従業員が病気やケガで突然、長期休職に入る。そのとき、人事担当者はどれほどの不安を感じるでしょうか。「本人から傷病手当金の話が出たが、会社は何をすればよいのか」「申請書の証明欄に何を書くのか」「給与を一部支払っていたら手当はどうなるのか」――こうした疑問が積み重なり、気づけば対応が後手に回っているケースは少なくありません。
傷病手当金は、健康保険法(第99条〜第108条)に基づく公的給付であり、業務外の傷病で働けなくなった従業員の生活を支える重要な制度です。申請主体は従業員本人ですが、会社(事業主)は法律上の証明者として手続きに深く関与します。証明を誤れば支給が遅れ、従業員の生活に直接影響します。本記事では、申請フローの全体像から会社が担う具体的な義務、よくあるミスの回避策まで、実務に即して解説します。
傷病手当金とは何か――支給要件と基本的な仕組み
まず制度の基本を整理します。傷病手当金は、業務外の傷病によって休業した健康保険の被保険者(会社員等)に対し、所得を補償するために支給される給付です。以下の4つの要件をすべて満たす必要があります。
- ① 業務外の傷病による療養中であること(業務上・通勤災害の場合は労災保険が適用されます)
- ② 労務不能であること(医師が「働けない状態である」と判断し、意見書に記載することが必要です)
- ③ 連続3日間の待期期間を完成していること(この3日間は有給休暇・欠勤・公休のいずれでもカウントされます)
- ④ 休業による報酬の減少があること(給与が全額支払われている期間は支給されません)
支給額は標準報酬日額(※)の3分の2相当です。標準報酬日額とは、社会保険の等級ごとに定められた月額報酬を30で割った金額のことです。支給期間は、同一の傷病につき通算1年6か月です。2022年1月の法改正によって「暦上の1年6か月」から「通算1年6か月」方式に変更されており、途中で復職してカウントが止まった期間は支給残日数に含まれます。この改正は復職と休職を繰り返すケースでは特に重要です。
なお、待期期間の3日間は傷病手当金の対象外です。4日目以降の休業日から支給の対象となります。
申請フローの全体像――会社はどの段階で何をするか
申請の流れを時系列で把握しておくことが、手続き漏れを防ぐ第一歩です。以下に代表的なフローを示します。
- ステップ1:休職開始の確認と健保種別の確認
まず、従業員が加入している健康保険が「全国健康保険協会(協会けんぽ)」か「組合健保」かを確認します。申請書の書式や提出先が異なるため、最初に必ず確認してください。 - ステップ2:待期期間(連続3暦日)の確認
休職開始日から連続して3日間が待期期間となります。有給休暇消化中であっても、医師が「労務不能」と判断していれば待期のカウントに含まれます。この点は後述の「よくある誤解」でも詳しく解説します。 - ステップ3:申請書の入手と各欄の記入
4日目以降が申請対象期間となります。申請書は3つのパートに分かれており、それぞれ記入者が異なります。- 「被保険者記載欄」→ 従業員本人が記入・署名
- 「療養担当者記載欄」→ 担当医師が記入(診断・労務不能の証明)
- 「事業主記載欄」→ 会社(事業主)が記入・証明
- ステップ4:協会けんぽまたは健保組合へ提出
提出は従業員本人または会社経由のいずれでも可能です。 - ステップ5:審査・支給決定・振込
支給決定まで通常2〜3週間程度かかります。支給は本人の指定口座へ振り込まれます。
休職が長期にわたる場合は、月1回のペースで継続申請が必要です。申請には2年の時効があるため、申請を後回しにしすぎると受給権を失うリスクがあります。月次で申請書を回収・証明・提出する運用を社内で定めておくことが重要です。
事業主証明欄の書き方――会社が記載すべき内容と注意点
健康保険法の規定により、事業主証明は法定事項です。会社は正当な理由なく証明を拒否することはできません。証明を拒否・遅延させると従業員の受給が妨げられるほか、トラブルに発展するリスクもあります。速やかに対応することが会社の義務です。
事業主記載欄に記入する主な内容は以下のとおりです。
- 休業期間(申請対象期間)の開始日・終了日
- 出勤状況(カレンダー形式で出勤日・欠勤日を記入します)
- 給与・報酬の支払い有無と支払額(支払った日・金額を正確に記載)
- 事業主の氏名・住所・捺印
記載にあたっては、出勤簿・賃金台帳などの客観的な記録を根拠にすることが不可欠です。記憶や口頭確認で記入することは誤記・不整合のリスクが高く、審査で差し戻しになる場合もあります。日頃から出勤記録と給与支払い記録を正確に管理しておくことが、証明をスムーズに行うための土台となります。
また、傷病名については会社の証明欄に記載する必要はありません。傷病名は医師が「療養担当者記載欄」に記入します。会社担当者が傷病名を申請書に書き込もうとして、従業員から「なぜ病名を知っているのか」と指摘されるケースもあります。従業員のプライバシーに配慮し、会社が関与すべき範囲を正しく理解しておきましょう。
なお、メンタルヘルス不調による休職の場合、従業員が申請書の手配そのものに困難を感じているケースもあります。そうした場合は、メンタルカウンセリング(EAP)を活用して、従業員のサポート体制を整えておくことも、円滑な申請につながります。
給与との調整ルール――休職中の給与支払いと傷病手当金の関係
傷病手当金は「報酬の減少を補填する」制度であるため、給与と傷病手当金が重複して受け取れるわけではありません。調整ルールを正確に把握しておかないと、従業員への案内を誤るリスクがあります。
- 給与が傷病手当金の額を上回る場合:その期間は傷病手当金は支給されません。
- 給与が傷病手当金の額を下回る場合:差額分のみ傷病手当金として支給されます。
- 給与がゼロ(無給)の場合:傷病手当金が全額支給されます。
- 有給休暇消化中:給与が支払われているため傷病手当金は支給されません。ただし、労務不能の状態であれば待期期間のカウントには算入されます。
休職開始直後に有給休暇を消化させる運用をとっている会社もありますが、その場合でも待期期間(3日間)は成立し得ます。4日目以降に無給となれば、その日から傷病手当金の支給対象です。有給休暇の消化と傷病手当金の開始タイミングについて、従業員に事前に丁寧に説明しておくことが、後々のトラブルを防ぎます。
また、会社独自の休職給付(見舞金・一部給与補填など)を支払っている場合も、報酬として扱われる可能性があります。支払い内容が「報酬」に該当するかどうかは、健保組合や協会けんぽに確認することをお勧めします。
退職・復職が絡む場面での手続き注意点
休職が長期化すると、復職・退職・解雇といった局面に移行することがあります。それぞれのシーンで手続きが変わるため、正確な知識が必要です。
退職後の継続給付(退職後受給)
一定の条件を満たせば、退職後も傷病手当金の受給を継続できます。その条件は以下の2点です。
- 退職日時点で健康保険の被保険者期間が継続して1年以上あること
- 退職日に労務不能の状態であること
特に注意が必要なのが「退職日に出勤してしまうと、労務不能の条件を満たせなくなる可能性がある」という点です。退職前に「挨拶だけでも」と出社を促すことは、従業員の受給資格を失わせるリスクがあります。退職日の対応については、慎重に検討してください。
退職後の申請では、事業主証明欄への会社記載は不要になります。本人と医師の記載のみで申請が可能です。
復職後に再休職した場合
2022年1月の法改正により、支給期間は「暦上の1年6か月」ではなく「通算1年6か月」に変わりました。復職している期間はカウントが止まり、再休職すれば残日数分の支給が受けられます。ただし、傷病が同一かどうかは審査で判断されるため、別傷病として認められた場合は新たに1年6か月のカウントが始まります。
こうした複雑なケースは、社内での判断が難しい場合があります。産業医サービスを通じて産業医と連携することで、復職可否の判断や職場復帰支援プランの策定をより円滑に進めることができます。
実践ポイント――会社担当者がすぐに整備すべきこと
最後に、実務対応をスムーズにするための具体的なポイントをまとめます。
- 健保種別の事前確認:自社が協会けんぽか組合健保かを把握し、最新の申請書様式を入手しておきます。組合健保の場合は書式や手続き方法が異なることがあります。
- 出勤簿・賃金台帳の正確な管理:事業主証明欄の記載根拠となる書類です。日頃からデジタルまたは書面で整備しておきます。
- 休職者対応マニュアルの整備:突然の長期休職が発生したときに「誰が何をするか」を定めたフローを用意しておきます。担当者が変わっても対応できる体制が重要です。
- 月次申請の管理体制:長期休職では毎月の申請が必要です。申請書の回収・証明・提出をスケジュール管理し、2年の時効を意識して対応します。
- 従業員への丁寧な案内:傷病手当金の制度内容・申請方法・給与との関係を従業員にわかりやすく説明します。メンタルヘルス不調の場合は、申請書の手続きを自力で進めることが困難なこともあります。会社がサポートの手を差し伸べる姿勢が大切です。
- 専門家との連携:複雑なケースは社会保険労務士や健保組合の窓口に相談することをためらわないでください。誤った手続きや記載は、従業員の給付を遅らせ、信頼関係にも影響します。
まとめ
傷病手当金は「従業員本人が申請する制度」ですが、会社(事業主)は法律上の証明者として不可欠な役割を担っています。事業主証明欄への正確な記載、給与との調整ルールの把握、月次申請の管理、退職・復職シーンへの適切な対応――これらはすべて会社側の実務義務といえます。
手続きの遅れや誤記が生じると、休職中の従業員の生活に直接的な影響を与えます。制度の仕組みを正確に理解し、日常的な記録管理と社内フローを整備しておくことが、従業員との信頼関係を守ることにもつながります。まだ体制が整っていないと感じる担当者の方は、ぜひ今回の内容を参考に見直しを進めてください。
よくある質問(FAQ)
Q. 有給休暇を消化しているときも傷病手当金の待期期間にカウントされますか?
はい、カウントされます。有給休暇中であっても、医師が「労務不能」と判断している状態であれば、連続3日間の待期期間に算入されます。ただし、有給休暇中は給与が支払われているため、待期期間を満たしていても傷病手当金の支給はされません。4日目以降に無給となった時点から支給対象になります。
Q. 会社が事業主証明を書くとき、傷病名も記載する必要がありますか?
いいえ、原則として不要です。傷病名は申請書の「療養担当者記載欄」に担当医師が記入します。事業主記載欄には、出勤状況・休業期間・給与支払いの有無と金額などを記載します。従業員のプライバシー保護の観点からも、会社が傷病名を申請書に記入する必要はありません。
Q. 傷病手当金の支給期間はいつから「通算1年6か月」方式になりましたか?
2022年1月1日施行の健康保険法改正により、「暦上の1年6か月」から「通算1年6か月」方式に変更されました。これにより、途中で復職してカウントが止まった期間は支給残日数として保持されます。ただし、同一傷病かどうかの判断は健保側が行います。
Q. 従業員が退職した後も、会社は傷病手当金の申請に関与しなければなりませんか?
退職後の継続給付においては、事業主証明欄への会社の記載は原則不要になります。退職後は被保険者本人と担当医師のみで申請が完結します。ただし、退職前の申請については会社証明が必要なため、退職前の未申請期間分がある場合は証明が求められることがあります。
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