「EAPを導入したいが、就業規則に何をどう書けばいいのかわからない」「労働組合がないけれど、労使協議はどうすればいいのか」——中小企業の経営者・人事担当者からこうした相談が増えています。
EAP(Employee Assistance Program:従業員支援プログラム)とは、従業員が抱えるメンタルヘルス上の悩みや職場の問題に対し、専門家によるカウンセリングや情報提供などのサポートを提供する仕組みです。近年は中小企業でも外部のEAPサービスを活用するケースが増えていますが、単に外部ベンダーと契約するだけでは不十分です。制度として機能させるためには、適切な労使協議と就業規則への反映が欠かせません。
この記事では、EAP導入に際して必要な法的手続きと実務上の整備ポイントを、法律の根拠とともに具体的に解説します。
EAP導入は法律上どう位置づけられるのか
まず、EAPの導入が法律上どのような意味を持つのかを整理しておきましょう。
労働安全衛生法第69条は、事業者に対して「労働者の健康の保持増進を図るための措置を継続的かつ計画的に講ずるように努めなければならない」と定めています。これはいわゆる努力義務であり、EAPの整備はこの規定に基づく取り組みとして位置づけることができます。
また、厚生労働省が定める「労働者の心の健康の保持増進のための指針」(メンタルヘルス指針)は、事業場における心の健康づくりの体制として、以下の4つのケアを推奨しています。
- セルフケア:労働者自身が自分のストレスに気づき対処する
- ラインケア:管理監督者が部下の状態を把握し支援する
- 事業場内産業保健スタッフによるケア:産業医・保健師などが専門的に関わる
- 事業場外資源によるケア:外部の専門機関を活用する
EAPはこの4つ目の「事業場外資源によるケア」として明確に位置づけられており、制度化することで厚生労働省の指針に沿ったメンタルヘルス対策が整備されたことを示すことができます。
さらに、50人以上の事業場ではストレスチェック制度の実施が義務化されていますが(労働安全衛生法第66条の10)、EAPはその結果を踏まえた高ストレス者への支援措置として機能させることも可能です。
労使協議が必要な理由とその進め方
「EAP導入に労使協議は必要なのか」という質問をよく受けます。結論からいえば、就業規則にEAP関連の条項を新設または変更する場合は、労働基準法第90条に基づき、労働者代表の意見聴取が義務となります(常時10人以上の労働者を使用する事業場の場合)。
また、意見聴取は法的義務ですが、それ以前の段階として労使協議を行うことが実務上も重要です。従業員が制度の趣旨や内容を理解・納得した上で導入されなければ、利用率は上がらず、制度が形骸化してしまうからです。
労働組合がある場合
過半数を組織する労働組合がある場合は、団体交渉または労使委員会での協議を通じて合意を形成します。EAPの目的、対象者、費用負担、情報管理のルールなどを明確にした上で協議を進めることが求められます。
労働組合がない場合(中小企業に多いケース)
多くの中小企業では労働組合が存在しないため、過半数代表者(労働者代表)を選出して意見聴取を行います。ここで注意すべき重要なポイントがあります。
労働基準法施行規則第6条の2は、過半数代表者について「使用者の意向によって選出された者でないこと」を要件としています。つまり、経営者が特定の従業員を「あなたが代表者をやってください」と指名することはできません。投票、挙手、回覧への署名などの民主的な方法で選出し、その選出過程を記録として残しておく必要があります。
協議で確認・合意しておくべき主な事項は以下のとおりです。
- EAPの目的と内容:どのような支援を提供するのか
- 利用対象者の範囲:本人のみか、家族も含むかなど
- 相談内容の守秘義務と情報管理ルール:何が会社に伝わり、何が伝わらないのか
- 会社への報告範囲:個人を特定しない統計情報のみとするか否か
- 費用負担:会社が全額負担するのか、個人負担が生じるのか
- 就業時間内利用の可否:カウンセリングを業務時間内に受けられるか
こうした点を事前に明確にしておくことで、従業員の不安を払拭し、利用しやすい環境を整えることができます。
就業規則への記載方法:何をどこに書くか
EAP関連の条項は、労働基準法第89条上の「絶対的必要記載事項」(始業・終業時刻や賃金など必ず記載しなければならない事項)ではなく、任意記載事項に該当します。したがって、記載は義務ではありません。
ただし、就業規則に記載した場合には法的な拘束力が生じます。記載することで「相談内容を人事評価に使わない」などの会社の約束が明確になり、従業員が安心して利用できる環境が整います。導入した以上は記載することを強く推奨します。
就業規則本体への記載例
実務上は、就業規則本体には基本原則のみを記載し、詳細は別規程(EAP運用規程など)に委任する構成が合理的です。以下は本体への記載例です。
——
(従業員支援プログラム)
第○条 会社は、従業員のメンタルヘルスおよび健康増進を支援するため、従業員支援プログラム(EAP)を設ける。
2 EAPの利用は従業員の任意とし、相談内容は原則として秘密を保持する。
3 会社は、EAPを通じて得た個人の相談内容を、本人の同意なく人事考課・雇用管理上の判断に使用しない。
4 EAPの具体的な運用については、別に定めるEAP運用規程による。
——
この記載例のポイントを解説します。
- 「任意とし」という表現:EAPの利用が強制でないことを明記します。強制的な参加を義務づけると、従業員のプライバシーや自由意思を侵害するおそれがあります。
- 守秘義務の明記:「原則として」としているのは、生命の危機がある場合など例外的な情報連携が必要なケースを排除しないためです。
- 人事評価への不使用の明記:これが最も重要な条項の一つです。「相談すると不利益を受けるのではないか」という従業員の不安を取り除くために不可欠です。
- 別規程への委任:詳細は別規程に委ねることで、運用変更のたびに就業規則本体を改正・届出する手間を省けます。
EAP運用規程に盛り込む事項
別規程(EAP運用規程)には以下の事項を盛り込むことを検討してください。
- 利用できる相談の種類(メンタルヘルス、職場の悩み、ハラスメント、家庭問題など)
- 利用の流れと連絡先
- 会社への報告内容(統計情報のみ、個人特定は不可など)
- 例外的に情報共有が行われる条件(生命の危機がある場合、本人同意がある場合など)
- 外部EAPベンダーの守秘義務に関する説明
- 就業時間内利用時の手続き
個人情報・守秘義務の整備:リスク管理の要
EAP導入において、多くの経営者が最も懸念するのが「相談内容が漏れた場合の責任」です。この点は個人情報保護法との関係で慎重に整備する必要があります。
従業員の相談内容・健康情報は、個人情報保護法第2条第3項に定める要配慮個人情報に該当します。要配慮個人情報とは、不当な差別や偏見が生じるおそれがある情報であり、通常の個人情報よりも厳格な取り扱いが求められます。
外部EAPベンダーとの契約における注意点
外部のEAPベンダーに相談対応を委託する場合、個人情報保護法上は「委託」として整理されるのが一般的です。この場合、委託元である会社は委託先(EAPベンダー)の監督責任を負います(個人情報保護法第25条)。
契約書には以下の条項を必ず盛り込んでください。
- 守秘義務条項:相談内容を第三者(会社を含む)に開示しない義務
- 情報管理条項:情報の保存方法・期間・廃棄方法
- 再委託の制限:別の事業者への再委託を制限または承認制とする
- 漏洩時の通知義務:情報漏洩が発生した場合の報告義務と対応手順
- 会社への報告内容の限定:統計情報のみ報告し、個人を特定する情報は報告しないことの明記
従業員への事前説明の徹底
EAP利用の案内文書(利用ガイドなど)には、「どのような場合に相談内容が会社側に伝わるのか」を明確に記載することが重要です。一般的には「本人の生命・身体に重大な危険が及ぶ恐れがある場合」「本人が同意した場合」に限って情報連携を行う旨を明記します。この説明が不十分なまま運用すると、のちに従業員からの信頼を大きく損なうリスクがあります。
また、メンタルカウンセリング(EAP)を活用する際は、サービス提供者の個人情報管理体制を事前に確認し、契約前に運用ルールを明確にしておくことが欠かせません。
就業規則変更後の手続きと利用促進のポイント
就業規則変更後に必要な手続き
EAP関連条項を新設・変更した就業規則は、常時10人以上の労働者を使用する事業場においては、労働基準監督署への届出が義務となります(労働基準法第89条・第90条)。届出の際には、過半数代表者または労働組合の意見書を添付します。
また、労働基準法第106条により、就業規則は従業員への周知が義務づけられています。具体的には、職場への掲示、書面の配布、イントラネットへの掲載などの方法で周知します。周知が不十分な場合、就業規則としての効力が認められない可能性があります。
従業員の利用を促すための実践ポイント
EAPを導入しても「誰も使わない」という状況は、中小企業では特に起こりやすい問題です。利用率を高めるためには、以下の取り組みが有効です。
- 管理職への研修:ラインケアの担い手である管理職が「EAPはこういう時に使えるサービスだ」と部下に自然に案内できるよう、制度の理解を深めます。
- 定期的な周知活動:就業規則への記載や配布物だけでなく、社内メール、朝礼、チラシの配布など複数の機会を設けて繰り返し周知します。
- 利用しやすい心理的環境の整備:「相談しても不利益はない」というメッセージを経営者・管理職が繰り返し発信することが重要です。
- ハラスメント相談窓口との連携:労働施策総合推進法に基づくハラスメント防止措置の相談窓口とEAPを連携させることで、相談先を一本化・整理しやすくなります。
- 統計データのフィードバック:EAPベンダーから受け取る利用状況の統計レポート(個人を特定しない形式)を経営会議等で共有し、制度の効果を可視化します。
EAP制度の整備と並行して、社内の産業医サービスとの連携体制を構築しておくことで、相談から専門的な医療支援・職場復帰支援までをスムーズにつなぐことができます。
まとめ:EAP導入を「形だけ」で終わらせないために
EAP導入を成功させるためのポイントを整理します。
- 法的根拠の理解:EAPは労働安全衛生法第69条や厚生労働省のメンタルヘルス指針に基づく取り組みとして位置づけられる
- 労使協議の適切な実施:労働組合がない場合は過半数代表者を適切な手続きで選出し、意見聴取を行う
- 就業規則への明確な記載:「任意利用」「守秘義務」「人事評価への不使用」を明記し、詳細は別規程に委任する
- 個人情報管理の徹底:外部ベンダーとの契約に守秘義務・情報管理条項を盛り込み、従業員への事前説明を徹底する
- 届出と周知の実施:就業規則変更後は労働基準監督署への届出と従業員への周知を忘れずに行う
- 継続的な利用促進:管理職研修と定期的な周知活動を組み合わせ、心理的に利用しやすい環境を整える
制度整備の順序としては、①外部EAPベンダーの選定と契約内容の確認、②労使協議(過半数代表者の選出・意見聴取)、③就業規則・運用規程の作成、④労働基準監督署への届出、⑤従業員への周知・研修、というステップが標準的です。
専任の人事担当者がいない中小企業では、社会保険労務士などの専門家のサポートを活用しながら、一つひとつの手続きを丁寧に進めていくことが、制度を「形だけ」で終わらせないための近道です。
よくあるご質問(FAQ)
EAPを導入する際、必ず就業規則を変更しなければならないのですか?
就業規則への記載は法律上の義務ではなく任意です。ただし、記載することで会社の守秘義務や不利益取り扱いの禁止が明確になり、従業員が安心して利用できる環境が整います。外部EAPベンダーを導入して制度として運用する場合は、就業規則に基本原則を記載することを強く推奨します。記載する場合は、常時10人以上の事業場では労働者代表の意見聴取と労働基準監督署への届出が必要です。
労働組合がない場合、誰と協議をすればよいですか?
労働組合がない場合は、従業員の過半数を代表する「過半数代表者」を選出して意見を聴取します。過半数代表者は、投票・挙手などの民主的な方法で選出する必要があり、経営者が特定の人物を指名することは認められません(労働基準法施行規則第6条の2)。選出の方法と結果は書面で記録として残しておくことが重要です。
EAPの相談内容が会社側に漏れることはないのですか?
適切に整備された場合、個人の相談内容は原則として会社に報告されません。外部EAPベンダーとの契約に守秘義務条項を盛り込み、就業規則でも「相談内容を人事評価に使用しない」旨を明記します。例外的に情報共有が行われるのは、本人の生命・身体に重大な危険が及ぶ恐れがある場合や、本人が同意した場合などに限定されます。この例外条件についても、利用案内に事前に明記しておくことが信頼確保のために重要です。








