従業員が病気やメンタルヘルス不調で長期休職に入ると、経営者や人事担当者にとって「給与はどうなるのか」「社会保険料は誰が払うのか」という疑問が次々と浮かびます。特に経理担当者が少ない中小企業では、こうした対応が初めてのケースも多く、誤った処理をしてしまうリスクが少なくありません。
本記事では、長期休職者の給与・社会保険の取扱いについて、法律の根拠を示しながら正確に解説します。「給与ゼロなら社会保険料も不要」「傷病手当金は会社が申請する」といったよくある誤解を一つひとつ解きほぐし、実務で迷わないための知識を整理していきます。
休職中の給与支払い義務はあるのか
まず多くの経営者が最初に疑問に思う「休職中に給与を払い続ける義務があるのか」という点から確認しましょう。
結論から言うと、労働基準法には休職中の賃金支払いを義務づける規定はありません。労働法の基本原則である「ノーワーク・ノーペイの原則」——労務の提供がなければ賃金を支払わなくてよいという考え方——に基づけば、働けない状態の従業員への給与支払いは法的には義務ではないのです。
ただし、重要な前提があります。就業規則や雇用契約書に休職中の給与に関する取り決めがある場合は、その定めが優先されます。たとえば「休職開始から3ヶ月間は給与の50%を支給する」と就業規則に明記していれば、会社はその内容に従う義務があります。
実務上の一般的な流れとしては、まず従業員が残っている年次有給休暇を消化し、その後に無給の休職期間へ移行するケースが多く見られます。ただし、会社が本人の同意なく有給休暇を強制的に休職に充当することは原則として認められません。本人への説明と合意を得た上で手続きを進めることが大切です。
就業規則に休職制度の規定がない場合でも、今後のトラブルを防ぐために、休職開始前に給与の扱い(無給か一部支給か)、休職期間の上限、復職・退職の条件などを書面で取り決めておくことを強くお勧めします。
給与ゼロでも社会保険料は発生する——最も多い誤解
中小企業の経営者・人事担当者が最も陥りやすい誤解の一つが、「給与がゼロになれば社会保険料も発生しない」というものです。しかしこれは明確な誤りです。
健康保険(協会けんぽまたは健康保険組合)および厚生年金保険は、在籍している従業員が被保険者資格を保有している限り、給与の有無に関わらず保険料の納付義務が発生します。保険料は給与から天引きされた金額を基に計算するのではなく、「標準報酬月額」(直近の報酬実績をもとに等級で決定される金額)に基づいて算定されます。休職前の標準報酬月額がそのまま適用されるため、給与がゼロになっても保険料額は変わりません。
会社負担分(保険料の約半額)は会社が引き続き納付しなければならず、本人負担分についても毎月確実に回収する仕組みが必要です。
本人負担分の回収方法としては、主に以下の3つが考えられます。
- 復職後の給与から分割控除する:負担が少なく本人の同意を得やすい反面、復職しない場合に回収できなくなるリスクがある
- 毎月本人から会社の口座に振り込んでもらう:確実だが、休職者への金銭的・心理的負担になりやすい
- 会社が立替え、退職時に精算する:退職金や最終給与からの相殺が必要なため、事前に書面(覚書・合意書)で取り決めておくことが必須
どの方法を選ぶにせよ、口頭での約束は後のトラブルの原因になります。必ず書面で合意内容を残してください。なお、育児休業中は申請により保険料が免除される制度がありますが、傷病による休職にはこの免除制度は適用されません。混同しないよう注意が必要です。
一方、雇用保険料については給与に応じた料率で計算されるため、給与がゼロの場合は発生しません。社会保険(健康保険・厚生年金)と雇用保険の取扱いが異なる点は、実務上の混乱を招きやすいので整理して覚えておきましょう。
傷病手当金の仕組みと会社が担うべき役割
休職中の従業員にとって大きな支えとなるのが、健康保険から支給される「傷病手当金」です。制度の概要と会社側の手続きを正確に把握しておく必要があります。
傷病手当金は、業務外の病気やけがで働けなくなった場合に、4日目から支給が始まる給付金です(健康保険法第99条)。「業務外」という点が重要で、業務中や通勤中のケガによる休業は労災保険の対象となるため、傷病手当金とは別の制度が適用されます。
支給額は標準報酬日額(標準報酬月額を30で割った金額)の3分の2に相当します。支給期間については、2022年1月の法改正により「支給開始日から通算して1年6ヶ月」に変更されました。改正前は「支給開始日から1年6ヶ月の期間内」という連続期間の概念でしたが、改正後は途中で職場に復帰して出勤した期間はカウントされず、受給できた日数の合計が1年6ヶ月分になるまで受給できる仕組みになっています。復職と休職を繰り返すケースでも手当を受け取りやすくなった改正ですが、「1年6ヶ月連続で受け取れる」という古い情報をそのまま伝えると本人が誤解しますので注意が必要です。
申請手続きについても誤解が多いポイントです。傷病手当金の申請は、被保険者(従業員本人)が行うものです。会社が代わりに申請するものではありません。ただし、申請書には「事業主記載欄」があり、会社が証明として休業期間中の賃金支払い状況などを記入する必要があります。会社の役割は「証明者」であり、申請書に遅滞なく記入して従業員に渡すことが求められます。
申請書は毎月提出するのが一般的なため、月1回程度の頻度で書類のやり取りが発生します。休職者と連絡が取りにくいケースもありますが、申請が遅れると本人の収入が途絶えるため、会社としても積極的にサポートする姿勢が大切です。
メンタルヘルス不調による長期休職が増えている昨今、従業員への丁寧なフォローアップにはメンタルカウンセリング(EAP)の活用も有効な選択肢の一つです。専門家によるサポートが、早期復職や再発防止にもつながります。
見落としがちな住民税の取扱い
社会保険と並んで処理を誤りやすいのが、住民税です。通常、会社員の住民税は「特別徴収」といって毎月の給与から天引きして会社が市区町村に納付する仕組みになっています。しかし休職して給与の支払いがなくなると、天引きする給与がないため特別徴収の継続が困難になります。
この場合の対応方法は主に2つです。
- 普通徴収に切り替える:市区町村から本人に直接納付書が送られ、本人が自ら納付する方式。会社は市区町村に「給与支払報告に係る給与所得者異動届出書」を提出して切り替えを申請する必要があります。
- 本人から会社に振り込んでもらい、会社がまとめて納付する:特別徴収を継続する形ですが、本人に振込の手間をかけることになります。
住民税は前年の所得に基づいて課税されるため、休職1年目は前職分の住民税がかかります。金額によっては本人にとって大きな負担になることもありますので、休職開始前に徴収方法の変更について丁寧に説明しておくと、後々のトラブルを防ぐことができます。
長期休職から退職に至る場合の注意点
休職が長引いた結果、就業規則に定めた休職期間の満了によって退職となるケースがあります。この場面でも、いくつかの重要な注意点があります。
まず、傷病手当金は退職後も受給を継続できる場合があります。ただし、継続給付を受けるには以下の2つの要件をいずれも満たす必要があります。
- 退職日時点で健康保険の被保険者期間が1年以上あること
- 退職日に傷病手当金を受給中、または受給できる状態にあること
この継続給付を受けるためには、退職後に任意継続被保険者として健康保険を継続するか、国民健康保険に加入する必要があります。退職日の設定や退職時の説明が不適切だと、本人が受け取れるはずの給付を受けられなくなるケースがあります。退職を促す際に傷病手当金の受給権を不当に失わせるような対応は、退職強要とみなされるリスクがあるため、特に慎重な対応が求められます。
また、退職時には会社が立て替えた社会保険料の本人負担分や住民税を精算する必要があります。事前に書面で取り決めていない場合、回収が困難になるケースも少なくありません。休職開始時に精算のルールを書面で合意しておくことが、会社・従業員双方にとって重要です。
復職に向けた支援の観点からは、産業医との連携も欠かせません。主治医による「復職診断書」の取得はもちろん、職場環境の調整や段階的な復職プログラム(いわゆる「試し出勤」など)の設計には、産業医サービスを活用することで、より専門的かつ安全な対応が可能になります。
実践ポイント:休職対応を整えるための6つのチェック事項
ここまでの内容を踏まえ、中小企業が今すぐ取り組める実践的なポイントを整理します。
- 就業規則に休職制度を明記する:休職の要件・期間・給与の有無・復職条件・休職満了時の取扱いを具体的に規定しておく。規定がない場合は早急に整備を検討する。
- 社会保険料の回収方法を書面で合意する:休職開始時に本人と合意書・覚書を締結し、毎月の社会保険料の本人負担分をどのように支払うかを明確にしておく。
- 傷病手当金の申請フローを従業員に丁寧に説明する:申請は本人が行うものであることを伝えた上で、毎月の申請書への事業主証明を速やかに行う体制を整える。
- 住民税の徴収方法を切り替える:給与支払いがなくなる前に、普通徴収への切り替えを市区町村に届け出るか、別の徴収方法を本人と取り決める。
- 休職中の状況確認を定期的に行う:月1回程度、メールや書面での体調確認を行い、傷病手当金の申請書類のやり取りも兼ねて接点を維持する。主治医意見書の定期的な提出を求めることも検討する。
- 退職時の精算ルールを事前に明文化する:立替えた社会保険料・住民税の回収方法(退職金との相殺など)を休職開始時から書面で定めておく。
まとめ
長期休職者の給与・社会保険の取扱いは、誤解が多い分野です。「給与ゼロなら社会保険料も不要」「傷病手当金は会社が申請する」「住民税はそのまま天引きでよい」といった誤った認識で対応してしまうと、後から修正するのに大きな労力がかかり、場合によっては従業員との紛争に発展するリスクもあります。
重要なのは、休職が発生してから慌てて対応するのではなく、就業規則の整備や書面による合意の仕組みを平時から用意しておくことです。特に中小企業では、制度や書類の整備が後回しになりがちですが、一つの休職ケースを丁寧に対応することが、組織全体のリスク管理の底上げにもつながります。
また、長期休職の背景にメンタルヘルスの問題があるケースでは、給与・保険の手続き対応と並行して、専門家による支援体制を整えることが従業員の早期回復と職場復帰を後押しします。制度面の整備と人的サポートの両輪で取り組むことが、中小企業における長期休職対応の王道といえるでしょう。
よくある質問(FAQ)
休職中の従業員に給与を支払わなくてよい場合、社会保険料はどうなりますか?
給与がゼロになっても、従業員が在籍している限り健康保険・厚生年金の被保険者資格は継続します。そのため、標準報酬月額に基づく保険料は毎月発生し、会社負担分・本人負担分ともに納付が必要です。「給与ゼロ=保険料不要」という認識は誤りです。本人負担分の回収方法(復職後の分割控除・毎月振込・退職時精算など)を書面で取り決めておくことが重要です。
傷病手当金の申請は会社が行うものですか?
傷病手当金の申請は、原則として被保険者(従業員本人)が行います。会社の役割は、申請書に設けられた「事業主記載欄」に休業期間中の賃金支払い状況などを証明として記入することです。会社が申請主体ではありませんが、申請書への証明を遅滞なく行うことが従業員の収入確保に直結するため、速やかな対応が求められます。
休職期間満了で退職となった場合、傷病手当金はどうなりますか?
退職後も一定の要件を満たしていれば、傷病手当金の受給を継続できます。要件は、退職日時点で健康保険の被保険者期間が1年以上あること、および退職日に傷病手当金を受給中または受給できる状態にあることです。退職後は任意継続被保険者または国民健康保険への加入が必要です。退職日の設定や説明を誤ると本人が給付を受けられなくなる場合があるため、慎重に対応してください。







