指導の実施までを一括してサポートしてもらうことも可能です。複数の選択肢を事前に把握し、高ストレス者が出たときにすぐに対応できる体制を整えておくことが重要です。







