従業員が病気やケガで長期休職になったとき、会社の人事担当者が最初に直面するのが「傷病手当金の手続きをどう進めるか」という問題です。傷病手当金は従業員本人・主治医・会社の三者が書類を分担して作成する制度であり、会社側の対応に不備があると申請が差し戻され、従業員の生活費受け取りが遅れるという深刻なトラブルに発展することがあります。
特に中小企業では担当者が異動したり、初めてのケースで「会社が何をすればよいのか」が分からないまま対応せざるを得ない場面も少なくありません。本記事では、傷病手当金の制度の基本から会社が作成すべき証明書類の記載方法、申請のタイミング、退職時の注意点まで、人事担当者が実務で使える情報を体系的に解説します。
傷病手当金の制度概要と支給要件
傷病手当金は健康保険法第99条から第108条に基づく制度で、被保険者(健康保険に加入している従業員)が業務外の傷病によって仕事に就けない状態になったときに、生活を保障する目的で支給されます。業務上のケガや通勤災害には適用されず、そちらは労災保険の対象となります。
支給を受けるためには以下の4つの要件をすべて満たす必要があります。
- 業務外の傷病による療養中であること
- 労務不能の状態であること(主治医が就労不能と認めた場合)
- 連続3日間の待機が完成していること(有給休暇・公休日も含む)
- 待機完成後の4日目以降に賃金の支払いがないこと(一部支払いがある場合は調整あり)
支給額は標準報酬日額(標準報酬月額÷30日)の3分の2です。たとえば標準報酬月額が30万円の従業員であれば、1日あたりの支給額は「300,000円÷30日×2/3=約6,667円」が目安となります。
支給期間は2022年1月の法改正以降、支給開始日から通算1年6ヶ月となっています。改正前は暦日で計算していたため、途中で復職した期間も期間に含まれていましたが、現在は実際に支給を受けた日数の通算で計算されます。途中で復職し、再び同じ傷病で休職した場合も通算されますので、長期間にわたるケースでは特に注意が必要です。
申請書の構成と会社が担う役割
傷病手当金の申請書は、①被保険者(従業員本人)が記入する欄、②療養担当者(主治医)が記入する欄、③事業主(会社)が記入する欄の三部構成になっています。協会けんぽや健康保険組合によって書式が多少異なりますが、基本的な構成は同じです。
会社の人事担当者が責任を持って対応するのは「事業主記入欄」です。この欄に不備や記載漏れがあると申請書が差し戻される原因となるため、以下の内容を正確に記入する必要があります。
- 事業所の名称・所在地・電話番号
- 事業主の氏名(代表者印または担当者の認印を押印)
- 申請期間中の出勤・欠勤の状況(カレンダー形式で○×等を記入)
- 申請期間中に賃金を支払ったか否か(支払った場合は金額・支払日も記入)
- 賃金計算期間と賃金支払い方法(月給・日給など)
- 有給休暇を取得した日の明示(有給日は給与支払い扱いになるため傷病手当金との調整が必要)
特に有給休暇を取得した日については要注意です。有給休暇日には給与が支払われているため傷病手当金は支給されませんが、待機期間(連続3日間)のカウントには含まれます。つまり、最初の3日間を有給消化した場合でも待機期間は成立しますが、その3日間分の傷病手当金は支給されません。この仕組みを担当者が正しく理解していないと、申請書への記載が誤ってしまう可能性があります。
書類の流れと申請タイミングの実務標準
実務では、傷病手当金の申請書がどのような流れで動くのかを把握しておくことが大切です。標準的な書類の流れは以下のとおりです。
- ①会社が申請書を従業員に渡す(郵送対応でも可)
- ②従業員が被保険者欄を記入し、主治医のいる医療機関へ持参
- ③主治医が療養担当者欄(労務不能期間の証明など)を記入
- ④従業員が記入済みの申請書を会社へ返送
- ⑤会社が事業主欄を記入・押印
- ⑥会社または従業員本人が協会けんぽ(都道府県支部)または健康保険組合へ提出
提出先が協会けんぽか健康保険組合かは、従業員が加入している保険によって異なります。健康保険組合によっては独自の書式を使用していたり、提出先や提出方法が異なる場合もあるため、初回申請の前に必ず確認しておきましょう。
申請のタイミングについては、1ヶ月ごとに申請するのが実務上の標準です。医師の証明も月単位で行われることが多く、長期休職の場合は月初に前月分を申請する流れが一般的です。数ヶ月分をまとめて申請することも制度上は可能ですが、その間は従業員への支給が遅れるため、特段の理由がない限り月単位での申請を推奨します。
休職中の従業員への書類の受け渡しは、郵送とメールを組み合わせた方法が便利です。申請書の記入説明を簡単な案内文として添えることで、従業員の負担を減らすとともに記載ミスの防止にもつながります。なお、休職中の従業員への連絡方法やプライバシーへの配慮については、メンタルカウンセリング(EAP)と連携した支援体制を整えておくと、精神疾患による休職ケースにも適切に対応できます。
給与支払いとの調整・社会保険料の取り扱い
休職中に給与の一部を支払うケースでは、傷病手当金との調整計算が発生します。調整のルールは以下のとおりです。
傷病手当金の支給額(標準報酬日額×2/3)が支払われた賃金日額を上回る場合、その差額が傷病手当金として支給されます。逆に、支払われた賃金日額が傷病手当金の支給額以上であれば、傷病手当金は支給されません。申請書の事業主記入欄には支払った賃金の金額と日付を正確に記載する必要があり、ここが不正確だと差し戻しや不正受給の原因になります。
一方、社会保険料(健康保険・厚生年金)は休職中も発生し続けます。傷病手当金は社会保険料の支払い義務には影響しないため、会社負担分・本人負担分ともに毎月の支払いが必要です。
問題となるのは本人負担分の徴収方法です。給与が発生しない場合は給与控除ができないため、以下のような対応が必要になります。
- 本人から直接振込で徴収する(銀行振込でも可)
- 会社が一時立替し、復職後に給与から分割控除する
- 傷病手当金が支給されたタイミングで本人から徴収する
どの方法をとるにしても、休職開始前に本人と取り決めをしておくことが重要です。口頭だけでなく書面(確認書)で合意内容を残しておくと後のトラブルを防ぐことができます。
退職時・退職後の継続給付における注意点
従業員が休職中に退職する、または退職後も傷病が続く場合には、退職後の継続給付という制度が活用できます。ただし、受給するためには以下の条件をすべて満たす必要があります。
- 退職日までに1年以上の被保険者期間があること
- 退職日時点で傷病手当金を受給中、または受給要件を満たしていること
- 退職日に労務不能の状態であること(出勤していないこと)
ここで会社側が最も注意すべきなのが「退職日の出勤問題」です。有給休暇を消化しながら退職するケースでは、退職日当日に出勤(労務可能と判断される行為)があると継続給付の要件を満たさなくなることがあります。退職日は有給休暇取得日として処理し、実際に出勤しない形を維持することが重要です。
また、退職後の継続給付を受けている間は任意継続被保険者(退職後に個人で健康保険を継続する制度)には原則として傷病手当金が支給されません(一部の健康保険組合は独自給付として支給する場合があります)。退職時に従業員にこの点を正確に案内しないと、本人が誤って任意継続に切り替えてしまい受給資格を失うリスクがあります。退職手続きの際には、傷病手当金の継続給付と健康保険の選択肢(国民健康保険への切り替え、家族の扶養に入る等)を含めた丁寧な案内が必要です。
実践ポイント:申請ミスを防ぐための社内体制づくり
傷病手当金の申請に関するトラブルの多くは、担当者の知識不足や社内手続きの曖昧さに起因しています。以下の実践ポイントを参考に、ミスを防ぐ仕組みを整えましょう。
チェックリストを活用する
事業主記入欄を記入する際は、提出前に必ずチェックリストで確認します。確認すべき項目は「出勤・欠勤の日付に漏れがないか」「有給休暇取得日を正しく区別しているか」「賃金支払いの有無・金額が正確か」「押印は済んでいるか」などです。書類作成の担当者と確認者を分けるダブルチェック体制が望ましいです。
申請書のひな形と案内文を整備する
協会けんぽや健康保険組合のウェブサイトから最新の書式を取得し、記入例を添えた案内文と一緒に保管しておきます。担当者が変わっても対応できるよう、手順書(マニュアル)として文書化しておくことが重要です。
従業員との連絡ルールを定める
休職中の従業員への連絡は、頻度・手段・内容を最小限に絞り、プライバシーに十分配慮します。月1回の申請書の受け渡しを中心に据え、必要以上の連絡は控えることが原則です。精神疾患による休職のケースでは特に慎重な対応が求められるため、産業医サービスを活用して専門的なサポートを得ることも有効です。
社会保険料の取り決めは書面で
休職開始時点で、社会保険料の本人負担分の徴収方法について書面で合意を取り交わします。内容は「月末までに会社指定口座へ振り込む」「復職後に給与から分割控除する」など、具体的かつ双方が納得できる内容にします。
退職時は事前確認を徹底する
退職が決まった段階で、退職日の設定・有給休暇の消化計画・継続給付の要件・健康保険の切り替え先を確認するチェックシートを用意しておくと、案内漏れを防ぐことができます。
まとめ
傷病手当金の申請は、従業員・医療機関・会社の三者が連携して進める手続きです。会社の役割は事業主記入欄の正確な記入と提出手配であり、記載内容のミスが従業員の受給遅延に直結します。
押さえておくべき主なポイントは以下のとおりです。
- 支給要件の4要件(業務外・労務不能・3日待機・賃金不支払い)を正確に理解する
- 事業主記入欄には出勤・欠勤・賃金支払いの状況を正確に記載し、有給休暇日を明示する
- 申請は原則として月1回、定期的に行うことで従業員への支給を遅らせない
- 休職中の社会保険料の本人負担分は休職開始前に徴収方法を書面で取り決める
- 退職時は継続給付の要件・退職日の扱い・健康保険の切り替えを丁寧に案内する
傷病手当金に関する手続きの整備は、従業員への適切な支援と会社の信頼性維持につながります。初めてのケースや複雑なケースでは、社会保険労務士や産業医などの専門家に相談しながら進めることも検討してみてください。
よくある質問(FAQ)
傷病手当金の申請書に有給休暇の日を含めて記載してよいですか?
有給休暇を取得した日は給与が支払われているため傷病手当金の支給対象にはなりませんが、待機期間(連続3日間)のカウントには含まれます。申請書の事業主記入欄には有給休暇取得日を明示したうえで、賃金支払いの欄に正確な金額を記入してください。有給休暇日を欠勤として誤記載すると差し戻しの原因となります。
会社が社会保険料を立て替えた場合、従業員から回収できますか?
立替した社会保険料の本人負担分は会社が従業員に請求できます。ただし、後々のトラブルを防ぐために休職開始前に書面で徴収方法(月次振込・復職後の分割控除など)を合意しておくことが重要です。合意なしに復職後の給与から一括控除すると、労働基準法上の問題になる可能性がありますので注意が必要です。
従業員が退職する場合、退職後も傷病手当金を受け取れますか?
退職日までに1年以上の健康保険被保険者期間があり、退職日時点で傷病手当金の受給要件を満たしている(労務不能で出勤していない)場合は、退職後も継続給付として受け取れます。ただし退職日に出勤があると要件を満たさなくなるため、有給休暇消化中の退職日設定には注意が必要です。また任意継続被保険者になると原則として対象外となる点も退職時に必ず案内してください。
申請書を数ヶ月分まとめて提出することはできますか?
制度上は複数月分をまとめて申請することも可能です。ただし申請してから支給までに審査期間がかかるため、まとめて申請するとその分だけ従業員への入金が遅くなります。従業員の生活保障の観点から、実務では月1回の定期申請が推奨されています。







