「健康診断は毎年きちんと実施しています」——そう胸を張れる経営者・人事担当者は多いでしょう。しかし、実施した後の結果をどう扱っているかを問われると、自信を持って答えられる方はぐっと少なくなります。要再検査の従業員に声をかけただけで終わっていないか、異常所見があった社員への就業上の配慮は行われているか。健康診断は「やって終わり」では、法律上の義務を果たしたことにはならないのです。
本記事では、中小企業の経営者・人事担当者が知っておくべき健康診断結果の適切な活用方法と、保健指導の実践的な進め方を、法的根拠を交えながら解説します。専門家が社内にいない環境でも取り組める実務的なステップをお伝えしますので、ぜひ自社の体制づくりの参考にしてください。
「健康診断を実施した」だけでは法的義務を果たしていない
まず前提として、健康診断に関する事業者の義務は「実施すること」だけではありません。労働安全衛生法は、実施後の一連の対応についても明確に義務・努力義務を定めています。
労働安全衛生法第66条の4では、健康診断の結果に異常所見が認められた従業員について、事業者は医師または歯科医師から意見を聴かなければならないと定めています。この意見聴取は、健診結果が確定してから3ヶ月以内に行う必要があります(労働安全衛生規則第51条の2)。
さらに同法第66条の5では、その意見を踏まえて就業上の措置(就業制限・時間短縮・配置転換など)を講じることが義務付けられています。そして同法第66条の7では、異常所見のある従業員に対して医師または保健師による保健指導を行うよう努める義務が課せられています。
また同法第52条(労働安全衛生規則)に基づき、健診結果を従業員本人に通知することも義務です。健康診断個人票は5年間の保存が求められます。
これらを踏まえると、事業者がすべき対応は以下のような流れになります。
- 健康診断の実施
- 結果の従業員本人への通知
- 異常所見がある場合の医師等への意見聴取(3ヶ月以内)
- 意見を踏まえた就業上の措置の実施
- 異常所見者への保健指導の実施(努力義務)
- 健康診断個人票の5年間保存
意見聴取を怠ったまま業務に従事させ続け、従業員が疾病を発症・悪化させた場合、労働安全衛生法違反として企業責任を問われるリスクがあります。「知らなかった」では済まされない重大な義務であることを、まず認識してください。
健康診断結果の管理と個人情報保護——どこまで会社が把握してよいか
健康診断結果の取り扱いで、多くの中小企業が悩むのが「個人情報の壁」です。従業員の健康情報は個人情報保護法上の「要配慮個人情報」に該当し、通常の個人情報よりも厳格な管理が求められます。目的外の利用や本人の同意なき第三者提供は原則禁止されています。
2019年に厚生労働省が策定した「労働者の心身の状態に関する情報の適切な取扱いのための指針」では、健康情報の取扱いについて以下の考え方が示されています。
- 収集・使用の目的を明確にし、従業員に周知すること
- 健康情報へのアクセスは、必要な者に必要最小限の情報のみに限定すること
- 人事権を持つ管理職等に共有する場合も、全項目の共有は原則不可
- 健康情報を理由とした不利益取り扱いの禁止(労働安全衛生法第104条)
実務的には、健康情報取扱規程(どの情報を誰が管理し、誰に共有できるかを定めたルール)をあらかじめ整備しておくことが重要です。この規程を就業規則の附則として整備し、従業員に周知することで、情報管理の透明性を確保できます。
また、健康診断個人票の管理は紙ベースのままにせず、アクセス権限を設定した電子管理に移行することが、情報漏洩リスクの低減と経年データの活用の両面で有効です。データを集積することで、年度ごとの健康状態の変化を組織単位で把握することが可能になります。
50人未満の中小企業でもできる保健指導の体制づくり
「保健指導をしたいが、産業医も保健師もいない」——これは、産業医の選任義務がない従業員50人未満の事業場では特に深刻な課題です。しかし、社内に専門家がいなくても保健指導の体制を整える方法はあります。
地域産業保健センターの活用(無料)
各都道府県の産業保健総合支援センターが設置している地域産業保健センターでは、50人未満の小規模事業場を対象に、産業医や保健師による保健指導・健康相談を無料で提供しています。健診結果の意見聴取を依頼することも可能です。費用負担なく活用できるリソースとして、まず確認することをお勧めします。
健康保険組合・協会けんぽとの連携
40歳以上の従業員については、特定健診・特定保健指導(高齢者医療確保法に基づく制度)の対象となり、健康保険組合や協会けんぽが保健指導を実施します。事業者健診のデータを(本人同意のうえで)健保組合に提供することで、重複を避けた効率的な保健指導が可能になります。
外部の産業保健サービス・EAPの活用
近年は、産業医や保健師をオンラインで提供する外部サービスや、メンタルカウンセリング(EAP)を含む従業員支援サービスを活用する中小企業が増えています。月額定額制で利用できるサービスも多く、単発で専門家を呼ぶより継続的なフォロー体制を構築しやすいのが特徴です。
また、従業員数が50人を超え産業医の選任義務が生じた段階で、産業医との契約を通じて保健指導体制を整える企業も多いです。産業医サービスを活用することで、意見聴取から就業措置の検討、保健指導まで一貫したサポートを受けることができます。
要再検査・異常所見者への効果的なフォローアップ
保健指導の実務で多くの企業が悩むのが、「再検査を勧めても従業員が動かない」という問題です。健診結果を渡して「再検査を受けてください」と伝えるだけでは、実際に受診する従業員は限られます。この課題を解決するには、フォローアップの仕組みを構造化することが重要です。
対応フローの標準化
異常所見者への対応が担当者によって異なると、対応漏れや法的リスクが生じます。以下のような対応フローを社内でルール化しておきましょう。
- ステップ1:健診結果を本人に通知し、異常所見の内容を説明する
- ステップ2:産業医または主治医への意見聴取を実施する(3ヶ月以内)
- ステップ3:意見を踏まえた就業上の措置を検討・決定する
- ステップ4:措置内容を本人に説明し、了解を得る
- ステップ5:再検査・治療受診状況を確認するフォローアップを行う
- ステップ6:対応内容を記録として残す
特に重要なのが「記録」です。対応した事実を記録しておくことは、万一のトラブル時に企業としての誠実な対応を証明する根拠になります。
受診勧奨の伝え方
再検査受診を促す際は、強制ではなく丁寧な勧奨が原則です。再検査・精密検査は事業者の義務ではなく努力義務であり、従業員に強制することは個人の自由侵害になる可能性があります。ただし、業務との関連が疑われる疾患(例:騒音性難聴、腰痛、化学物質による健康障害など)については、積極的な受診勧奨が求められます。
受診勧奨の場面では、「病気が心配だから」という会社としての配慮を伝えることが大切です。また、受診日に有給取得や就業時間調整の配慮ができることを伝えると、行動につながりやすくなります。
データ活用と健康経営——保健指導を「投資」に変える視点
健康診断結果の活用は、個別対応にとどまらず、組織全体の健康リスクを把握・改善するためのデータ活用へと発展させることができます。この視点が、いわゆる「健康経営」の本質です。
具体的には、健康診断データを経年的に集計・分析することで、以下のような情報を得ることができます。
- 血圧・血糖・脂質異常など、リスクの高い項目の推移
- 部署・年齢層別の健康リスク分布(集団分析)
- 有所見率の年度比較(保健指導の効果測定)
- 欠勤・離職データとの相関(健康リスクの業務影響分析)
これらのデータを経営層に可視化してレポートすることで、保健指導への投資対効果を示すことができます。また、健康経営優良法人認定(経済産業省が認定する制度)の取得を目標に据えることで、取り組みを体系化しやすくなるうえ、採用ブランディングや取引先へのアピールにも活用できます。
データ分析には、全員へのアプローチ(ポピュレーションアプローチ)とリスクの高い個人への集中支援(ハイリスクアプローチ)を組み合わせる考え方が有効です。全体の底上げと個別の重点対応を両立させることで、限られたリソースでも効果的な健康管理が実現します。
実践ポイント:明日から始められる5つのアクション
以上の内容を踏まえ、まず取り組むべき実践的なアクションを整理します。
- アクション1:対応状況の棚卸し
直近の健康診断結果について、意見聴取・就業措置・保健指導の対応が適切に行われているか確認する。未対応の異常所見者がいれば、速やかに対応を進める。 - アクション2:健康情報取扱規程の整備
健康診断情報の管理ルール(誰が管理し、誰に共有できるか)を文書化し、従業員に周知する。 - アクション3:地域産業保健センターへの連絡
50人未満の事業場は、まず地域産業保健センターに問い合わせ、無料で利用できるサービス内容を確認する。 - アクション4:再検査フォローの仕組みづくり
異常所見者への対応フローを標準化し、対応記録のフォーマットを作成する。担当者が変わっても対応が継続できる体制を整える。 - アクション5:データの電子化と経年管理
健康診断個人票を電子管理に移行し、年度比較ができるよう集計の仕組みを整える。経営層への定期的な報告ルートを設ける。
まとめ
健康診断は、実施することがゴールではありません。その結果を活用して従業員の健康を守り、必要な就業上の配慮と保健指導を行ってこそ、法的義務の完全な履行となります。特に、異常所見者への意見聴取(3ヶ月以内)と就業措置の実施は、企業としての法的リスク管理という観点からも欠かせない対応です。
「専門家がいないから難しい」という声はよく聞きますが、地域産業保健センターや外部の産業保健サービスを活用することで、50人未満の小規模事業場でも体制を整えることは十分可能です。また、健康診断データを継続的に蓄積・分析することで、個別対応にとどまらず組織全体の健康リスクを低減する「健康経営」へとステップアップすることもできます。
今一度、自社の健康診断対応を見直す機会としてください。従業員の健康は、企業の持続的な成長を支える最も重要な基盤のひとつです。
よくある質問(FAQ)
Q1. 健康診断の結果を上司や人事が見ることは問題ないのでしょうか?
健康診断結果は「要配慮個人情報」に該当するため、目的外の利用や不必要な第三者への共有は認められません。就業上の措置を検討するために必要な範囲で、産業医や人事担当者が情報を共有することは認められていますが、全項目を上司に共有することは原則として不可です。事前に健康情報取扱規程を整備し、共有の範囲と目的を明確にルール化しておくことが重要です。
Q2. 従業員が再検査を受けてくれない場合、会社として何ができますか?
再検査の受診は従業員本人の判断に委ねられており、強制することはできません。ただし、受診を勧奨した事実と従業員の対応を記録として残しておくことが、万一の際に企業の対応義務を果たした証拠となります。勧奨の際は「業務上のリスク管理として会社が配慮している」という姿勢を丁寧に伝え、受診日に就業時間の調整をするなど、受診しやすい環境を整えることが効果的です。
Q3. 従業員数が50人未満でも産業医に相談することはできますか?
はい、可能です。従業員数が50人未満の事業場には産業医の選任義務はありませんが、各地域に設置されている「地域産業保健センター」では、小規模事業場を対象とした産業医・保健師への無料相談サービスを提供しています。また、外部の産業保健サービス会社と契約することで、選任義務の有無にかかわらず専門家のサポートを受けることができます。







