給与計算は、毎月必ず発生する業務でありながら、ミスが発生した際のリスクが非常に大きい作業です。控除項目の種類が多く、法改正による変更も頻繁に起こるため、担当者にとって常に緊張感を伴う業務といえます。特に中小企業では、給与計算を一人の担当者が抱え込んでいるケースも多く、属人化によるリスクや、法的な根拠のない控除を気づかぬまま続けているケースも少なくありません。
本記事では、給与計算における控除項目の種類と法的根拠、よくある誤りとその対策について、実務の視点からわかりやすく解説します。「自社の給与計算は本当に適正なのか」を今一度見直すきっかけとしてご活用ください。
給与控除の大原則:労働基準法第24条を押さえる
給与計算において最初に理解しておくべき法律の原則が、労働基準法第24条に定められた「賃金の全額払いの原則」です。この原則は、賃金は原則として労働者に全額を支払わなければならないというものです。つまり、会社が勝手に「この分を差し引こう」と決めて控除することは、法律上認められていません。
控除が認められるのは、以下の2つの場合に限られます。
- 法令に別段の定めがある場合:所得税・住民税・社会保険料など、法律によって徴収が義務づけられているもの
- 労使協定(賃金控除協定)を締結している場合:社宅費・組合費・親睦会費など、労働者代表との書面による合意があるもの
この2つのどちらにも該当しない控除を行うことは、賃金の全額払い原則に違反する行為となります。労使協定については、労働基準監督署への届出は不要ですが、書面での締結と保管が必要です。まずはこの大原則を土台として、控除の種類を整理していきましょう。
法定控除の種類と計算の基本を理解する
法律上の根拠に基づいて控除できる項目を「法定控除」といいます。主な法定控除は以下のとおりです。
所得税(源泉徴収)
所得税法に基づき、会社が毎月の給与から源泉徴収(あらかじめ税金を差し引いて国に納付すること)を行います。計算には国税庁が毎年発行する「給与所得の源泉徴収税額表」を使用します。月額表と日額表があり、給与の支払い形態に応じて使い分けます。
また、税額表には「甲欄」と「乙欄」の区別があります。甲欄は「給与所得者の扶養控除等申告書」を提出している従業員に適用し、乙欄は提出していない従業員に適用します。乙欄は税率が高く設定されているため、申告書の管理を適切に行うことが重要です。
住民税(特別徴収)
地方税法に基づき、従業員が住む市区町村に代わって会社が給与から天引きして納付する仕組みを「特別徴収」といいます。常時給与を支払っている会社はすべて特別徴収が原則です。毎年5月に市区町村から「税額通知書」が届き、6月分から翌年5月分の税額が確定します。前年の所得に基づいて計算されるため、当年の収入変動とはズレが生じる点が特徴です。
社会保険料(健康保険・介護保険・厚生年金)
健康保険法・介護保険法・厚生年金保険法に基づく控除です。「標準報酬月額」(毎年4〜6月の報酬平均をもとに決定される等級)に保険料率を掛けて計算します。保険料は原則として労使折半(会社と従業員が半分ずつ負担)です。なお、介護保険料は40歳以上65歳未満の従業員が対象、厚生年金保険料は70歳未満が対象となります。
また、固定的賃金(基本給・役職手当など)が変動し、標準報酬月額が2等級以上変動した場合は、随時改定(月額変更届)の手続きが必要です。この変更に気づかないまま古い標準報酬月額で計算を続けることは、過徴収・過小徴収のどちらにもつながります。
雇用保険料
雇用保険法に基づき、毎月の給与総額に労働者負担の保険料率を掛けて計算します。保険料率は事業の種類によって異なり、毎年4月に改定されることがあるため、最新の料率を確認することが重要です。
協定控除の落とし穴:労使協定なしは違法になる
法定控除以外で控除を行う場合は、労使協定(賃金控除に関する協定書)の締結が必須です。この協定書には、控除する項目・金額・対象となる従業員の範囲を明確に記載する必要があります。
協定控除の典型例としては以下のものがあります。
- 社宅・寮の家賃、食事代
- 組合費・親睦会費
- 社内預金・財形貯蓄
- 社員旅行積立金
- 制服・ユニフォーム代(一定の条件を満たす場合)
現場でよく見られる問題が、労使協定を結ばないまま社宅費や食事代を給与から差し引いているケースです。長年の慣行として続けてきた控除であっても、法的根拠がなければ全額払い原則の違反となります。特に、従業員から指摘を受けた場合や労働基準監督署の調査が入った場合に、過去の未払い賃金として遡及請求されるリスクがあります。
現時点で労使協定の有無が曖昧な場合は、早急に協定書を整備することをお勧めします。
誤りやすい控除計算:欠勤控除・遅刻早退・制裁控除の区別
給与計算の実務において特に誤りが多いのが、欠勤や遅刻・早退に関連する控除の取り扱いです。この領域では法律の理解が不十分なまま運用されているケースが少なくありません。
欠勤控除の計算方法
欠勤した日数・時間分の賃金を差し引く「欠勤控除」は、不就労時間に対する賃金を支払わないという当然の処理です。ただし、計算式(特に分母となる月の所定労働日数の設定)は法律で定められていないため、就業規則に明確な計算式を規定して周知することが必要です。分母の設定方法が不合理な場合、従業員との紛争に発展することがあります。
制裁控除と遅刻・早退控除の違い
「遅刻や早退をした場合に余分に引く」という制裁(ペナルティ)目的の控除は、単純な不就労控除とは別の取り扱いになります。労働基準法第91条では、制裁として賃金を控除する場合、一回の制裁額が平均賃金の1日分の半額を超えてはならず、かつ一賃金支払期における総額が賃金総額の10分の1を超えてはならないと規定しています。
「遅刻した時間の賃金を差し引く」(不就労控除)と「遅刻したことへのペナルティとして余分に引く」(制裁控除)は別物であり、混同して運用することは法律違反になる可能性があります。就業規則において、どちらの性格の控除なのかを明確に区別して規定することが重要です。
社会保険料の翌月控除と当月控除
社会保険料の控除タイミングについても、混乱が生じやすい点です。原則は「翌月控除」(当月分の保険料を翌月の給与から控除)ですが、実務上は「当月控除」を採用している会社も多くあります。どちらを採用するかは会社の判断に委ねられていますが、自社のルールを就業規則に明記し、一貫して運用することが重要です。入退社月の取り扱いでも混乱が生じやすいため、特に注意が必要です。
給与計算システムへの過信と法改正への対応
給与計算ソフトやクラウドシステムの普及により、計算の効率化が進んでいます。しかし、システムを導入していれば安心とは言い切れません。初期設定のミスや、法改正に伴うマスタ(基本データ)の更新漏れが、長期間にわたって誤った計算を生み出し続けるリスクがあります。
特に注意が必要なのは以下の場面です。
- 社会保険料率の改定時:毎年3月分(4月控除)から保険料率が変わることが多く、システムのマスタ更新を忘れると誤徴収が続く
- 雇用保険料率の改定時:毎年4月に改定されることがあり、同様に更新が必要
- 住民税額の切り替え時:毎年6月に新しい税額に切り替える作業を失念しないよう、スケジュール管理が重要
- 賞与計算時:賞与の源泉徴収は通常月とは異なる税額表(賞与に対する源泉徴収税額の算出率の表)を使用するため、月次計算の方法を流用することは誤りの原因になる
システムに依存するだけでなく、定期的に計算結果を手計算でチェックする習慣を持つことや、法改正情報を入手するルートを確保しておくことが、中長期的なリスク管理につながります。
実践ポイント:今日からできる給与控除の適正化ステップ
給与計算の適正化を進めるために、まず以下のチェックを実施してみてください。
- 控除項目の根拠を確認する:現在行っているすべての控除について、法定控除か協定控除かを分類し、協定控除については労使協定書の有無を確認する
- 就業規則の記載を点検する:欠勤控除の計算式、社会保険料の控除タイミング(翌月控除か当月控除か)が明記されているか確認する
- システムのマスタを定期的に見直す:保険料率・税率の改定スケジュールをあらかじめカレンダーに登録し、更新漏れを防ぐ
- 給与明細の説明ができる体制を整える:従業員から問い合わせがあった際に控除項目の根拠と計算方法を説明できるよう、担当者が知識を持つとともに、説明用資料を整備しておく
- 記録・書類の保管を徹底する:賃金台帳は5年間(当面3年)、源泉徴収簿は7年間、労使協定書は有効期間終了後3年間の保管が求められる
- 業務の属人化を防ぐ:計算手順をマニュアル化し、複数人で確認できる体制を整える
給与計算に関する誤りは、発覚が遅れると過去にさかのぼって修正が必要となり、従業員との信頼関係の損失だけでなく、延滞税や追徴課税といった金銭的なダメージにもつながります。法的リスクを最小化するためにも、定期的な自社点検を実施することを強くお勧めします。
また、給与控除の問題は労務管理全体と密接に関わっています。特に従業員の休職・離職が生じた場合の社会保険料や住民税の処理は複雑になりがちです。メンタルヘルスの問題による休職者が発生した際には、休職期間中の給与・保険料の取り扱いについても正確な対応が必要です。従業員のメンタルヘルス支援と休職管理を並行して行う際には、メンタルカウンセリング(EAP)の活用も選択肢のひとつとして検討に値します。
まとめ
給与計算における控除項目は、法定控除と協定控除に大別され、それぞれに明確な法的根拠が求められます。労働基準法第24条の全額払い原則を理解したうえで、自社の控除内容がすべて適法な根拠に基づいているかを確認することが、コンプライアンス(法令遵守)の第一歩です。
欠勤控除の計算方法、社会保険料の控除タイミング、制裁控除の上限規制など、見落とされがちな点は多岐にわたります。また、給与計算ソフトへの過信や法改正対応の遅れも、実務上のリスク要因として認識する必要があります。
労務管理の適正化は、従業員との信頼関係を守り、会社の健全な経営を支える基盤です。給与計算の仕組みを整えると同時に、従業員が安心して働ける環境づくりの一環として、産業医サービスを活用した健康管理体制の整備もあわせてご検討ください。
よくある質問
労使協定なしで社宅費を給与から控除していた場合、どう対処すればよいですか?
まずは速やかに労働者代表との間で賃金控除に関する協定書を締結し、控除項目・金額・対象者を明確にしたうえで書面を保管してください。過去の控除分については、法律上は全額払い原則に違反していた可能性がありますが、個別の事情や控除額の合理性によって対応が異なります。弁護士や社会保険労務士に相談したうえで対応方針を決めることをお勧めします。
給与計算ソフトを使っていれば法改正への対応は自動的にされますか?
ソフトのアップデートで対応されるケースもありますが、保険料率や税率のマスタ(基本データ)は担当者が手動で更新しなければならない場合も多くあります。社会保険料率・雇用保険料率の改定(主に毎年3〜4月)や住民税額の切り替え(毎年6月)など、年間のスケジュールをあらかじめ把握し、更新漏れが生じないよう管理体制を整えることが重要です。
欠勤控除の計算で「月の所定労働日数」を分母にしていますが問題ありませんか?
欠勤控除の計算式(分母の設定)は法律で一律に定められていませんが、就業規則に計算方法を明記し、従業員に周知することが必要です。月によって所定労働日数が異なる場合の扱いも含め、不合理な計算式は労働者との紛争につながる可能性があります。計算方法に不安がある場合は、社会保険労務士に確認することをお勧めします。
労務管理の課題を抱える企業様には、INTERMINDの産業医サービスをご検討ください。産業医と連携した従業員の健康管理体制を構築できます。







