従業員のメンタルヘルス対策として法律上の義務となった「ストレスチェック制度」。しかし中小企業の現場では、「自社は対象なのか」「どう進めればよいのか」「結果を見てもいいのか」といった疑問が積み重なり、対応が後手に回るケースが少なくありません。制度を正しく理解しないまま実施しても形骸化するだけであり、最悪の場合は法令違反になるリスクもあります。
本記事では、ストレスチェック制度の義務の範囲から具体的な実施手順、よくある誤解とその対処法まで、中小企業の経営者・人事担当者が知っておくべき情報を体系的に解説します。
ストレスチェック制度とは何か:制度の目的と法的根拠
ストレスチェック制度は、労働安全衛生法第66条の10に基づき、2015年12月から施行された制度です。「心理的な負担の程度を把握するための検査」と法律上は定義されており、従業員が自分のストレス状態を客観的に把握し、メンタルヘルス不調を未然に防ぐことを主な目的としています。
制度の特徴は、あくまで「一次予防」に重点を置いている点にあります。つまり、すでにメンタル不調になった従業員を治療・支援するのではなく、不調になる前に気づき、職場環境そのものを改善することを意図しています。この趣旨を理解しておかないと、「問題のある社員を早期に把握するためのツール」として誤用してしまいかねません。
なお、制度の詳細な手続きは労働安全衛生規則第52条の9から第52条の21に規定されており、実施方法・結果の取扱い・不利益取扱いの禁止などが細かく定められています。
義務の範囲を正確に把握する:50人以上と50人未満の違い
まず押さえるべきは、自社がストレスチェックを実施する義務を負うかどうかです。法律では事業場の規模によって扱いが異なります。
- 常時50人以上の労働者を使用する事業場:毎年1回の実施が義務
- 常時50人未満の事業場:実施は努力義務(義務ではないが実施が望ましい)
ここで注意が必要なのは、「常時使用する労働者数」の数え方です。パートタイマーや契約社員も、週の労働時間や雇用期間によっては「常時使用する労働者」に含まれる場合があります。また、同一企業でも事業場(店舗・支店など)が複数ある場合は、事業場ごとに50人以上かどうかを判断する点に留意してください。本社が100人規模でも、各支店が30人規模であれば、各支店は努力義務の扱いになります。
「50人未満だから何もしなくていい」と考えることは危険です。努力義務であっても、従業員のメンタルヘルス対策を怠った結果として労務トラブルが発生した場合、会社の安全配慮義務違反が問われる可能性があります。規模が小さい事業場でも、地域産業保健センター(各都道府県に設置)を活用することで、低コストかつ負担の少ない形でストレスチェックを実施できる環境が整っています。
実施手順を押さえる:準備から報告書提出まで
ストレスチェックは「とりあえず調査票を配ればよい」というものではありません。法令が定める手順に沿って進める必要があります。以下に主な流れを示します。
STEP1:実施体制の整備
ストレスチェックを実施できる人物(実施者)は法律で限定されています。具体的には医師・保健師・所定の研修を修了した看護師または精神保健福祉士です。「産業医がいないから実施できない」という声も聞かれますが、産業医以外でも実施者になれる点は重要です。また、外部のEAP機関(従業員支援プログラムを提供する専門機関)や健康保険組合への委託も可能です。
実施者のほかに、調査票の配布・回収・データ入力などの事務的作業を担う「実施事務従事者」も選定します。人事・労務担当者がこの役割を担うことが多いですが、人事権を持つ管理監督者は実施事務従事者になることができない点に注意が必要です。
STEP2:衛生委員会での審議と周知
実施方法・調査票の種類・集団分析の対象範囲などは、衛生委員会(または安全衛生委員会)で審議し、全従業員に周知することが求められます。衛生委員会の設置が義務付けられていない50人未満の事業場では、労働者の意見を聴く機会を設けることが推奨されています。
調査票については、厚生労働省が推奨する「職業性ストレス簡易調査票(57項目)」が最もポピュラーで、仕事のストレス要因・心身のストレス反応・周囲からのサポートという3領域をカバーしています。法定項目を満たしていれば他の調査票を使用することも認められています。
STEP3:受検の実施
受検期間は2〜4週間程度設けると受検率が上がりやすいとされています。受検は任意であり、強制することはできません。また、未受検を理由とした不利益取扱いも禁止されています。受検率を高めるためには、事前に制度の目的・個人情報保護の仕組み・不利益取扱いが禁止されていることを十分に説明することが重要です。
STEP4:結果の通知と高ストレス者への対応
ストレスチェックの結果は本人に直接通知されます。事業者(会社)が結果を取得するためには、本人の同意が必要です。この点は制度の根幹であり、「会社が全従業員の結果を把握して早期対応したい」という目的での取得は、制度の趣旨に反するだけでなく違法となる可能性があります。
実施者が高ストレスと判定した従業員には、面接指導を受けられることを案内します。面接指導は本人の申出に基づいて実施されるものであり、会社が強制することはできません。面接指導の申出を理由とした不利益取扱いも厳しく禁止されています。
なお、高ストレス者が面接指導を希望した場合は、医師による面接指導を遅滞なく実施し、その結果に基づいて就業上の措置(業務量の軽減・部署異動の検討など)を講じる必要があります。面接指導を担当する医師の確保には、産業医サービスを活用することで、専門家への相談・依頼がスムーズになります。
STEP5:労働基準監督署への報告
常時50人以上の事業場は、ストレスチェック実施後に「心理的な負担の程度を把握するための検査結果等報告書」を労働基準監督署に提出する義務があります。この報告義務を怠った場合、50万円以下の罰金が科せられる可能性があります。毎年実施・毎年報告が基本であることを忘れないようにしてください。
個人情報保護と結果の取り扱い:よくある誤解を解く
ストレスチェックの結果は非常にセンシティブな個人情報です。取り扱いに関する誤解が多いため、重要なポイントを整理します。
- 事業者は本人同意なく結果を取得できない:結果は実施者(医師・保健師など)から本人へ直接通知されます。事業者が結果を入手するには、個別の本人同意が必要です。
- 集団分析は10人以上の集団を対象とする:部署・チームなど集団単位で分析する「集団分析」は推奨されていますが、10人未満の集団では個人が特定されるリスクがあるため、原則として結果を開示しません。
- 面接指導の結果は5年間保存する義務がある:ストレスチェック結果の記録、および面接指導の結果の記録はそれぞれ5年間保存することが必要です。
「結果が悪い社員を把握して先手を打ちたい」という経営者・人事担当者の気持ちは理解できます。しかし、そのような目的で制度を利用することは制度の趣旨に反し、従業員の信頼を損ない、受検率の低下を招くことにもつながります。従業員が安心して受検できる環境を整えることが、制度の実効性を高める最大の手段です。
集団分析を職場改善に活かす:形骸化を防ぐPDCA
ストレスチェックを実施しても、「データを取るだけで何も変わらない」という状況に陥っている企業は少なくありません。制度の本来の目的は個人のストレス把握にとどまらず、集団分析の結果をもとに職場環境を改善することにあります。
集団分析とは、部署・職種・年齢層などの単位でストレスの傾向を分析し、どの職場にどのようなストレス要因が集中しているかを可視化するものです。この結果を活用するためには、以下のようなサイクルが必要です。
- 分析結果の共有:経営層・管理職・衛生委員会メンバーが結果を共有し、問題意識を持つ
- 改善策の立案:業務量・コミュニケーション・裁量権・職場環境など、具体的な改善アクションを検討する
- 実施と評価:改善策を実行し、翌年のストレスチェック結果と比較して効果を検証する
- PDCAの継続:同じ課題が放置されないよう、年度ごとに前年との比較を行い改善の連続性を保つ
集団分析の活用が難しいと感じる場合は、メンタルカウンセリング(EAP)を提供する外部専門機関に相談することで、分析結果の読み解き方や職場改善の具体策について専門的なアドバイスを受けることができます。
実践ポイント:中小企業が今すぐ取り組める5つのこと
制度の理解を深めたうえで、実際に何から手をつければよいかをまとめます。
- ①自社の義務区分を確認する:事業場ごとの常時使用労働者数を正確に把握し、義務か努力義務かを確認する。50人未満でも実施を検討する価値がある。
- ②実施体制と担当者を明確にする:実施者・実施事務従事者・面接指導担当医師をあらかじめ選定しておく。外部委託の場合も、社内窓口担当者を決めておくことが重要。
- ③従業員への事前説明を丁寧に行う:制度の目的・個人情報の保護・不利益取扱いの禁止を書面や説明会で周知することが受検率向上の鍵となる。
- ④高ストレス者への案内文を工夫する:「申し出ると会社に伝わる」という誤解を解消するよう、案内文に個人情報保護の仕組みを明記する。面接指導は本人の意思に基づくものであることを強調する。
- ⑤集団分析の結果を経営・管理職と共有する:分析結果を人事部門だけで抱え込まず、経営層・管理職が課題意識を持てるよう情報を共有し、改善策の検討につなげる。
まとめ
ストレスチェック制度は、単なる法令対応の「義務」ではなく、従業員の健康を守り、職場環境を改善するための重要なツールです。常時50人以上の事業場には毎年1回の実施義務があり、報告義務違反には罰則も設けられています。一方、50人未満の事業場も努力義務として実施を検討することが、従業員の信頼確保や安全配慮義務の観点からも重要です。
制度を形骸化させないためには、受検率の向上・結果の適切な取り扱い・集団分析を活用した職場改善のPDCAという三つの柱を意識することが必要です。外部の専門機関を上手に活用しながら、自社の実情に合った体制を整えていきましょう。
よくある質問
ストレスチェックは産業医がいない会社でも実施できますか?
はい、実施できます。ストレスチェックの実施者は医師(産業医に限らない)・保健師・所定の研修を修了した看護師または精神保健福祉士と定められており、産業医の選任がない事業場でも、外部のEAP機関や健康保険組合への委託を通じて実施することが可能です。産業医が未選任の場合でも、まずは地域産業保健センターや外部委託機関に相談することをお勧めします。
高ストレス者が面接指導を拒否した場合、会社はどうすればよいですか?
面接指導はあくまで本人の申出に基づくものであり、会社が強制することはできません。本人が申出をしなかった場合、会社の義務は「面接指導を受けられることを案内する」ことまでです。ただし、業務上の状況から明らかに支援が必要と判断される場合には、上司や産業保健スタッフによる声かけや、メンタルカウンセリングなど任意の相談窓口の利用を案内するなど、別のアプローチで支援を継続することが望ましいといえます。
ストレスチェックの結果を会社(人事)が確認することはできますか?
個別の結果を事業者が取得するには、本人の同意が必要です。本人同意なく事業者が結果を取得することは法律上禁止されています。ただし、部署単位の集団分析結果については、10人以上の集団を対象とする場合に限り、個人を特定しない形で事業者が把握・活用することが認められています。







