従業員ががんと診断されたとき、経営者や人事担当者はどう対応すればよいのでしょうか。「長期入院が必要なのでは」「もう働けないのでは」と考え、早々に退職を促してしまうケースが、中小企業では今なお少なくありません。
しかし実態は大きく変わっています。国立がん研究センターの統計によると、日本では2人に1人が生涯でがんに罹患するとされており、医療の進歩により治療を続けながら就労する患者数も増加しています。厚生労働省の推計では、がん罹患者のうち約32万人が就労していると言われており、「がん=即退職」はもはや過去の話です。
中小企業においては制度整備や支援体制が十分でないことが多く、本人・会社の双方が困惑したまま対応を誤るリスクがあります。本記事では、がん治療と就労支援について、法律・制度の基本から実務対応まで、経営者・人事担当者が知っておくべきポイントを体系的に解説します。
がん罹患を理由とした解雇・不利益取扱いの法的リスク
まず最初に押さえておきたいのが、法的な視点です。「業績への影響が心配だから」「他の従業員の負担が増えるから」といった理由で、がんと診断された従業員を退職させようとする動きは、重大な法的リスクを招く可能性があります。
労働契約法第16条は、解雇に「客観的合理的な理由」と「社会通念上の相当性」を求めており、がん罹患のみを理由とした解雇は無効と判断される可能性が高いとされています。また、業務起因のがん(化学物質への長期曝露等)であれば、労働基準法第19条により、療養期間中およびその後30日間は解雇が原則禁止されています。
さらに、治療の結果として身体的な障害が残った場合には、障害者雇用促進法に基づく「合理的配慮の提供義務」が発生するケースもあります。合理的配慮とは、障害のある従業員が職場で働き続けられるよう、業務内容・環境を過度な負担なく調整することを指します。
退職勧奨そのものが直ちに違法となるわけではありませんが、強迫的・執拗な勧奨は不法行為と認定されるリスクがあります。まずは「どうすれば続けて働けるか」を起点に考えることが、法的にも倫理的にも正しい姿勢です。
活用できる社会保険・支援制度を正しく理解する
がん治療中の従業員を支える制度は、公的なものだけでも複数あります。会社側がこれらを把握し、本人に適切に案内することが、就労継続支援の第一歩です。
傷病手当金(健康保険)
業務外の傷病で連続3日以上仕事を休んだ場合、4日目から標準報酬日額の3分の2が最長1年6か月支給されます(健康保険法第99条)。有給休暇が枯渇した後でも収入を確保できるため、治療に専念するための重要なセーフティネットです。
会社としては、申請書の「事業主記載欄」への記載が必要です。記載内容は「欠勤の事実と期間の証明」であり、病名や治療内容の記載は原則として不要です。手続きの流れを人事担当者が把握し、本人が申請しやすい環境を整えましょう。
高額療養費制度
がん治療は医療費が高額になりやすいですが、高額療養費制度により、月ごとの自己負担額には上限が設けられます(所得に応じて異なる)。また、事前に「限度額適用認定証」を取得することで、窓口での支払い自体を上限額に抑えられます。この制度の存在を知らない従業員も多いため、診断を受けた際に案内することを社内ルール化するとよいでしょう。
両立支援コーディネーター・地域の支援機関
独立行政法人 労働者健康安全機構が提供する「両立支援コーディネーター」は、無料で活用できる専門家です。主治医・会社・本人の三者をつなぐ橋渡し役として、就労調整や支援計画の作成をサポートしてくれます。産業医がいない中小企業でも利用可能なため、積極的に活用を検討してください。
また、各都道府県の産業保健総合支援センターや地域産業保健センターでは、50人未満の小規模事業場向けに無料の産業保健サービスが提供されています。専門家のサポートが得にくい中小企業こそ、こうした外部リソースを上手に活用することが重要です。
厚生労働省ガイドラインに基づく「両立支援」の基本的な考え方
厚生労働省は2016年に「事業場における治療と仕事の両立支援のためのガイドライン」を策定し、その後も随時改訂を重ねています。このガイドラインは、がんをはじめとする疾病を抱える従業員の就労継続を支援するための実務的な指針であり、中小企業においても参照すべき重要な文書です。
ガイドラインが示す両立支援の基本原則は以下のとおりです。
- 本人の意向を最大限尊重すること:就労継続か休職かは本人が選択するものであり、会社が一方的に決めてはならない
- 主治医・産業医・会社の三者連携:就労の可否・制限事項は主治医の意見を文書(主治医意見書)で確認する
- 「両立支援プラン」の作成:就労継続の場合、業務調整・休暇取得の計画を文書化することで認識のズレを防ぐ
- プライバシーの厳守:病名・治療内容は本人の同意なく第三者に開示しない
特に「主治医意見書」の活用は、実務上非常に有効です。「どのような業務なら可能か」「通院のために必要な時間は何時間か」「避けるべき業務や環境は何か」といった情報を、主治医から文書で取得することで、会社側の対応が具体化します。ガイドライン所定の様式も公開されていますので、厚生労働省のウェブサイトからダウンロードして活用してください。
診断から復職まで:フェーズ別の具体的な対応ポイント
がん治療中の就労支援は、「診断時」「治療継続中」「休職中」「復職時」の各フェーズで求められる対応が異なります。それぞれの段階で何をすべきかを整理しておくことが重要です。
フェーズ①:診断・治療開始時の対応
従業員からがん診断の報告を受けたら、まず行うべきことは本人の意向確認です。「就労を続けたいのか」「いったん休職したいのか」を丁寧に聴取してください。このとき、会社側の都合を優先した誘導は禁物です。
次に、利用できる社内制度・社会保険制度(前述の傷病手当金・高額療養費等)を整理して書面で案内します。口頭のみでは情報が伝わりにくいため、チェックリスト形式の案内文書を用意しておくと便利です。
また、情報管理のルールを最初に決めておくことも重要です。「誰に、何を、どこまで伝えるか」を本人と合意し、書面で確認しておくことで、後々のトラブルを防げます。上司・同僚への開示範囲は本人の希望に沿って決定し、病名の詳細は伝えずに「体調管理が必要な状態」といった表現にとどめるケースも有効です。
フェーズ②:治療継続中の就労支援
治療を続けながら働く場合、柔軟な働き方の提供が中心課題となります。具体的には以下のような対応が考えられます。
- 通院日に合わせた半日休暇・時差出勤の許可(就業規則上の根拠を整備しておくこと)
- 体調に応じたテレワーク・在宅勤務の活用
- 抗がん剤投与後の副作用ピーク期間中の業務量・業務内容の一時的調整
- 月1回程度の定期的な状況確認面談(人事または直属上司が担当)
抗がん剤治療では、投与から数日後に副作用(倦怠感・吐き気等)のピークが来て、その後回復するというサイクルがあります。このサイクルをあらかじめ把握しておくことで、業務スケジュールをより柔軟に調整できます。本人から治療スケジュールの大まかな見通しを共有してもらうよう、相談の場で促してみましょう。
フェーズ③:休職中の対応
治療の段階によっては、一定期間の休職が必要になることもあります。休職中は適切な頻度での連絡が重要です。あまりに頻繁な連絡は本人にとってプレッシャーとなるため、月1回程度を目安に、体調確認と業務への不安を聴取する程度にとどめましょう。
また、復職の基準を事前に明確化しておくことが双方のためになります。「主治医の就労可能という診断書が提出されること」「試し出勤を経て状態を確認すること」など、具体的な条件を就業規則または覚書に定めておくことで、本人も安心して療養に専念できます。
フェーズ④:復職支援
復職時には、いきなり元の業務量に戻すのではなく、段階的な復帰(リハビリ勤務)を設けることが推奨されています。短時間・軽作業から始め、状態を見ながら徐々に通常勤務に近づけていく方式です。厚生労働省のガイドラインでも「試し出勤制度」の活用が推奨されており、就業規則に規定を設けておくとスムーズに運用できます。
復職後3か月程度は週1回程度のフォローアップ面談を設け、産業医・人事・上司が連携して状況を確認する体制を整えましょう。再発・転移の可能性もゼロではないため、継続的な支援体制を維持することが長期的な就労継続につながります。
中小企業が今すぐ取り組める体制整備の実践ポイント
「産業医もいない、専任の人事担当者もいない」という中小企業でも、できることから着実に進めることが重要です。以下に、優先度の高い実践ポイントを整理します。
①就業規則の見直しと整備
まず確認すべきは就業規則です。以下の規定が整備されているかチェックしてください。
- 休職期間の設定:勤続年数に応じた休職期間(例:勤続3年以上は最長1年)の規定があるか
- 分割取得・断続的休職への対応:がん治療は数年単位で続くため、一度復職した後に再び休職が必要になるケースも想定しておく
- 短時間勤務・時差出勤規定:育児・介護以外の事情でも適用できる規定があるか
- 復職基準の明文化:主治医診断書の提出・試し出勤の実施などを明記する
②相談窓口と対応フローの明確化
「何かあったら誰に相談すればよいか」が従業員にわかるよう、相談窓口(人事担当者または経営者)と対応フローを社内に周知しておきましょう。産業医がいない場合は、地域産業保健センターへの相談先を案内として添えておくと安心感につながります。
③情報管理ルールの策定
健康情報は個人情報の中でも特に機密性の高い「要配慮個人情報」(個人情報保護法第2条3項)に該当します。病名・治療内容は本人の同意なく共有しないことを社内ルールとして明文化し、関係者全員に徹底することが必要です。
④外部支援機関との連携
単独での対応に不安がある場合は、以下の外部機関を積極的に活用してください。
- 地域産業保健センター:50人未満の事業場向けに産業医相談等を無料提供
- 産業保健総合支援センター(各都道府県):両立支援に関する個別相談・情報提供
- 両立支援コーディネーター(労働者健康安全機構):三者連携の調整を無料でサポート
- ハローワーク・がん診療連携拠点病院:就労相談・支援の窓口として機能している
まとめ
がんと診断された従業員への対応は、単なる「配慮」ではなく、法的義務の履行と経営リスクの回避という観点からも重要な経営課題です。早期の退職勧奨や放置は、法的トラブルのリスクを高めるだけでなく、職場全体の信頼や従業員エンゲージメントにも悪影響を及ぼします。
一方で、適切な支援体制を整えることは、治療中の従業員が安心して働き続けられる環境を生み出し、経験・スキルを持つ人材の離脱を防ぐことにもつながります。「がん治療をしながら働ける会社」という姿勢は、採用ブランドの向上にも寄与するでしょう。
まずは就業規則の確認と相談窓口の明確化という小さな一歩から始め、厚生労働省のガイドラインや外部支援機関も積極的に活用しながら、貴社に合った体制を着実に整えていただければと思います。
よくある質問
Q1: がんと診断された従業員を退職させることは違法ですか?
がん罹患のみを理由とした解雇は、労働契約法第16条が求める「客観的合理的な理由」を欠くため、無効と判断される可能性が高いです。業務起因のがんであれば、労働基準法第19条により療養期間中およびその後30日間は解雇が原則禁止されます。強迫的・執拗な退職勧奨も不法行為と認定されるリスクがあるため、まずは就労継続の方法を探ることが重要です。
Q2: がん治療中に給料が支払われない場合、どのような制度で収入を補える?
傷病手当金(健康保険)は、業務外の傷病で連続3日以上仕事を休んだ場合、4日目から標準報酬日額の3分の2が最長1年6か月支給される制度です。有給休暇が枯渇した後でも収入を確保でき、治療に専念するための重要なセーフティネットとなります。会社は申請書の事業主記載欄への記載が必要となります。
Q3: 中小企業でも専門家のサポートを受けることはできますか?
独立行政法人労働者健康安全機構が提供する「両立支援コーディネーター」は無料で活用でき、主治医・会社・本人をつなぐ橋渡し役として支援計画作成をサポートしてくれます。また、各都道府県の産業保健総合支援センターでは50人未満の小規模事業場向けに無料の産業保健サービスを提供しており、産業医がいない中小企業も利用可能です。
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