「就業規則は10年以上前に作ったまま、そういえば見直していない」「ネットで拾ったテンプレートをそのまま使っている」——中小企業の経営者・人事担当者からは、こうした声が珍しくありません。しかし就業規則は、会社と従業員の労働条件を規定する最も重要な社内ルールブックです。法改正への未対応や実態との乖離が放置されると、労務トラブルが発生した際に会社側が著しく不利な立場に置かれるリスクがあります。
本記事では、労働基準法をはじめとする関連法令の要点を踏まえながら、就業規則の作成・見直しにおいて中小企業が押さえるべきポイントを体系的に解説します。
就業規則の作成・届出義務と「10人未満だから不要」という誤解
まず、就業規則の作成義務について正確に理解しておきましょう。労働基準法第89条では、常時10人以上の労働者を使用する事業場に対し、就業規則の作成および労働基準監督署(以下「労基署」)への届出を義務づけています。この「10人」はパートやアルバイトを含む全労働者の人数であり、また「事業場単位」でカウントする点に注意が必要です。本社と支店がある場合は、それぞれの拠点ごとに作成・届出が求められます。
ただし、10人未満の事業場だからといって就業規則を作成しなくていい、という判断は危険です。就業規則が存在しない状態では、労務トラブルが発生した際に会社の主張を裏づける根拠がなくなります。解雇・懲戒処分・休職命令なども、就業規則に根拠規定がなければ無効とされるリスクがあります。小規模事業者ほど、むしろ積極的に整備しておくことが会社を守ることにつながります。
届出にあたっては、労働基準法第90条に基づき、労働者の過半数で組織する労働組合(過半数組合)がない場合は、過半数代表者の意見書を添付することが義務づけられています。この「意見聴取」は同意を得ることとは異なりますが、代表者の選出プロセス(挙手・投票等)を適正に行い、記録を残しておくことが重要です。「会社が指名した人に署名させた」という形では、後日その正当性を問われる可能性があります。
記載しなければならない事項:絶対的必要記載事項と相対的必要記載事項
就業規則に盛り込む内容は、法律上「絶対的必要記載事項」と「相対的必要記載事項」に分かれています。
絶対的必要記載事項(必ず記載しなければならない項目)
- 始業・終業の時刻、休憩時間、休日、休暇:変形労働時間制やフレックスタイム制を採用している場合はその旨も明記する
- 賃金の決定・計算・支払方法、締切日・支払日
- 退職に関する事項:定年、自己都合退職の手続き、解雇事由を含む
相対的必要記載事項(制度がある場合は記載が必要)
- 退職金・賞与の有無と算定方法
- 安全衛生に関する事項
- 教育訓練・表彰・制裁(懲戒)に関する事項
- 休職に関する事項
特に懲戒規定については、就業規則に懲戒の種類・事由・手続きが明記されていなければ、懲戒処分そのものが無効と判断されるリスクがあります。「規則に書いていないことは会社が自由にできる」という誤解は禁物です。
また、就業規則は作成するだけでなく、労働基準法第106条が定める「周知義務」を果たすことで初めて効力が生じます。常時各作業場の見やすい場所への掲示、書面の交付、社内イントラネットへの掲示などの方法が認められています。作成したまま金庫にしまっているケース、あるいは管理職しか閲覧できない状態も「周知していない」と判断されることがあります。
法改正に対応できているか?見直しが急務な4つの領域
日本の労働法制はここ数年で大きく変わっています。就業規則が現行法令と乖離していると、会社が意図せず法令違反を犯していたり、従業員から訴訟リスクにさらされたりする可能性があります。以下の4領域は特に見直しの優先度が高い分野です。
①有給休暇の年5日取得義務への対応
2019年4月に施行された労働基準法第39条第7項の改正により、年間10日以上の有給休暇が付与される労働者に対して、使用者は年5日を時季を指定して取得させる義務を負います。この義務に対応するためには、就業規則に「時季指定の手続き」や「計画年休の定め(労使協定を締結した場合)」を明記しておく必要があります。記載がないまま運用していると、実態と規則の乖離が生じ、トラブルの温床になりかねません。
②テレワーク・副業・フレックスタイムへの対応
新しい働き方の普及に伴い、既存の就業規則では対応できないケースが増えています。テレワークについては、適用条件・費用負担(通信費・光熱費等)・労働時間管理の方法・情報セキュリティ上のルールを具体的に規定する必要があります。副業・兼業については、許可制とする場合の申請手続き・競業避止義務・労働時間の通算ルール(労働基準法上、同一労働者の労働時間は事業場をまたいで通算されます)を定めておくことが重要です。
③同一労働同一賃金への対応
パートタイム・有期雇用労働法および労働者派遣法の改正により、正社員と非正規社員(パート・アルバイト・契約社員・派遣社員)の間での不合理な待遇差が禁止されています。中小企業においては2021年4月からこの規定が適用されており、待遇差の合理的な説明ができるよう、雇用形態ごとに就業規則(または別規程)を整備しておく必要があります。「正社員規則しかない」という状態は早急に見直しが必要です。
④ハラスメント・メンタルヘルス対応規定の整備
パワーハラスメント防止措置が2022年4月から中小企業にも義務化されたことを受け、就業規則にハラスメントの定義・禁止行為・相談窓口・調査手続き・懲戒処分の規定を盛り込む必要があります。また、メンタルヘルス不調者への対応として、休職の開始要件(診断書の提出)、休職期間、復職の判断基準(産業医サービスの活用を含む)、休職期間満了時の取り扱い(自然退職か解雇かの明確化)を規定しておくことがトラブル防止に直結します。
不利益変更の判断基準——どこまで変えると問題になるか
就業規則の見直しで最も慎重に扱わなければならないのが、労働条件の「不利益変更」です。労働契約法第9条は、原則として労働者の同意なく就業規則を変更して労働条件を不利益に変更することを禁止しています。
ただし同法第10条では、例外的に「変更に合理性があり、かつ労働者に周知されている場合」には変更後の就業規則が効力を持つと定めています。この合理性は、以下の要素を総合的に考慮して判断されます。
- 変更の必要性(経営上の必要性・緊急性はどの程度か)
- 変更内容の相当性(不利益の程度・代償措置の有無)
- 労働組合・労働者代表との交渉・協議の経緯
- 他の労働者への影響
「賃金を下げる」「退職金を廃止・減額する」「休職期間を短縮する」といった変更は不利益変更に当たりやすく、個別の同意取得が実務上推奨されます。一方、「有給休暇の申請手続きを電子申請に変更する」といった手続き的な変更は不利益の程度が低く、周知のみで足りる場合が多いとされています。変更の際は弁護士や社会保険労務士に確認しながら進めることが、後日の紛争リスクを最小化する最善策です。
実践ポイント:就業規則の「形だけ」から「使える規則」へ
就業規則の整備を実効あるものにするために、以下の実践的なポイントを押さえておきましょう。
テンプレートはあくまで「出発点」と心得る
インターネットで入手できる就業規則のテンプレートは、作成作業の効率化には役立ちます。しかし業種・業態・人員構成・給与体系・雇用形態などは企業ごとに異なるため、テンプレートをそのまま提出・運用することは、「紙の上だけの規則」を生み出すリスクがあります。実際の労働条件・慣行と条文が一致しているかを必ず照合してください。
年1回の定期見直しサイクルを構築する
労働基準法・育児介護休業法・パートタイム・有期雇用労働法など、労働関係法令は毎年のように改正されます。改正が多い4月前後を目安に、年1回は就業規則の条文を確認する習慣を社内に定着させましょう。また、社内でトラブルや従業員からのクレームが発生した条文は、その都度見直しを検討することが重要です。
届出書類はセットで保管する
就業規則を変更した際は、変更届・意見書・新旧対照表をセットで保管してください。労基署の受付印のある控えを必ず手元に残しておくことが、後日の証拠として機能します。電子申請(e-Gov)を活用すると手続きの効率化と記録管理が容易になります。
従業員への周知を記録に残す
就業規則を更新したら、全従業員への周知を徹底し、その方法(掲示・配布・イントラ掲示など)と日付を記録に残しておきましょう。特に雇用形態ごとに異なる規則がある場合は、該当する従業員に確実に届いているかを確認することが重要です。
メンタルヘルス対応は産業医・EAPと連携した規定を
休職・復職規定は条文として定めるだけでなく、実際の運用を支える体制と連動させることが不可欠です。復職可否の判断に産業医の意見を位置づける場合はその旨を明記し、実際にメンタルカウンセリング(EAP)などの支援サービスと連携できる体制を整えておくことで、規則が「絵に描いた餅」にならない運用が可能になります。
まとめ
就業規則は一度作れば終わりではありません。法改正への対応、新しい働き方への対応、雇用形態の多様化への対応——こうした変化に就業規則が追いついていなければ、会社は知らず知らずのうちにリスクを抱え込むことになります。
まずは現在の就業規則を手元に取り出し、「最終改定日はいつか」「テレワーク・副業・ハラスメントの条項はあるか」「雇用形態ごとに規則が整備されているか」を確認するところから始めてみてください。そのうえで、社会保険労務士・弁護士といった専門家と連携しながら、自社の実態に即した「使える就業規則」へと育てていくことが、健全な職場環境と会社の法的安定を同時に実現する近道です。
よくある質問
就業規則は何人から作成が義務になりますか?
労働基準法第89条により、常時10人以上の労働者を使用する事業場では就業規則の作成と労働基準監督署への届出が義務づけられています。ただし10人未満の事業場でも、労務トラブル防止の観点から作成しておくことが強く推奨されます。なお、この「10人」はパート・アルバイトを含む全労働者の人数であり、本社・支店などの拠点(事業場)ごとにカウントします。
就業規則を変更する際、従業員の同意は必ず必要ですか?
労働条件を不利益に変更する場合は、原則として労働者の個別同意が必要です(労働契約法第9条)。ただし、変更に合理的な理由があり、かつ労働者に周知されている場合には、同意がなくても変更が有効とされる余地があります(同法第10条)。賃金の引き下げや退職金の削減など不利益の程度が大きい変更は同意取得が実務上必須とされており、変更前に専門家に相談することを推奨します。
パートやアルバイト向けの就業規則は別に作る必要がありますか?
法律上は正社員規則の適用範囲を明確にすれば別規則を必須とする規定はありませんが、雇用形態ごとに労働条件が異なる場合は、別規則(パートタイマー就業規則・契約社員就業規則など)を作成することが実務上は推奨されます。同一労働同一賃金の観点から待遇差の合理的説明が求められる現在、雇用形態ごとの規則整備は法的リスク管理の面でも重要です。
テレワーク導入時に就業規則で追加すべき事項は何ですか?
テレワーク(在宅勤務等)を導入する場合、就業規則またはテレワーク規程として、①テレワーク適用の条件・対象者、②労働時間の管理方法(始業・終業報告の手続き等)、③通信費・光熱費等の費用負担ルール、④情報セキュリティ上の遵守事項、⑤テレワーク中の安全衛生管理の取り扱いなどを明記することが求められます。既存の就業規則に「勤務場所は会社とする」と限定的に記載されている場合は、その条項の修正も必要です。
就業規則の届出に必要な書類を教えてください。
就業規則を新規作成または変更した際に労基署へ届け出る際には、①就業規則(変更の場合は変更後の全文または変更箇所)、②過半数労働組合または過半数代表者の意見書、③変更の場合は新旧対照表(必須ではありませんが添付が推奨されます)が必要です。受付印のある控えを必ず保管しておきましょう。e-Govを利用した電子申請も可能です。







