従業員が病気やケガで長期間休職することになったとき、多くの中小企業の人事担当者が最初に直面するのが「傷病手当金の手続きをどう進めればよいか」という問題です。傷病手当金は健康保険法に基づく制度ですが、申請書の記載方法、給与との調整、退職時の対応など、実務では判断に迷う場面が少なくありません。
特に近年は精神疾患を理由とした休職が増加しており、休職が長期化・複雑化する傾向があります。人事担当者が制度を正しく理解し、従業員に適切な情報提供と手続き支援を行うことは、企業としての信頼にも直結します。本記事では、傷病手当金の基本的な支給要件から、企業が実務で押さえるべき手続きのポイント、よくある誤解まで、体系的に解説します。
傷病手当金の支給要件と基本的な仕組み
傷病手当金は、健康保険法第99条以下を根拠とする制度であり、業務外の傷病によって働けなくなった被保険者(従業員)の生活を守ることを目的としています。支給を受けるためには、以下の4つの要件をすべて満たす必要があります。
- 業務外の傷病による療養であること(業務上の傷病は労働災害補償保険が優先されます)
- 労務不能であること(医師が「働けない状態にある」と認める必要があります)
- 連続3日間の待期期間を完成していること(この3日間は支給対象外です)
- 休業により賃金が支払われていない状態であること(賃金が支払われている場合は調整があります)
支給額は、標準報酬日額(直近12か月の平均標準報酬月額を30で割った額)の3分の2です。たとえば、平均標準報酬月額が30万円の従業員であれば、1日あたりの支給額は「300,000円 ÷ 30 × 2/3 = 6,667円」となります。
支給期間については、2022年1月の法改正によって「通算1年6か月」方式に変更されました。改正前は支給開始日から暦日で1年6か月という計算方式でしたが、改正後は実際に休んだ日数を通算する仕組みとなっています。これにより、休職と復職を繰り返した場合でも、実際に傷病手当金を受け取った日数が通算で1年6か月になるまで支給を受けられる可能性があります。長期休職を管理する企業にとって、この変更点は必ず把握しておくべき重要な情報です。
待期期間と有給休暇の関係――よくある誤解を解消する
実務でもっとも誤解が多いのが、「待期期間」と有給休暇の関係です。
傷病手当金の支給が始まるのは、連続して3日間休んだ(待期期間を完成した)翌日、つまり4日目以降からです。この待期期間には、有給休暇を取得した日や土日祝日も含めることができます。
ただし、ここで注意が必要です。有給休暇を取得した日は給与が支払われるため、その日については傷病手当金の支給は行われません。あくまでも「待期期間のカウント」には含まれるが、「給付の対象」にはならないという点を正確に理解しておく必要があります。
また、休業中に給与が支払われている場合の調整ルールも重要です。傷病手当金の額(標準報酬日額の2/3)よりも支給された給与の額が多い場合、傷病手当金は支給されません。給与が傷病手当金の額を下回る場合は、その差額が支給されます。
たとえば、休職中に見舞金や一部給与補填として賃金を支払う場合、その金額の設定によって傷病手当金の支給額が変わる可能性があります。補填額の設定は、事前に社会保険労務士などの専門家に相談しながら決めることをお勧めします。
企業が担う「事業主証明欄」の記載と手続きの流れ
傷病手当金の申請は、原則として被保険者(従業員)本人が行うものです。企業はあくまで申請書の「事業主記載欄(会社証明欄)」を記入する立場であり、申請者ではありません。この点を誤解している担当者も多いため、まず基本的な役割の整理が必要です。
手続きの流れは以下の通りです。
- 従業員が主治医に申請書の「医師の意見欄」への記載を依頼する
- 会社(事業主)が「事業主記載欄」に必要事項を記入する
- 従業員が健康保険組合または協会けんぽに申請書を提出する
- 審査後、指定口座に傷病手当金が振り込まれる
なお、本人の委任があれば会社が代行して提出することも可能です。休職中の従業員が書類の手配を行うことが難しい場合は、会社がサポートすることも選択肢の一つです。
事業主記載欄に記載する主な内容は次の通りです。
- 申請期間中の出勤・欠勤の状況(カレンダー形式で日ごとに記載することが多い)
- 休業期間中の賃金の支払い状況(支払った場合は金額と支払期間)
- 会社の所在地・名称・代表者または担当者の押印
申請は1か月単位で行うことが一般的です。長期休職の場合は毎月申請書を提出することになります。申請書の提出期限は、療養のため休んだ日の翌日から2年以内とされていますが、書類の管理や記憶の正確性を保つためにも、できるだけ早めに申請することが望ましいでしょう。
申請書の書き方については、協会けんぽや加入している健康保険組合のウェブサイトに記載例が掲載されているほか、窓口での相談も可能です。記載方法に不安がある場合は、必ず確認してから記入するようにしてください。
休職中の社会保険料の取り扱いと休職規程の整備
従業員が休職中であっても、社会保険(健康保険・厚生年金保険)の被保険者資格は維持されます。そのため、会社負担分・本人負担分ともに社会保険料の支払い義務は継続します。
問題となるのは、本人負担分の回収方法です。給与が発生していない場合、給与から天引きすることができないため、以下のような方法を事前に取り決めておくことが重要です。
- 毎月、本人に振込依頼書を送付して振込んでもらう
- 復職後の給与から分割して精算する
- 退職時に清算する(ただし退職後に回収が困難になるリスクあり)
いずれの方法を選ぶ場合も、休職開始前または休職規程の中で明確に定めておくことが必要です。後になって「そんな話は聞いていない」というトラブルを防ぐためにも、書面による確認が欠かせません。
また、就業規則の休職規程においては、以下の内容を整備しておくことが推奨されます。
- 休職期間の上限と延長の条件
- 傷病手当金の案内・手続き支援に関する会社の対応方針
- 社会保険料の本人負担分の精算方法
- 復職の条件と手続き(主治医診断書・産業医意見書の提出など)
- 休職満了時の取り扱い(自動退職とする場合の退職日の設定方法)
特に「休職満了=自動退職」とする規定を設けている場合、退職日の設定が退職後の傷病手当金継続給付に影響することがあります。この点については後述します。
退職後の継続給付と復職判断――見落としがちな実務ポイント
退職後も傷病手当金を受け取れるケース
退職後であっても、一定の要件を満たす場合は引き続き傷病手当金を受給できます(継続給付といいます)。要件は以下の2点です。
- 退職日に傷病手当金を受給中であること、または受給できる状態(労務不能)であること
- 退職日までに被保険者として継続して1年以上健康保険に加入していること
この2要件を満たせば、残りの支給期間(通算1年6か月から受給済みの日数を差し引いた期間)について、退職後も傷病手当金を受け取ることができます。
ここで注意が必要なのは、退職日に出勤してしまうと継続給付の要件を満たさなくなる可能性があることです。たとえば、退職日だけ挨拶のために出社した場合でも「労務不能でない」とみなされるリスクがあります。退職手続きにあたっては、従業員にこの点を必ず説明し、退職日の出社については慎重に判断するよう案内することが大切です。
また、休職満了による自動退職の場合も同様に、退職日の設定と当日の状況について健康保険組合または協会けんぽに事前確認することをお勧めします。退職後の継続給付については社内で対応が難しいケースも多いため、メンタルカウンセリング(EAP)など外部の支援機関と連携し、従業員への生活支援の観点からも早めのサポート体制を整えておくことが有効です。
復職判断における産業医の役割
復職を検討する際、主治医による「復職可」の診断書が提出されることが一般的です。しかし、主治医の診断はあくまで「日常生活が可能な状態かどうか」を判断するものであり、実際の職場環境や業務内容での復職可否を評価するものではありません。
そのため、産業医の意見書を活用した復職判断が重要です。産業医は職場環境を踏まえた上で、本人の状態が業務遂行に耐えられるかを客観的に評価することができます。産業医が在籍していない中小企業では、外部の産業医サービスを活用することで、専門的な視点から復職判断のサポートを受けることが可能です。
また、復職後すぐにフルタイム勤務に戻すのではなく、試し出勤(リハビリ出勤)制度を導入することも選択肢の一つです。段階的な復帰を支援する仕組みを就業規則や復職支援プログラムとして整備しておくことで、再発・再休職のリスクを軽減できます。
実践ポイント:企業が今日から取り組むべき対応
傷病手当金に関する企業の対応を整備する上で、まず着手すべき実践的なポイントをまとめます。
- 就業規則・休職規程の見直し:休職期間の上限、社会保険料の精算方法、復職条件などを明文化します。特に「傷病手当金の案内」を会社の対応として明示することで、担当者による対応のばらつきを防げます。
- 申請書の書き方マニュアルの作成:事業主記載欄の記載例を社内マニュアルとして用意しておくと、担当者が変わった場合でも一貫した対応が可能です。
- 休職開始時の従業員への説明:傷病手当金の概要、申請のタイミング、社会保険料の精算方法について、休職開始前に書面で説明し、本人の署名を得ておくことがトラブル防止につながります。
- 退職時の継続給付に関する案内:退職手続き時に継続給付の要件と退職日の出社リスクについて必ず説明します。知らなかったことによる不利益を防ぐことが企業の誠実な対応です。
- 専門家との連携体制の構築:社会保険労務士、産業医などと連携できる体制を整えておくことで、複雑なケースにも迅速に対応できます。
まとめ
傷病手当金は、従業員にとって休職中の重要な生活保障です。企業としては申請者ではなく「事業主証明」の提供者という立場ですが、手続きの流れや制度内容を正確に把握し、従業員を適切にサポートすることが求められます。
待期期間と有給休暇の関係、給与との調整ルール、2022年改正による通算方式、退職後の継続給付、復職判断における産業医の活用――これらの実務知識を担当者がしっかり持っていることが、従業員との信頼関係を守り、企業リスクを減らすことにもつながります。
制度の細部については協会けんぽや加入健康保険組合によって異なる場合もあるため、個別のケースで判断に迷う場合は、必ず各機関または社会保険労務士に確認するようにしてください。正確な知識と適切な体制整備が、従業員も企業も守ることになります。
よくあるご質問(FAQ)
傷病手当金の申請は会社が行うものですか?
傷病手当金の申請は、原則として被保険者(従業員)本人が行います。会社は申請書の「事業主記載欄」に出勤・給与の状況を証明する役割を担います。ただし、本人から委任を受けた場合は会社が代行して提出することも可能です。
有給休暇を取得した日は待期期間に含まれますか?
はい、有給休暇を取得した日も連続3日間の待期期間のカウントに含まれます。ただし、有給休暇取得日は給与が支払われているため、その日については傷病手当金の支給はありません。待期期間のカウントには含まれるが、支給対象にはならないという点に注意が必要です。
休職中も社会保険料の支払いは必要ですか?
はい、休職中であっても被保険者資格が継続する限り、会社負担分・本人負担分ともに社会保険料の支払い義務は続きます。給与からの天引きができないため、振込依頼や復職後の精算など、事前に回収方法を取り決めておくことが重要です。
退職後も傷病手当金を受け取り続けることはできますか?
一定の要件を満たす場合、退職後も継続して傷病手当金を受け取ることができます。要件は「退職日に傷病手当金を受給中または受給できる状態であること」と「被保険者として継続1年以上加入していること」の2点です。なお、退職日に出勤してしまうと要件を満たさなくなる可能性があるため、注意が必要です。
主治医が「復職可」と判断すれば、すぐに復職させなければなりませんか?
主治医の診断書は日常生活における回復状態を示すものであり、職場での業務遂行能力を直接示すものではありません。企業としては産業医の意見も踏まえた上で総合的に復職可否を判断することが望ましく、段階的な復帰(試し出勤・リハビリ出勤)の仕組みを設けることも有効です。







