メンタルヘルス不調や身体疾患で休職していた従業員が、いよいよ職場に戻れるタイミングが近づいてきた。そのとき、多くの中小企業の経営者・人事担当者が直面するのが「主治医の診断書はあるけれど、本当に復帰させて大丈夫だろうか」という不安です。実際に復職させてみたものの、数週間で再び休職してしまうケースは決して珍しくありません。
こうしたリスクを減らし、従業員と会社の双方にとって安心できる職場復帰を実現するための仕組みが「試し出勤制度」です。しかし、制度の名前は知っていても「賃金はどうなるのか」「就業規則にどう書けばよいのか」「労災はどう扱うのか」といった具体的な疑問は尽きません。本記事では、試し出勤制度の基本的な考え方から法律上の注意点、実際の運用方法までを体系的に解説します。
試し出勤制度とは何か――厚生労働省ガイドラインが示す3つの類型
試し出勤制度とは、休職中の従業員が正式な復職をする前に、段階的に職場環境や業務に慣れるための期間を設ける仕組みです。厚生労働省が公表している「心の健康問題により休業した労働者の職場復帰支援の手引き」(2012年改訂)においても、職場復帰を支援する有効な手段として明示的に推奨されています。
同手引きでは、試し出勤に相当する取り組みとして以下の3つの類型が示されています。
- 模擬出勤:職場には来るが通常業務は行わず、図書館や自習室の利用など、軽い活動にとどめる
- 通勤訓練:自宅から職場付近まで通勤の練習をする。実際に会社に入る必要はない
- 試し出勤:実際の職場で軽作業や業務補助を行う。3類型の中で最も職場復帰に近い段階
この3類型はいずれも、正式な復職の前段階として位置づけられるものです。どの類型を採用するか、あるいは組み合わせて段階的に進めるかは、従業員の状態や職場の状況に応じて検討することが重要です。
特にうつ病や適応障害(職場環境・人間関係などのストレス因子に対してこころや身体が過剰に反応してしまう状態)からの復職では、「通勤という行為そのもの」や「職場という空間に身を置くこと」が大きな負荷になる場合があります。そのため、いきなり試し出勤(軽作業)に入るのではなく、通勤訓練から始めるなど、本人の体調に合わせた設計が効果的です。
賃金・傷病手当金・労災保険――試し出勤中の法律上の扱い
試し出勤制度を導入するにあたって、経営者・人事担当者が最も悩む点のひとつが「試し出勤中の賃金はどうするのか」という問題です。ここは法律的な整理が必要な部分ですので、丁寧に確認しておきましょう。
賃金支払い義務について
労働基準法の原則として、労働者が使用者の指揮命令下に置かれて労務を提供した場合は、その実態が「労働」に当たるため賃金の支払い義務が発生します。試し出勤の名目であっても、業務指示を受けて実際に作業をしている実態があれば、労働とみなされるリスクがあります。
一方、「訓練・リハビリ目的であり、業務指示は行わない」という実態を明確にし、本人と会社が合意のうえで書面(覚書・同意書)を交わしている場合は、賃金不払いとして扱うことが可能とされています。ただし、この判断は実態に基づいて行われるため、形式上の覚書があるだけでは不十分です。実際に業務指示が出ていないか、上司が作業管理をしていないかなど、運用面での徹底が不可欠です。
傷病手当金の継続受給について
健康保険の傷病手当金(業務外の病気やケガで働けない状態が続く場合に支給される給付金)は、試し出勤中も「労務不能」と認定される期間については受給を継続できる場合があります。ただし、賃金の支払いがある場合は支給調整が行われます。
傷病手当金の取り扱いは、加入している健康保険組合や協会けんぽによって解釈が異なることもあるため、試し出勤を開始する前に必ず担当窓口に確認することをお勧めします。事前確認なく進めてしまうと、後になって給付の返還を求められるなどのトラブルにつながりかねません。
労災保険の適用について
試し出勤中に従業員が業務上の事故や疾病にかかった場合、労働の実態があれば労災保険の認定対象になりうることに注意が必要です。「訓練中の出来事だから労災ではない」とはなりません。試し出勤中に実質的な業務を行わせている場合は、通常の在職中と同様に安全衛生管理に気を配る必要があります。また、通勤中の事故(通勤災害)についても、試し出勤のための通勤は通勤災害として認定される可能性があります。
就業規則への記載と覚書・同意書の整備――制度の根拠を明文化する
試し出勤制度を「社内ルール」として機能させるためには、就業規則への記載と、本人・会社間の覚書・同意書の整備が欠かせません。これらがないと、担当者が変わるたびに運用が揺らいだり、後になって「そんな約束はしていない」というトラブルが発生したりするリスクがあります。
就業規則への記載内容
就業規則には、試し出勤制度の根拠規定として少なくとも以下の事項を明記することが推奨されます。
- 試し出勤制度の目的と定義(訓練・リハビリであることの明示)
- 対象者の要件(休職期間中であること、主治医による復職可能の見解があることなど)
- 試し出勤の期間(目安として2週間から1か月程度)
- 賃金の取り扱い(支払いの有無・有の場合の計算方法)
- 試し出勤中断の事由と手続き
- 試し出勤終了後の復職可否の判断基準と手続き
就業規則の変更・作成にあたっては、従業員代表への意見聴取と労働基準監督署への届け出(常時10人以上の労働者を使用する事業場)が必要です。10人未満の場合も、内容を周知することが適切な労務管理の基本です。
覚書・同意書に盛り込む内容
就業規則の規定とは別に、個々の試し出勤の開始にあたって、会社と対象従業員の間で覚書または同意書を取り交わすことが重要です。主な記載事項としては、試し出勤の開始・終了予定日、出勤時間帯、業務内容の範囲と制限、賃金・傷病手当金に関する確認事項、体調悪化時の連絡方法と中断の手続き、そして本人がリハビリ目的であることに同意している旨などが挙げられます。これらを文書化しておくことで、後日のトラブル防止と復職判断の根拠として活用することができます。
試し出勤の運用フロー――関係者の役割分担と評価基準の設定
制度の枠組みが整ったとしても、実際の運用が属人的になってしまうと制度の効果は半減します。関係者それぞれの役割を明確にし、評価基準を事前に定めておくことが、スムーズな運用の鍵です。
関係者の役割分担
- 主治医:医学的な観点から復職可能かどうかを判断する。ただし、主治医は職場の実態を十分に把握していないことが多いため、会社側から「職場情報提供書」を渡して業務内容や職場環境を正確に伝えることが重要です。主治医の診断書を鵜呑みにするだけでなく、情報を双方向でやり取りする姿勢が必要です。
- 産業医(またはかかりつけ医・地域産業保健センター):職場環境や業務適性の観点から復職の可否を評価する。50人以上の事業場では産業医の選任が法律上の義務とされています。50人未満の事業場では選任義務はありませんが、地域産業保健センター(産保センター)を無料で活用することができます。産保センターは全国に設置されており、復職支援に関する専門的なアドバイスを受けることが可能です。産業医サービスを外部委託で活用する方法も、特に中小企業にとって現実的な選択肢のひとつです。
- 人事担当者:制度全体の管理・調整役として、主治医・産業医・上司・本人の間の情報橋渡しを担う。覚書の作成・保管、傷病手当金の手続き確認なども担当します。
- 直属上司:試し出勤中の日常的なサポート・観察・記録を担当する。体調の変化に気づいた際は速やかに人事担当者に報告する役割を担います。
評価基準の明確化と記録管理
「何をもって復職可と判断するか」の基準を、試し出勤開始前に設定しておくことが重要です。判断基準の例としては、①所定時間の出勤を一定期間継続できること、②業務遂行が安定していること、③睡眠・生活リズムが安定していること、などが挙げられます。これらの基準は本人にも事前に共有し、目標として認識してもらうことが動機づけにもつながります。
また、試し出勤期間中は出退勤記録・体調日誌・上司による観察記録を必ず残しておきましょう。これらは、復職判断の根拠となるだけでなく、万一紛争が生じた際の客観的な証拠にもなります。
なお、試し出勤期間が終了しても本復職が難しいと判断された場合の対応方針(休職期間の延長、休職満了による退職など)についても、あらかじめ規程に定め、本人に説明しておくことが重要です。このことを事前に明確にしておかないと、「試し出勤をしたのだからそのまま復職させてもらえるはず」という認識のズレが生じやすくなります。
プライバシーへの配慮と職場環境の整備
試し出勤を成功させるためには、職場の受け入れ体制を整えることも欠かせません。特に気を付けたいのがプライバシーへの配慮です。
休職理由や病名は極めてデリケートな個人情報です。本人の同意なく職場のメンバーに開示することは、場合によっては個人情報保護法上の問題になるだけでなく、本人の職場復帰意欲を大きく損なわせます。周囲への説明は、「体調を整えるための段階的な復職プログラム中です」といった中立的な表現にとどめ、詳細な病状については開示しないことが基本です。
また、試し出勤中の従業員が職場に来ることで、他の従業員から「なぜあの人は短い時間しかいないのか」「楽をしているのではないか」といった誤解が生じることもあります。こうした職場の雰囲気を未然に防ぐためには、管理職層への丁寧な説明と、職場全体のメンタルヘルスリテラシー(こころの健康に関する正しい知識と理解)を高める取り組みが有効です。
職場復帰支援の一環として、メンタルカウンセリング(EAP)を活用し、復職する従業員本人だけでなく、受け入れる側の上司や同僚もサポートを受けられる仕組みを整えることも検討に値します。
試し出勤制度を導入するための実践ポイント
ここまでの内容を踏まえ、試し出勤制度を実際に導入・運用するための実践的なポイントを整理します。
- まず就業規則を見直す:試し出勤に関する規定が就業規則に存在しない場合は、追加・整備が最優先です。法的根拠のない制度運用はトラブルの温床になります。
- 覚書・同意書のひな形を用意する:毎回ゼロから作成するのではなく、社内標準のひな形を整備しておくことで、担当者が変わっても一貫した運用が可能になります。
- 主治医への情報提供を習慣化する:「職場情報提供書」(業務内容・通勤方法・職場環境などを記載した書類)を用意し、主治医に渡す習慣をつけることで、診断書の内容と職場実態のギャップを縮めることができます。
- 50人未満企業は地域産業保健センターを活用する:産業医が選任されていない場合でも、産保センターに相談することで専門的なアドバイスを無料で得ることができます。積極的に活用しましょう。
- 健康保険組合・協会けんぽへの事前確認を忘れずに:傷病手当金の取り扱いについては、試し出勤開始前に必ず確認しておきましょう。事後確認ではトラブルになる場合があります。
- 中断・終了後の対応方針も事前に決めておく:試し出勤がうまくいかなかった場合の対応(休職延長・退職など)についても、就業規則と覚書に明記し、本人に説明しておくことが重要です。
- 記録を必ず残す:出退勤記録・体調日誌・上司の観察記録など、試し出勤中の状況を客観的に記録しておくことが、正確な復職判断と紛争防止につながります。
まとめ
試し出勤制度は、休職者と会社の双方にとって安心できる職場復帰を実現するための有効な仕組みです。しかし、制度の名前だけで運用が曖昧では、賃金・傷病手当金・労災といった法律上のリスクを抱えることになります。
重要なのは、①就業規則への明記と覚書・同意書による合意形成、②関係者(主治医・産業医・人事・上司)の役割分担の明確化、③評価基準と記録管理の徹底、④プライバシーへの配慮と職場の受け入れ体制の整備、という4つの柱です。
中小企業においては人的・時間的リソースが限られる中で、制度を一から整備することに難しさを感じる場面もあるかもしれません。しかし、試し出勤制度の整備は、再休職の防止や長期的な人材確保にも直結する投資です。まずは就業規則の見直しと、地域産業保健センターや外部専門家への相談から一歩を踏み出してみてください。
よくある質問(FAQ)
試し出勤中に賃金を支払わない場合、従業員からクレームが来ないでしょうか?
事前に就業規則の規定を示し、覚書・同意書で双方が合意していれば、法的なトラブルに発展するリスクは大幅に低減します。重要なのは「会社が一方的に決めた」ではなく、「本人が納得して署名した」という事実を書面で残しておくことです。また、賃金を支払わない代わりに傷病手当金の受給が継続できること、その後の正式な復職につながるプロセスであることを丁寧に説明することが信頼関係の構築につながります。
産業医がいない50人未満の会社でも試し出勤制度は運用できますか?
運用可能です。産業医の選任が義務付けられているのは常時50人以上の労働者を使用する事業場に限られます。50人未満の事業場では、地域産業保健センター(産保センター)を無料で活用することができます。また、主治医との連携を密にすることや、外部の産業保健サービスを利用することも有効な手段です。制度の骨格を就業規則と覚書で整備することは、規模に関わらずすべての事業場で実施できます。
試し出勤の期間はどのくらいが適切ですか?
一般的には2週間から1か月程度を目安とすることが多いとされています。ただし、疾患の種類や回復の程度によって個人差がありますので、一律に決めるのではなく、主治医や産業医の意見を参考にしながら柔軟に設定することが重要です。また、期間は就業規則や覚書にあらかじめ明記し、必要に応じて延長できる旨も定めておくと安心です。







