従業員が糖尿病や高血圧、脂質異常症といった生活習慣病を抱えながら働くケースは、今や珍しいことではありません。厚生労働省の調査によると、糖尿病が強く疑われる者は国内に約1,000万人にのぼるとされており、働き盛りの40〜60代が中心層を占めます。中小企業においても、健康診断で「要治療」「要精密検査」の判定を受けながら通院していない従業員、あるいは治療を受けつつも職場への影響が生じ始めている従業員は、決して少なくないはずです。
問題は、こうした状況への対応が「本人任せ」になりがちな点です。自覚症状が乏しいという生活習慣病の特性上、本人がリスクを過小評価しやすく、人事担当者も「プライバシーへの踏み込み」をためらうあまり、気づいたときには重症化・長期離脱という事態に発展することがあります。
この記事では、糖尿病・生活習慣病を持つ従業員への対応について、法的な根拠を踏まえながら、中小企業の人事担当者が実務で使えるポイントを整理します。
なぜ「放置」が許されないのか:事業者に課せられた法的義務
まず押さえておきたいのは、健康診断後の対応が法律上の義務である点です。労働安全衛生法第66条の5では、健康診断の結果に基づき、医師の意見を聴いたうえで就業上の措置を講じることが事業者の義務として明記されています。「異常値が出ていたが本人が問題ないと言ったので何もしなかった」という対応は、法令上の義務を果たしていないことになります。
就業上の措置とは、「就業を禁止する」「労働時間を短縮する」「深夜業務を制限する」「作業環境を変更する」といった対応を指します。常時50人以上の労働者を使用する事業場では産業医の選任が義務付けられており、産業医の意見を就業措置に反映させるプロセスが法定されています。
一方、50人未満の中小企業においても、健康診断の実施義務(労働安全衛生法第66条)は同様に適用されます。産業医がいない場合は、地域産業保健センター(都道府県ごとに設置)を活用することで、無料または低コストで医師への相談や就業措置の助言を受けることができます。「産業医がいないから対応できない」は法的に通用しない言い訳になる点を、まず経営層と共有しておく必要があります。
また、健康診断結果や病名は個人情報保護法上の「要配慮個人情報」(いわゆるセンシティブ情報)に該当します。本人の同意なく上司や同僚に病名を開示することは原則として禁止されています。ただし、就業措置を実施するうえで必要な範囲――たとえば「残業不可」「重作業禁止」といった業務上の制限内容のみを管理職に伝えること――は許容される場合があります。病名の開示と業務制限の伝達は区別して考える必要があります。
健康診断の「異常値放置」を防ぐ:予防・早期発見フェーズの実務
生活習慣病のやっかいな特性は、初期段階では自覚症状がほとんどないことです。血糖値や血圧が高くても「体が重い」「疲れやすい」程度の感覚しかなく、本人が深刻さを認識しないまま数年が経過するケースは珍しくありません。だからこそ、人事が健診データを起点とした早期介入の仕組みを整えることが重要です。
健康診断受診率の管理と経年データの活用
まず基本となるのは、健康診断の受診率を100%に近づけることです。受診状況を人事が把握・督促する体制を整えるとともに、HbA1c(ヘモグロビンエーワンシー:過去1〜2ヶ月の血糖の平均値を示す指標)、空腹時血糖、血圧、LDLコレステロール、中性脂肪といった主要な生活習慣病指標を経年で記録・管理しましょう。単年の数値だけでなく、3〜5年の推移を見ることで「悪化傾向にある社員」を早期に発見できます。
特定保健指導の受講環境を整備する
40〜74歳の従業員が加入する健康保険組合や協会けんぽは、「高齢者の医療の確保に関する法律」に基づき、一定の基準を超えた従業員(メタボリックシンドローム該当者・予備群)に対して特定保健指導を実施する義務を負っています。特定保健指導とは、保健師や管理栄養士が個別に生活習慣の改善をサポートするプログラムです。
事業者として求められるのは、従業員が特定保健指導を受けやすい環境を整備することです。具体的には、「業務時間内に保健指導の面談を受けられる時間を確保する」「職場内で保健師が出張面談を実施できる場所を提供する」といった対応が挙げられます。なお、特定保健指導の実施率が低い場合、健保組合への国庫補助が削減されるペナルティが設けられており、保険料率の上昇につながる可能性があります。従業員個人の健康問題であると同時に、会社全体の経営コストにも影響する問題です。
治療中の従業員を支える:「治療と仕事の両立支援」の実践
糖尿病の治療は短期間で終わるものではありません。食事管理・服薬・定期通院を継続しながら就労する期間が、数年から数十年にわたることもあります。こうした従業員を適切にサポートする枠組みとして、厚生労働省が策定した「事業場における治療と仕事の両立支援のためのガイドライン」があります。
このガイドラインが示す基本モデルは、「主治医・産業医(または地域の医師)・人事担当者・本人」の4者が連携して就労継続を支援する体制です。
勤務情報提供書と両立支援プランの活用
ガイドラインでは、人事担当者が主治医に対して「勤務情報提供書」を作成・提供することを推奨しています。これは、従業員の業務内容・勤務時間・職場環境などの情報を主治医に伝えることで、就労実態を踏まえた医学的意見を得るためのツールです。「会社の仕事内容を知らないまま診察している主治医」が就労可否を判断するよりも、実態に即した判断が可能になります。
その医師の意見をもとに、人事・本人・管理職が協議して「療養・就労両立支援プラン」を作成します。このプランには、業務上の配慮事項(残業制限・通院のための休暇・業務変更など)、支援の期間、見直しのタイミングを明記します。口頭の約束ではなく書面で残すことで、管理職交代時の引き継ぎや、トラブル発生時の根拠としても機能します。
透析患者への勤務設計:週3回通院への具体的対応
糖尿病が進行して腎機能が著しく低下した場合、人工透析(血液透析)が必要になることがあります。血液透析は一般的に週3回、1回4〜5時間の通院が必要です。これは就労継続にとって大きな制約となりますが、適切な勤務シフトの再設計によって就労継続が可能な場合も少なくありません。
- 透析日を固定した勤務スケジュールの設計(例:月・水・金に透析→火・木・土に出勤)
- 時差出勤・短時間勤務制度の適用(透析後の疲労を考慮した勤務時間の短縮)
- 在宅勤務・テレワークの活用(透析施設での待機時間を活用できる業務への転換)
また、透析を必要とする程度の腎機能障害がある場合、身体障害者手帳(内部障害)を取得できる可能性があります。手帳を取得すると、障害者雇用促進法の対象となり、合理的配慮の提供義務(2024年4月より中小企業にも義務化)が正式に発生します。合理的配慮とは、障害のある従業員が働き続けられるよう、過重な負担にならない範囲で職場環境・業務内容を調整することを指します。「何が合理的で何が過剰か」の判断は個別事情によりますが、上述の勤務スケジュール調整や通院時間の確保は、一般的に合理的配慮の範囲内と考えられます。
低血糖発作への備え:安全衛生上のリスク管理
インスリン療法を行っている糖尿病患者は、低血糖発作のリスクがあります。低血糖とは血糖値が異常に低下した状態で、冷や汗・震え・動悸・意識障害といった症状が突然現れることがあります。職場で対応を誤ると重篤化するリスクがあるため、以下の対策を講じておく必要があります。
- 本人の同意を得たうえで、上司・同僚に低血糖発作の症状と基本的な対応方法を事前に共有する(病名の開示は本人の意思を尊重)
- 職場にブドウ糖タブレット・ジュースなどの補食を常備することを許可し、業務中の摂取を認める
- インスリン注射・血糖自己測定のためのプライバシーが確保できる場所と休憩時間を設ける
- 運転業務・高所作業など低血糖発作が重大事故につながりうる職種については、主治医・産業医の意見を踏まえた就業可否の判断を書面で行う
管理職・チームへの影響を最小化する:職場マネジメントの工夫
病気を抱える従業員への配慮が、チーム全体の不公平感や管理職の負担増につながるケースは少なくありません。配慮すること自体は正当であっても、その実施の仕方が職場の雰囲気を悪化させることがあります。
管理職への情報伝達と研修
前述のとおり、病名そのものを管理職に伝えることは原則として本人の同意が必要です。ただし、「残業は月○時間以内」「重量物の運搬は不可」といった業務上の制限事項のみであれば、就業措置の実施に必要な範囲として伝達することが可能です。管理職には、病名ではなく「業務上できること・できないこと」を明確に伝え、日常の業務指示に反映させるよう指導しましょう。
また、管理職が「病気の部下にどう接すればいいかわからない」という戸惑いから放置状態になることは珍しくありません。管理職向けの研修として、「病気を持つ部下への声かけの基本」「業務調整の考え方」「相談窓口への橋渡し方法」を年1回程度共有する機会を設けることを推奨します。難しい場合は、社会保険労務士や産業保健師が提供する研修資料・動画コンテンツを活用する方法もあります。
業務分担の見直しは「チーム最適化」として実施する
特定の従業員の業務負担を軽減する際、「あの人だけ楽をしている」という不満が他のメンバーに生まれることがあります。これを防ぐためには、個人への特例対応として見せるのではなく、チーム全体の業務量・役割分担を見直す機会として位置づけることが有効です。業務の棚卸しを行うことで、特定の人に集中している過負荷な業務が発見されることも多く、結果的にチーム全体の働き方改善につながるケースもあります。
病気を理由とした解雇・不利益変更のリスクと職場復帰支援の整備
「長期休業が続いている」「業務に支障が出ている」という理由から、解雇や降格を検討したいという声を人事担当者から聞くことがあります。しかし、病気を理由とした解雇は「解雇権濫用」として無効と判断されるリスクが極めて高いです。労働契約法第16条では、「解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当でないときは、無効とする」と定めており、判例の蓄積においても病気社員の解雇は厳しく審査されます。特に、「就労可能な業務が他に残っている」場合は、解雇は原則として認められないと考えるべきです。
降格・配転についても、不利益変更として争われる可能性があります。対応の記録を残し、本人との合意形成を経たうえで実施することが必須です。
職場復帰支援プログラムを就業規則に明文化する
病気による長期休業からの復職をスムーズに行うために、職場復帰支援プログラムを就業規則や別規程に明文化しておくことを強く推奨します。規程に盛り込むべき主な内容は以下のとおりです。
- 休業中の連絡体制・報告義務
- 復職判断のプロセス(主治医の診断書提出→産業医または指定医師による意見聴取→復職可否の決定)
- 試し出勤(リハビリ出勤)制度の内容と期間
- 復職後の業務制限の期間・内容・見直しのタイミング
- 再発・再休業時の取り扱い
規程がない状態では、判断が担当者個人の裁量や感情に委ねられ、対応が場当たり的になります。また従業員側にとっても、見通しが持てない状態は不安を増大させます。プログラムの存在自体が、従業員の安心感と会社への信頼につながります。
なお、休業中の従業員には傷病手当金制度(療養のために連続3日以上休業した場合、4日目から最長1年6ヶ月、標準報酬日額の3分の2が支給される健康保険の給付)について、制度の存在を案内することも望ましい対応です。法的な案内義務はありませんが、知らせることが従業員との信頼関係構築に寄与します。
実践ポイントのまとめ:今日から着手できる5つのアクション
- 健診結果の経年管理を始める:HbA1c・血圧・脂質の推移を個人別に記録し、「悪化傾向にある社員」を早期に把握する仕組みを作る。
- 地域産業保健センターを活用する:産業医がいない場合でも、都道府県の産業保健総合支援センターや地域産業保健センターに相談することで、就業措置の助言や面談サービスを受けられる(原則無料)。
- 治療と仕事の両立支援ガイドラインをひな型として使う:厚生労働省が公開している「勤務情報提供書」「療養・就労両立支援プラン」のひな型を活用し、主治医・本人との連携体制を構築する。
- 管理職に「業務制限の内容」のみ伝える情報管理ルールを周知する:病名の無断開示はプライバシー侵害につながるリスクがある一方、業務制限の伝達は就業措置の実施に不可欠。両者のバランスを社内ルールとして明文化する。
- 職場復帰支援プログラムを就業規則に盛り込む:長期休業への対応をルール化することで、担当者依存・場当たり対応を防ぎ、復職後のトラブルリスクを低減する。
糖尿病・生活習慣病と就労の問題は、「本人の問題」として見過ごしがちですが、人事・経営の視点からは労務リスク・生産性・健保コストに直結するテーマです。法律が求める最低限の対応を踏まえつつ、従業員が治療を続けながら安心して働き続けられる環境を整えることが、中長期的には離職防止・採用競争力にもつながります。完璧な体制を一度に構築することは難しくても、まず一つの仕組みから着手することが重要です。
よくある質問
Q1: 産業医がいない中小企業でも、健康診断後の対応は法的義務なのですか?
はい、50人未満の中小企業でも労働安全衛生法第66条により健康診断の実施義務と、その結果に基づいた就業上の措置は法的に課せられています。産業医がいない場合は、地域産業保健センターを無料または低コストで活用できるため、「産業医がいないから対応できない」は法的に通用しません。
Q2: 従業員の病名を上司に伝えるときに気をつけることは何ですか?
病名そのものは要配慮個人情報であり、本人の同意なく開示することは原則禁止です。ただし「残業不可」「重作業禁止」といった業務上の制限内容のみを伝えることは許容されます。つまり、病名の開示と業務制限の伝達は区別して考える必要があります。
Q3: なぜ従業員の健康データを経年で管理する必要があるのですか?
生活習慣病は初期段階では自覚症状がほぼないため、本人が深刻さを認識しないまま悪化します。3~5年の推移を見ることで「悪化傾向にある社員」を早期に発見でき、重症化や長期離脱を予防することができます。
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