「健康診断の結果、どこに保管しているか分かりますか?」
この質問に対して、「段ボールに入れてあります」「前任者が管理していたので正直よく分からない」という答えが返ってくる中小企業は少なくありません。しかし、健康診断結果の管理は単なる「書類整理」の問題ではありません。労働安全衛生法や個人情報保護法に基づく法的義務であり、違反すれば行政指導や従業員からのクレームにつながるリスクもあります。
本記事では、中小企業の経営者・人事担当者が押さえておくべき健康診断結果の保管・管理のルールと、現場で使える実践的な体制づくりのポイントを解説します。
健康診断結果の保管は「法的義務」である
まず前提として確認しておきたいのは、健康診断結果の保管は企業の任意ではなく、労働安全衛生法によって義務付けられた行為だということです。
労働安全衛生法第66条の3では、「事業者は健康診断の結果を記録し、保存しなければならない」と定められています。また第66条の6では、健診結果を本人に遅滞なく通知する義務も課されています。さらに異常の所見があった場合には、第66条の5に基づき、医師(産業医)の意見を聴いたうえで就業上の措置を検討しなければなりません。
これらは従業員数に関係なく、すべての事業者に適用されます。「うちは小さな会社だから関係ない」という認識は誤りです。
健康診断の種類別・保存期間の一覧
保存期間は健診の種類によって異なります。以下を必ず把握しておきましょう。
- 一般健康診断(定期・雇入れ時等):5年
- 特定業務従事者の健康診断:5年
- 有機溶剤・特定化学物質等の特殊健診:5年(一部の物質は30年)
- 電離放射線健診:30年
- じん肺健康診断:7年
多くの一般企業では「5年保存」が基本ですが、製造業や特定の作業環境では30年もの長期保存が必要になる場合があります。自社の業種・作業内容を確認したうえで、適切な保存期間を設定してください。
また、よくある誤解として「退職した従業員の健診結果は捨ててよい」と思っているケースがありますが、これは誤りです。退職後であっても、退職年月日を起算日として所定の保存期間が満了するまで保管を続ける必要があります。
健診結果は「要配慮個人情報」——個人情報保護法の観点から考える
健康診断の結果は、個人情報保護法上の「要配慮個人情報」(センシティブ情報とも呼ばれます)に該当します。これは、差別や偏見につながるおそれがあるとして、通常の個人情報よりも厳格な取り扱いが求められる情報です。
具体的には、取得・利用・第三者への提供にあたっては原則として本人の同意が必要です。また、情報漏洩を防ぐための安全管理措置として、以下の4つの観点での対策が求められています。
- 物理的安全管理措置:施錠できるキャビネットへの保管、入退室管理など
- 技術的安全管理措置:電子データへのアクセス制限、パスワード設定など
- 組織的安全管理措置:取り扱い手順の文書化、責任者の設置など
- 人的安全管理措置:従業員への教育、守秘義務の周知など
特に中小企業で問題になりやすいのが「上司・管理職への開示範囲」です。「部下の健診結果を上司が見るのは当然」と思っている経営者の方もいますが、これは誤りです。上司への情報共有は、就業上の配慮が必要な範囲に限定されます。たとえば、業務上の負荷を軽減する必要があると産業医が判断した場合に、その就業上の措置に関連する情報を共有する、というケースは認められます。しかし、健診結果のすべての数値を上司に開示したり、昇進・昇格の判断材料として用いたりすることは、目的外利用として個人情報保護法に抵触するおそれがあります。
健診結果の閲覧権限は、人事担当者・産業医・衛生管理者に限定することを社内ルールとして明文化することをお勧めします。
中小企業が陥りやすい管理の落とし穴と対処法
法律の概要を理解したところで、実際の現場でよく見られる課題とその対処法を整理します。
落とし穴①:担当者が1人に依存している
中小企業では、健診管理を人事担当者1人が担っているケースが多く、その担当者が退職・異動すると管理体制が一気に崩壊します。これを防ぐには、引き継ぎマニュアルの作成と、担当者が複数いる体制が不可欠です。少なくとも「誰が、何を、どこに、いつまで保管するか」が分かる文書を整備しておきましょう。
落とし穴②:紙資料が無秩序に保管されている
段ボールや引き出しに年度も名前も整理されないまま詰め込まれている状態では、必要なときに取り出すことができません。最低限、以下のような整理を行いましょう。
- 在職者と退職者でファイルを分けて管理する
- 受診年度・氏名で検索・取り出しができるよう整理する
- 保管場所は施錠できるキャビネットに限定し、鍵の管理者を明確にする
落とし穴③:本人への通知が漏れている
会社が健診機関から結果を受け取ったまま、本人への通知が滞るケースがあります。法律上は「遅滞なく」通知することが求められており、目安として受診から2〜3週間以内が一般的です。通知後は、通知方法(書面・メール等)・通知日・受取確認の記録を残すことが重要です。
落とし穴④:派遣社員・パートの管理責任が曖昧
雇用形態が多様化する中で、誰の健診を誰が管理するかで混乱が生じることがあります。基本的な考え方は以下の通りです。
- 正社員・契約社員・パートタイマー(週30時間以上など一定条件を満たす者):雇用する事業者が健康診断を実施し、結果を管理する義務を負う
- 派遣社員:一般健康診断は派遣元事業者が実施・管理する。ただし、派遣先の作業に起因する特殊健診については派遣先が実施義務を負う場合がある
派遣社員を受け入れている場合は、派遣元と連携して管理の責任分担を明確にしておきましょう。
電子保存の活用で管理効率を上げる
2023年の労働安全衛生規則の改正により、健康診断結果の電子データでの保存が正式に認められています。紙の管理に限界を感じている企業には、電子化への移行を検討する価値があります。
電子保存を行う際には、以下の3つの要件を満たすことが求められています。
- 真正性:記録された情報が正確であり、改ざんされていないこと
- 見読性:必要な時に内容を読み取れる状態で保存されていること
- 保存性:保存期間にわたって適切に維持されること
具体的な手段としては、専用の健診管理システムの導入が最も確実ですが、コストをかけずに始めたい場合は、アクセス権限を設定したクラウドストレージ(GoogleドライブやSharePointなど)にスキャンデータを保存する方法も考えられます。いずれの場合も、定期的なバックアップの取得とアクセスログの記録は必ず実施してください。
また、電子化によって異常所見者への対応フローが整備しやすくなります。異常の所見があった従業員を一覧で把握し、産業医サービスを活用して医師の意見聴取・就業措置のプロセスを滞りなく進める体制を構築することが可能になります。
実践ポイント:今日から始められる管理体制の整備ステップ
最後に、現場で取り組みやすい順番で管理体制の整備ステップをまとめます。
ステップ1:現状の棚卸しを行う
まず現在の保管状況を確認します。何年分の健診結果がどこに保管されているか、退職者の記録はどう扱われているか、通知記録は残っているかを洗い出しましょう。
ステップ2:保管ルールを文書化する
健診結果の取り扱いに関する社内規程または手順書を作成します。最低限、以下の項目を盛り込みましょう。
- 保管場所と責任者
- 閲覧できる人の範囲
- 本人通知の手順と記録方法
- 保存期間と廃棄ルール
- 担当者交代時の引き継ぎ手順
ステップ3:廃棄ルールを設定する
保存期間が満了した書類の廃棄方法を決めておきます。紙媒体の場合はシュレッダー処理または専門の廃棄業者への委託が基本です。廃棄した日付・担当者・廃棄方法を記録として残しておくことで、後のトラブルを防ぐことができます。
ステップ4:異常所見時の対応フローを整備する
健診で異常の所見があった従業員への対応は、法律上義務付けられています。「産業医に意見を聴く→就業上の措置を検討・実施する→記録を保管する」というフローを事前に決め、関係者に周知しておきましょう。まだ産業医との連携体制が整っていない企業は、早めに対応を検討することをお勧めします。
ステップ5:年1回の見直しを習慣にする
健診管理のルールは一度作って終わりではありません。法改正や雇用形態の変化、担当者の入れ替わりに合わせて定期的に見直す機会を設けましょう。定期健康診断の受診シーズン(年1回)に合わせて管理体制を確認する習慣をつけると継続しやすくなります。
なお、メンタルヘルス不調などで就業配慮が必要な従業員への対応に悩む場合は、メンタルカウンセリング(EAP)のような外部専門サービスとの連携も、従業員を適切にサポートするうえで有効な選択肢です。
まとめ
健康診断結果の保管・管理は、労働安全衛生法と個人情報保護法の両面から企業に課せられた法的責務です。しかし、多くの中小企業では担当者の属人化・紙資料の無秩序な管理・通知漏れといった課題を抱えているのが実情です。
重要なポイントを改めて整理すると、以下の通りです。
- 一般健康診断は5年間、電離放射線健診は30年間など、種類によって保存期間が異なる
- 退職後も保存期間が満了するまで保管が必要
- 健診結果は要配慮個人情報であり、閲覧権限を明確に限定する必要がある
- 本人への通知は遅滞なく行い、その記録を残す
- 異常所見時は産業医の意見聴取と就業措置が義務
- 電子保存は2023年以降の法改正で認められており、一定の要件を満たせば活用できる
「後でやろう」と先送りにしがちなテーマですが、一度仕組みを作ってしまえば毎年の運用負担は大きく下がります。まずは現状の棚卸しから始め、少しずつ体制を整えていきましょう。
よくある質問
Q. 健康診断結果の保存期間は何年ですか?
一般健康診断(定期・雇入れ時等)および特定業務従事者の健康診断は5年間の保存が義務付けられています。ただし、電離放射線健診は30年、じん肺健康診断は7年など、健診の種類によって保存期間が異なります。自社の業種・作業内容に応じた保存期間を確認することが重要です。
Q. 退職した従業員の健診結果は退職後すぐに廃棄してよいですか?
退職後すぐに廃棄することはできません。退職年月日を起算日として、法令で定められた保存期間が満了するまで保管を続ける義務があります。在職者と退職者の記録を分けて管理し、それぞれの廃棄可能日を把握しておくことをお勧めします。
Q. 上司が部下の健康診断結果を閲覧することは問題ありませんか?
健診結果は要配慮個人情報であるため、上司であっても原則として閲覧はできません。例外的に、就業上の配慮が必要と産業医が判断した場合に、必要な範囲の情報を共有することは認められますが、全項目を開示したり、昇進判断に活用したりすることは個人情報保護法に抵触するおそれがあります。閲覧権限は人事担当者・産業医・衛生管理者に限定するルールを明文化しましょう。
Q. 派遣社員の健康診断は派遣先が実施しなければなりませんか?
一般健康診断については、派遣元事業者が実施・管理する義務を負います。派遣先企業が実施する必要はありません。ただし、派遣先の作業環境に起因する特殊健康診断(有機溶剤・特定化学物質等)については、派遣先が実施義務を負う場合があります。派遣元と事前に責任分担を明確にしておくことが重要です。







