従業員のメンタルヘルスを守るために義務化されたストレスチェック制度ですが、「結果を誰が見てよいのか」「高ストレス者の情報を上司に伝えてよいのか」という疑問を抱える経営者・人事担当者は少なくありません。善意で情報を共有しようとした結果、知らぬ間に法律違反を犯してしまうケースもあります。
本記事では、ストレスチェック結果の秘密保持をめぐる法的ルールの全体像を整理し、中小企業が実務で陥りやすい誤解と、正しい運用フローの作り方をわかりやすく解説します。
ストレスチェック結果の秘密保持は法律で義務づけられている
ストレスチェック制度の根拠となるのは労働安全衛生法第66条の10および労働安全衛生規則第52条の10〜第52条の21です。これらの法令は、チェック結果の取り扱いについて非常に厳格なルールを定めています。
最も重要な原則は、「ストレスチェックの結果は、実施者(医師・保健師等)から直接本人に通知される」という点です。事業者(会社)は、本人の同意なしに結果を取得することが原則として禁止されています。つまり、会社が「従業員の健康管理のために必要だ」と判断したとしても、本人の書面による同意がなければ、個々の結果を閲覧することはできません。
また、チェック業務に関わる担当者(実施者・実施事務従事者)には法的な守秘義務が課されており、違反した場合は50万円以下の罰金という罰則が設けられています。「知らなかった」では済まない厳しい規定です。
さらに、厚生労働省の「ストレスチェック等の実施に関する指針」は、チェック制度の運用の詳細を定める重要な行政指針となっています。法律・省令・指針の三層構造をきちんと理解したうえで、社内の運用ルールを整備することが求められます。
「実施者」「実施事務従事者」「事業者」の役割と権限の違いを押さえる
秘密保持の仕組みを理解するうえで、まず三者の役割を明確に区別することが不可欠です。混同していると、誰がどこまで情報にアクセスしてよいのかが曖昧になり、法令違反につながります。
実施者:結果を直接扱う専門職
実施者とは、ストレスチェックを実際に実施する医師・保健師等の専門職を指します。チェック結果の確認や高ストレス者の選定、本人への結果通知を行う立場です。法律上の守秘義務があり、正当な理由なく情報を第三者に漏らすことは禁じられています。
実施事務従事者:集計・入力を担う担当者
実施事務従事者とは、調査票の回収・入力・集計など、チェック業務の事務処理を担う人物です。実施者と同様に法的守秘義務が課されます。
ここで注意が必要なのが、人事担当者が実施事務従事者を兼任するケースです。昇進・異動・解雇などの人事権を持つ者は、実施事務従事者になることができません。人事権を持つ担当者が実施事務従事者を兼ねると、チェック結果を通じた不当な人事措置につながるリスクがあるためです。中小企業では人手不足から兼務になりやすいため、特に注意が必要です。
事業者(会社・人事部門):原則として結果を取得できない立場
事業者は、本人の書面または電磁的記録による同意なしに、個人のチェック結果を取得することができません。「高ストレス者リストを把握して早めに対応したい」という経営者の思いは理解できますが、本人が同意しない限り、その情報にアクセスする合法的な方法はありません。
同意取得・集団分析・データ保管の具体的なルール
同意を取得する場合の正しい手順
本人の同意があれば、事業者はチェック結果を受け取ることができます。ただし、同意の取得方法と活用範囲には厳格な制限があります。
- 同意は書面または電磁的記録(電子書類等)で取得する
- 同意は任意であることを明示する(強制・誘導による同意は無効)
- 取得した情報は使用目的を限定し、不当な人事上の不利益に使用しない
- 同意を得たとしても、就業上の不利益措置(降格・解雇等)への活用は法律で明示禁止
「同意書にサインさえしてもらえば何でも使える」というのはよくある誤解です。同意の範囲・目的を超えた利用は無効であり、場合によっては法令違反となります。
集団分析は可能だが10人未満の部署は要注意
部署や職場単位でストレスの傾向を把握する集団分析(職場環境分析)は、事業者が実施機関から受け取ることが認められています。ただし、10人未満の集団への分析結果の提示は原則禁止されています。少人数の部署では、回答内容から個人が特定されるリスクがあるためです。
10人未満の部署については、複数部署を統合して分析するか、結果を提示しないかたちをとることが一般的な対応です。5人しかいない部署の集団分析結果を経営会議で共有するといった行為は、個人情報の不当な開示につながる恐れがあります。
なお、集団分析の結果をもとに職場環境改善を行うことは事業者の努力義務です。「実施したこと」で終わりにするのではなく、分析結果を職場改善の施策に活かし、その記録を残しておくことが重要です。
データ保管と廃棄のルール整備
チェック結果のデータは5年間の保存が必要です(実施機関が保管する場合を含む)。また、保存期間満了後の廃棄手順についても、就業規則や内部規程に明記しておく必要があります。
外部機関(EAP・健診機関等)に実施を委託している場合も、委託元である事業者に管理監督責任があります。「委託しているから責任は委託先にある」という考えは誤りです。委託先とのデータ処理委託契約に秘密保持条項を明記し、クラウドサービスを利用する場合はサーバーの所在地やアクセス権限の管理体制も確認しておくことが求められます。
面接指導申出の情報管理:上司への報告は違法になる
高ストレスと判定された従業員が産業医等による面接指導を申し出た場合、その申出情報も秘密保持の対象となります。「誰が面接指導を申し出たか」を上司や他の人事担当者に報告することは、本人の同意なしに行うことができません。
「本人のためを思って上司に伝えた」という善意の行動であっても、法律上は違反となります。面接指導の申出を受けた後の流れは、産業医等と事業者(窓口担当者に限定)との間で完結させることが基本です。
面接指導の結果、就業上の措置(時間外労働の制限・配置転換等)が必要と判断された場合でも、医師の意見を参考にしたうえで対応の事実のみを関係者に共有するに留め、診断内容や申出の詳細を広める必要はありません。
こうした面接指導の運用を適切に行うためには、外部の産業医との連携体制が欠かせません。産業医サービスの活用により、非常勤・嘱託の産業医との定期的な連携フローを整備することが、中小企業における実務上の現実的な解決策の一つです。
中小企業が今すぐ取り組むべき実践ポイント
①実施体制を「見える化」して書面で残す
誰が実施者で、誰が実施事務従事者で、どの情報が誰にどこまで共有されるのかをフロー図や内部規程として明文化しましょう。口頭での運用は属人化しやすく、担当者が変わったときに情報漏洩リスクが高まります。
②人事担当者が実施事務従事者を兼ねる場合は即座に見直す
人事権を持つ担当者が実施事務従事者を兼務している場合は、速やかに役割を分離してください。規模が小さく人手が足りない場合は、外部のEAPや健診機関にチェック業務を委託し、社内での情報アクセスを最小化する方法が有効です。
メンタルカウンセリング(EAP)サービスに実施業務を委託することで、守秘義務のある専門家が情報を適切に管理し、社内担当者が個人結果に触れない運用体制を整えることができます。
③従業員への事前説明を丁寧に行う
「誰が結果を見るのか」「会社には原則として渡らない」という情報を、チェック実施前に全従業員に丁寧に伝えることが、受検率向上と制度の信頼性確保につながります。説明が不十分だと受検を拒む従業員が増え、制度が形骸化する原因になります。
④同意書の書式と保管手順を整備する
本人同意を取得する際は、同意が任意であること、情報の使用目的、共有される範囲を明記した書式を用意しましょう。同意書は電子記録でも有効ですが、後から確認できる形式で保管することが重要です。
⑤委託契約書に秘密保持条項を必ず入れる
外部機関に実施を委託している場合は、現在の委託契約書を見直し、秘密保持条項・データ廃棄規定・再委託の制限・違反時の責任規定が盛り込まれているかを確認してください。不備がある場合は契約を改定することを検討しましょう。
まとめ:「善意」では守れない秘密保持の仕組みを正しく構築する
ストレスチェック結果の秘密保持は、単なるマナーや配慮の問題ではなく、法律に基づく義務です。「本人のためを思って上司に伝えた」「結果を把握して適切な対応をしたかった」という善意の行動であっても、法令違反となるケースは少なくありません。
中小企業では人手不足から役割分担が難しいケースも多いですが、だからこそ外部専門機関の活用と内部規程の整備を組み合わせて、情報管理の体制を確実に構築することが求められます。
ストレスチェック制度の本来の目的は、従業員のメンタルヘルスを守り、職場環境を改善することです。秘密保持の仕組みをしっかり整えることは、従業員の信頼を得て制度を機能させるための土台となります。「実施したこと」で満足するのではなく、正しい運用と継続的な改善に取り組むことが、真の意味での職場の健康経営につながります。
よくある質問(FAQ)
Q1. ストレスチェックの結果は、会社(事業者)が見てもよいのですか?
原則として、事業者(会社・人事部門)は従業員のストレスチェック結果を取得することができません。結果は実施者(医師・保健師等)から直接本人に通知されるのが基本です。事業者が結果を受け取れる唯一の正規ルートは、本人が書面または電磁的記録で同意した場合に限られます。また、同意を取得した場合であっても、就業上の不利益措置(降格・解雇等)に情報を使用することは法律で明示的に禁じられています。
Q2. 高ストレス者が出た場合、上司に知らせることはできますか?
できません。高ストレス者の個人情報を本人の同意なしに上司や他の人事担当者に伝えることは法律違反です。「本人のため」という善意の行動であっても、違法となります。高ストレス者への対応は、産業医等の実施者が本人と直接やりとりするかたちで進めるのが正しい運用です。面接指導の申出があった事実も含め、関係者への情報共有は本人同意を得たうえで必要最小限に留めてください。
Q3. 人事担当者がストレスチェックの実施事務を担当することはできますか?
昇進・異動・解雇などの人事権を持つ担当者は、実施事務従事者になることができません。人事権を持つ人物が実施事務従事者を兼ねると、チェック結果を通じた不当な人事措置につながるリスクがあるためです。中小企業で役割を分離することが難しい場合は、EAPや健診機関など外部の実施機関に業務を委託し、社内担当者が個人結果に触れない体制を整えることを検討してください。
Q4. 5人しかいない部署の集団分析結果を会議で共有してもよいですか?
原則として認められません。10人未満の集団への集団分析結果の提示は、個人が特定されるリスクがあるため、法令上の原則として禁止されています。少人数の部署については、複数部署を統合したかたちで分析するか、当該部署の結果を非提示とする対応が必要です。小規模部署の結果を経営会議や管理職会議で共有することは、個人情報の不当な開示につながる恐れがあります。
Q5. ストレスチェックの情報管理ルールに違反した場合、どのような罰則がありますか?
実施者や実施事務従事者が守秘義務に違反した場合、50万円以下の罰金が科される可能性があります(労働安全衛生法に基づく罰則)。また、個人情報保護法違反が重なる場合は、個人情報保護委員会からの是正指導や、悪質なケースでは刑事罰の対象となる可能性もあります。加えて、情報漏洩が発生した場合は従業員からの損害賠償請求リスクも生じ得ます。「知らなかった」では免責されないため、正確な知識に基づく運用体制の整備が不可欠です。
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