従業員の健康管理は、企業が果たすべき重要な責務のひとつです。しかし多くの中小企業では、「忙しくて受診できない」「面倒だから後回し」という従業員の声に悩まされながら、受診率がなかなか上がらないという現実があります。さらに、少人数の人事・総務担当者が健康診断の手配から結果管理まですべてを兼務しているケースも多く、仕組みとして機能させることが難しいのが実情です。
本記事では、健康診断受診率向上のための具体的な施策と実践ポイントを、法的な背景とあわせてわかりやすく解説します。「何から手をつければいいかわからない」という担当者の方にも、すぐに取り組める内容をご紹介します。
まず押さえておきたい法律上の義務と罰則リスク
健康診断の実施は、事業者にとって法律上の義務です。労働安全衛生法第66条では、事業者は労働者に対して医師による健康診断を実施しなければならないと定められています。違反した場合、同法第100条・第120条により50万円以下の罰金が科される可能性があります。
また、健診を実施するだけでなく、その後の対応も義務化されています。
- 第66条の5:健診結果に基づき医師の意見を聴き、必要な就業上の措置を講じる義務
- 第66条の6:健診結果を労働者本人に通知する義務
- 第66条の7:保健指導を行う努力義務
見落とされがちな点として、受診義務は労働者側にもあるという点があります。同法第66条第5項では、労働者は事業者が行う健康診断を受けなければならないと定めており、事業者は受診を業務命令として指示することが可能です。正当な理由なく拒否し続ける場合は、就業規則に基づき懲戒処分の対象となり得ます。このことを知らない担当者が多く、「強く言えない」と感じて未受診者を放置してしまうケースが見受けられます。
なお、常時50人以上の事業場は、定期健康診断結果報告書を労働基準監督署へ提出する義務があります。50人未満の事業場は報告義務こそありませんが、健診記録の保存義務(5年間)はすべての事業場に適用されます。
対象者の正確な把握が受診率向上の第一歩
受診率が上がらない根本的な原因のひとつが、「誰が対象なのか」が整理されていないことです。特に非正規雇用が多い職場では、対象者の特定そのものが課題になります。
定期健康診断の対象となる「常時使用する労働者」には、正社員だけでなく一定条件を満たすパートタイム労働者も含まれます。具体的には以下のいずれかに該当する場合です。
- 週の所定労働時間が30時間以上の者
- 正社員の所定労働時間の4分の3以上働いている者
入退社や雇用形態の変更が頻繁に起きる業種では、この対象者リストが常に最新の状態に保たれていないことが多くあります。採用・退職のたびにリストを更新するルールを設け、人事システムや表計算ソフトで管理する仕組みを作ることが、受診率管理の土台となります。
また、深夜業などの特定業務従事者は年2回の受診が義務付けられています。該当する従業員がいる場合は、通常の年1回管理と区別してスケジュールを組む必要があります。
受診を「当たり前にする」環境と仕組みの整備
健康診断の受診率を上げるためには、個人の意識に頼るだけでなく、受診しやすい環境そのものを整えることが重要です。以下に、実践的な施策をまとめます。
年間受診計画の早期確定と周知
年度が始まった時点で、健康診断の実施日程・会場・申し込み方法を確定し、全従業員に周知します。社内掲示板・メール・社内チャットツールなど、複数の手段で繰り返し告知することが効果的です。「知らなかった」という言い訳を生まない仕組みを作ることが大切です。
複数の受診日程・医療機関の用意
受診機会が1回・1か所しかない場合、その日程に都合がつかない従業員が受診できないまま終わってしまいます。複数の日程と複数の医療機関を用意し、従業員が自分のスケジュールに合わせて選べるようにすることで、受診の機会損失を減らせます。
巡回健診(出張健診)の活用
医療機関に出向く時間が取れない職場では、健診車が職場まで来る巡回健診(出張健診)が有効です。移動時間がなくなるため従業員の負担が減り、職場全体での一斉受診が実現しやすくなります。特に製造・物流・建設など現場仕事が多い業種での効果が高い方法です。
受診時間の取り扱いを明確化する
健診費用は事業者負担が原則とされていますが、受診時間中の賃金補償については法律上の明確な規定がありません。ただし、実務上は就業時間内の受診または有給扱いとすることが受診率向上に大きく寄与します。「受診すると給料が減る」という状況では、従業員が受診を後回しにするのは当然です。就業規則や案内文書に受診時間の取り扱いを明記し、受診しやすい条件を整えましょう。
未受診者への段階的なフォロー
締切日を設定し、未受診者リストを毎月可視化することが重要です。メールによる一斉通知だけでなく、上司・管理職による個別の声かけを組み合わせることで、受診率が大きく改善する事例が多くあります。1回の連絡で動かない場合は、2回・3回と段階的にフォローする仕組みをあらかじめ設計しておきましょう。
心理的ハードルを下げるアプローチと多様な従業員への配慮
「病気が見つかると怖い」「自分はまだ若いから大丈夫」という心理的な抵抗感が、受診を遠ざける原因になっていることも少なくありません。この層には、情報提供と安心感の醸成が必要です。
具体的なメッセージとして、「異常が見つかったとしても、早期に発見できれば対処の選択肢が広がる」「受診後に気になる点があれば、社内の相談窓口(産業医・保健師)に相談できる」という点を事前に案内することが効果的です。受診後のフォロー体制が整っていることを伝えるだけで、「受診して何かあったらどうしよう」という不安が和らぐケースがあります。産業医サービスを活用して社内に相談窓口を設けることは、受診後の有所見者対応にも直結する施策です。
また、多様な従業員への配慮も不可欠です。
- 女性従業員:女性医師・女性技師が対応する医療機関の選択肢を提供し、乳がん・子宮頸がん検診とのセット案内を検討する
- 外国人労働者:健診の案内文や受診方法の説明を多言語で準備し、言語の壁による未受診を防ぐ
- シフト制・現場作業員:受診できる日程の選択肢を十分に確保し、シフト変更の負担を最小限にする調整を行う
経営層・管理職の巻き込みとインセンティブ設計
受診率向上において、経営トップや管理職の関与は非常に大きな影響を持ちます。担当者が一人で取り組んでいるだけでは限界があるからです。
経営者自身が率先して健康診断を受け、その姿勢を社内に発信することは、従業員の意識に対して強いメッセージになります。また、管理職を「受診勧奨の実施責任者」として位置付け、部下の受診状況を把握・報告する仕組みを設けることで、職場単位での受診促進が期待できます。
インセンティブ設計も有効な手段のひとつです。
- 受診完了者への特典(健診当日の早退許可、カフェテリアポイントの付与など)
- 職場・部署単位の受診率をランキング形式で掲示し、チーム意識を活用する
- 管理職の評価項目に部署の受診率を加える
また、健康経営優良法人認定の取得を目標に設定することも、経営層の関与を引き出す有効な動機付けになります。同認定の申請要件には健康診断受診率の水準が含まれており、認定取得を目指す経営判断が、受診率向上の取り組みを組織全体のものにするきっかけになります。
実践ポイントのまとめ
健康診断受診率を向上させるためのポイントを整理します。
- 法的根拠を正しく理解する:受診は労働者にも義務があり、業務命令として指示できることを担当者が把握しておく
- 対象者リストを常に最新化する:入退社・雇用形態変更のたびに更新するルールを作る
- 受診機会を最大化する:複数日程・複数会場・巡回健診の活用で「受けたくても受けられない」状況をなくす
- 受診時間の扱いを明示する:就業時間内受診または有給扱いにすることを就業規則・案内文書に明記する
- 未受診者への段階的フォローを仕組みとして設計する:締切設定→リスト可視化→個別声かけ→エスカレーションの流れを事前に決めておく
- 多様な従業員への個別配慮を行う:女性・外国人・シフト制労働者それぞれに対応した案内・受診機会を用意する
- 経営層・管理職を巻き込む:担当者一人に任せず、組織全体の課題として取り組む体制を整える
- 有所見者への事後フォロー体制を整える:受診後の相談窓口としてメンタルカウンセリング(EAP)や産業医との連携体制を整備し、受診への安心感を醸成する
健康診断の受診率向上は、一度の取り組みで達成できるものではありません。年度ごとに受診率データを振り返り、未受診が多い部署や雇用形態の特定→対策の改善というサイクルを繰り返すことが、継続的な改善につながります。担当者の負担を軽減しながら仕組みを整えることが、長期的な受診率向上の鍵です。
よくある質問
パートタイム労働者は全員健康診断を受けさせる必要がありますか?
すべてのパートタイム労働者が対象になるわけではありません。週の所定労働時間が30時間以上、または正社員の所定労働時間の4分の3以上に該当する場合は、定期健康診断の実施義務があります。これらの基準に満たない場合でも、実施することが望ましいとされています。雇用形態が複雑な職場では、定期的に対象者の判定を見直すことをおすすめします。
従業員が健康診断を「受けたくない」と言った場合、どのように対応すればよいですか?
労働安全衛生法第66条第5項により、労働者にも健康診断を受ける義務があります。事業者は業務命令として受診を指示することが可能であり、正当な理由なく拒否が続く場合は就業規則に基づく懲戒の対象となり得ます。まずは拒否の理由を個別に確認し、「病気が見つかると怖い」という不安には受診後の相談窓口を案内するなど、心理的なハードルを下げる対話を優先することが実務上の対応として有効です。
健康診断の費用は会社が全額負担しなければなりませんか?
定期健康診断にかかる費用は事業者が負担するのが原則であり、行政通達でも明確にされています。ただし、オプション検査(がん検診など法定外の項目)については会社と従業員の間で取り決めることが可能です。受診時間中の賃金については法律上の明確な規定はありませんが、受診を促すうえでは就業時間内の扱いとすることが実務上推奨されます。
健康診断の事後措置や保健指導の体制整備には、INTERMINDの産業医サービスが役立ちます。専属の産業保健スタッフが継続的にサポートします。







