「EAPを導入したはいいが、社員が全然使っていない」——そんな声が、中小企業の経営者・人事担当者からよく聞かれます。EAP(Employee Assistance Program:従業員支援プログラム)は、メンタルヘルスや生活上の悩みを抱えた従業員が専門家に相談できる仕組みです。しかし、導入さえすれば自然に活用されるわけではありません。
実際、EAPの利用率は一般に5〜10%程度にとどまるケースも多く、「せっかく費用をかけて入れたのに効果を実感できない」という状況に陥りやすいのが現実です。従業員のメンタルヘルスを守るために導入した制度が活かされないのは、企業にとっても従業員にとっても大きな損失です。
本記事では、EAPの利用率を向上させるために中小企業が取り組める具体的な工夫を、法律の背景も交えながらわかりやすく解説します。専任の人事スタッフがいなくても実践できる方法を中心にご紹介しますので、ぜひ参考にしてください。
なぜEAPは使われないのか——利用率が低い本当の理由
EAPが活用されない原因を正確に把握しておくことが、対策の第一歩です。多くの企業で共通して見られる主な障壁は以下のとおりです。
- そもそも存在を知らない:入社時に一度説明を受けたきり、その後一切案内がなく記憶から消えてしまっている
- プライバシーへの不安:「相談したことが上司や会社に知られるのでは」という恐れが利用を妨げている
- 「弱みを見せること」への抵抗:EAPを「メンタルが弱い人が使うもの」と捉え、自ら手を挙げることに心理的ハードルがある
- 使い方がわからない:何を相談できるのか、どのように連絡すればよいのかが不明確
- 管理職がEAPを紹介しない:管理職自身がEAPの価値や使い方を理解しておらず、部下に案内できていない
特に注意したいのは、「利用率が低い=社員が元気な証拠」ではないという点です。利用率が低い背景には、必ず認知不足や心理的ハードルが存在します。「うちの社員は問題ない」と安易に判断することは避けてください。
こうした課題を解消するには、多層的かつ継続的な取り組みが欠かせません。以下のセクションで、具体的な施策を順を追って解説します。
周知・広報の工夫——「知ってもらう」ことがすべての起点
EAP利用率向上の最大のカギは、まず「存在を知ってもらうこと」です。導入時に案内を出しただけで終わっている企業が非常に多いですが、それでは不十分です。以下の施策を組み合わせて、継続的に周知活動を行いましょう。
入社時オリエンテーションへの組み込み
入社直後は新しい情報を吸収しやすい時期です。EAPの説明をオリエンテーションのプログラムに正式に組み込み、「使える相談窓口がある」という事実を早期に定着させましょう。説明には5分程度で構いません。何を相談できるか、どう連絡するかを具体的に伝えることが重要です。
年1回以上のリマインド周知
人は一度聞いただけでは忘れます。毎年10月の「メンタルヘルス月間」や、ストレスチェックの実施時期に合わせて、全従業員へリマインドの案内を出す習慣をつけてください。社内メール・社内チャット・掲示板など、複数の媒体を組み合わせると効果的です。
カード・ポスターの設置場所を工夫する
EAPの連絡先やQRコードを記載したカードやポスターを作成し、従業員の目に入りやすい場所に設置することが効果的です。ここで特に意識してほしいのは、「一人になれる場所」への設置です。トイレ、休憩室、ロッカー室などは、周囲の目を気にせず情報を手に取ることができます。デスクやオープンスペースへの掲示だけでは、心理的なハードルを乗り越えることが難しい場合があります。
なお、多くのEAPベンダー(サービス提供会社)は、こうした周知用の冊子・ポスター・動画コンテンツをすでに用意しています。まずはベンダーに相談し、既製の素材を活用することで、自社の制作負担を大幅に軽減できます。
心理的ハードルを下げる——「誰でも使えるツール」として再定義する
周知活動と並行して取り組むべきなのが、EAPに対するイメージの転換です。「メンタルが弱い人が使うもの」というスティグマ(否定的な偏見)を取り除くことが、利用率向上に直結します。
プライバシー保護を繰り返し明示する
「相談したことが会社に知られる」という不安は、利用を妨げる最大の要因の一つです。これに対しては、「秘密厳守・匿名可」であることを何度でも伝えることが重要です。
法的な根拠を示すと従業員の安心感が高まります。個人情報保護法のもとでは、EAPの利用情報や相談内容は「要配慮個人情報」として扱われ得るものであり、会社への情報共有は原則として本人の同意なしには行われません。この点をわかりやすく社内に周知することが、プライバシーへの不安を払拭する有効な手段となります。
相談できる内容を具体的に列挙する
EAPは「仕事のストレス」だけでなく、幅広い悩みに対応しています。以下のように具体例を示すことで、「自分も使っていいんだ」という気づきを与えられます。
- 仕事上の人間関係・ハラスメントの悩み
- 家族関係・育児・介護の問題
- 財務・借金などの生活上の困りごと
- キャリアに関する相談
- 睡眠の乱れや身体の不調に関する相談
管理職・経営者が率先して語る
トップダウンのメッセージは、組織文化の形成において非常に強力です。経営者や管理職が「私もEAPに相談したことがある」「こういう場面で活用できる」と公言することで、従業員の心理的ハードルが大きく下がります。管理職向け研修の中に、部下へのEAP案内の仕方やロールプレイを取り入れることも有効です。
また、パワーハラスメント防止対策(改正労働施策総合推進法)の観点からも、ハラスメント被害者や相談対応者へのサポート窓口としてEAPを位置づけ、管理職が積極的に紹介できる体制を整えることが求められます。
EAPの具体的なサービス内容については、メンタルカウンセリング(EAP)のページもあわせてご参照ください。
ストレスチェックとの連動——法定制度と組み合わせて活用する
労働安全衛生法第66条の10に基づくストレスチェック制度は、常時50人以上の労働者を使用する事業場では義務、50人未満の事業場では努力義務とされています。このストレスチェックとEAPを連動させることで、より効果的な利用促進が可能になります。
高ストレス者へのEAP紹介を標準フローに組み込む
ストレスチェックの結果で「高ストレス者」と判定された従業員は、産業医による面接指導を受けることができます。この面接指導の後、または面接を希望しない高ストレス者への代替案として、EAPへの接続を標準フローとして組み込むことが効果的です。「産業医面接は少しハードルが高いが、EAPの電話相談なら」という従業員の心理にも対応できます。
集団分析結果を活かした重点周知
ストレスチェックの集団分析では、部署ごとのストレス傾向が把握できます(個人が特定されない形での集計データ)。ストレス値が高い部門に対して、EAPの案内を重点的に行うターゲット型の周知活動が可能です。全員に同じ案内を出すよりも、必要性の高い層に届きやすくなります。
また、労働安全衛生法第69条では、事業者は従業員の健康保持増進に努める義務が定められており、EAPの活用はその取り組みの一つとして位置づけることができます。法的な根拠を意識しながら制度を整備することで、経営判断としての正当性も高まります。
効果測定と改善サイクル——EAPを「使われ続ける仕組み」にする
EAPの利用促進は、一度対策を打てば終わりではありません。継続的にデータを見ながら改善を繰り返すことが重要です。
KPIを設定してモニタリングする
まず、EAPに関するKPI(重要業績評価指標)を明確に設定しましょう。代表的な指標としては以下が挙げられます。
- 全従業員に占めるEAP利用者の割合(利用率)
- EAPの認知率(従業員アンケートで計測)
- 部門別・雇用形態別の利用状況
- ストレスチェック高ストレス者のうちEAPを利用した割合
これらを半期または年次でモニタリングし、利用率が低い層や部門を特定して重点的な対策を検討します。
ベンダーのデータを積極活用する
多くのEAPベンダーは、個人が特定されない形でまとめられたアグリゲートレポート(集計データ報告書)を提供しています。どんな相談内容が多いか、どの時間帯に利用が集中しているかなどがわかります。このデータを活用することで、自社独自の調査を行わなくても改善のヒントを得られます。年に一度はベンダー担当者と運用見直しのミーティングを設定することをおすすめします。
従業員満足度調査にEAP関連の設問を追加する
定期的に実施している従業員満足度調査(ES調査)がある場合は、「EAPの存在を知っているか」「利用したいと思うか」といった設問を追加することで、認知率や利用意向の経年変化を把握できます。これにより、周知活動の効果を定量的に評価できるようになります。
実践ポイントまとめ——今日からできること
ここまで解説してきた施策を整理します。専任のスタッフがいない中小企業でも、優先度の高いものから順に取り組むことで、確実に変化が生まれます。
- 今すぐできること:EAPのカードやポスターをトイレ・休憩室など目に入る場所に設置する。ベンダーから既製の周知素材を入手する。
- 1〜3ヶ月以内に取り組むこと:入社時オリエンテーションにEAP説明を組み込む。「秘密厳守・匿名可」をメールや社内通知で全従業員に伝える。
- 半年以内に整備すること:管理職向け研修でEAPの紹介方法を練習する機会を設ける。ストレスチェックとの連動フローを整備する。EAPのKPIを設定し、ベンダーとモニタリングを開始する。
- 継続的に行うこと:年1回以上の全従業員向けリマインド周知。メンタルヘルス月間(10月)などを活用したEAPセミナーの開催。ベンダーとの年次レビューミーティング。
非正規雇用者や外国籍の従業員も、EAPの利用対象に含まれることを明示することも忘れないでください。多言語対応や、電話・チャット・オンラインなど複数の相談チャネルが用意されているか、ベンダーに確認しておきましょう。
メンタルヘルス対策を総合的に強化したい場合は、社内の産業保健体制の整備も有効です。産業医サービスを活用して専門家と連携することで、EAPとの相乗効果が期待できます。
まとめ
EAPは「導入すれば終わり」ではなく、「使われてはじめて価値を発揮する」仕組みです。利用率の低さは、従業員が元気な証拠ではなく、認知不足や心理的ハードルというアクセスの障壁が存在していることを示しています。
厚生労働省のメンタルヘルス指針が定める「4つのケア」の中でも、EAPは「事業場外資源によるケア」の代表的な手段と位置づけられています。せっかく整備した資源を最大限に活かすためにも、継続的な周知・プライバシー保護の明示・ストレスチェックとの連動・効果測定という4つの柱を意識して、EAPの利用促進に取り組んでください。
リソースの限られた中小企業こそ、従業員一人ひとりのメンタルヘルスへの影響が組織全体に直結します。今できる小さな一歩から始めることが、健全な職場環境づくりの第一歩となります。
よくあるご質問
EAPの利用率はどのくらいが目安ですか?
EAPの利用率は業種・企業規模・サービス内容によって異なりますが、一般的には年間で全従業員の5〜10%程度が一つの目安とされています。ただし、利用率の数字だけにとらわれず、「利用しやすい環境が整っているか」というアクセスのしやすさを同時に評価することが重要です。まずは自社の現状を把握し、EAPベンダーの提供するアグリゲートレポートを活用しながら改善目標を設定することをおすすめします。
相談内容が会社に漏れることはありませんか?
原則として、EAPへの相談内容が本人の同意なく会社に共有されることはありません。個人情報保護法のもとで、健康・医療に関する情報は「要配慮個人情報」として厳格に保護されます。EAPベンダーが会社に提供するのは、個人が特定されない形での集計データのみです。この点を従業員に繰り返し明示することが、利用率向上につながる最も重要な取り組みの一つです。
専任の人事担当者がいない中小企業でもEAPの利用促進はできますか?
できます。多くのEAPベンダーは、企業の担当者が活用できる周知用ポスター・カード・動画などの素材をあらかじめ用意しています。これらを活用することで、自社で一から資料を作る必要はありません。また、年1回のリマインドメールや、入社時オリエンテーションへの説明追加など、大きなコストをかけずに実施できる施策も多くあります。まずはEAPベンダーの担当者に「何を提供してもらえるか」を確認するところから始めてみてください。







