「社員がもっと自分のペースで働けるようにしたい」「優秀な人材の離職を防ぐために働き方を見直したい」——そう考え始めた経営者や人事担当者の方が、最初に検討候補として挙げることの多い制度の一つがフレックスタイム制度です。しかし、いざ導入を検討しようとすると「手続きが複雑そう」「残業代の計算が変わって給与計算がおかしくなりそう」「小さな会社でも本当に運用できるのか」といった不安が次々と浮かんできます。
本記事では、労働基準法の要件を正確に押さえながら、中小企業が実務でつまずきやすいポイントを具体的に解説します。制度設計から就業規則の整備、労働時間の計算ルール、テレワークとの組み合わせ方まで、段階を追って確認していきましょう。
フレックスタイム制度の基本と法的根拠
フレックスタイム制度とは、一定の期間(清算期間)における総労働時間をあらかじめ決めておき、その範囲内で各日の始業・終業時刻を従業員自身が決められる制度です。根拠は労働基準法第32条の3に定められており、2019年4月施行の働き方改革関連法によって清算期間の上限が1ヶ月から3ヶ月に延長され、より柔軟な運用が可能になりました。
「清算期間」とは、労働時間を精算する単位となる区切りの期間のことです。たとえば清算期間を1ヶ月に設定した場合、その1ヶ月の中で決められた総労働時間をクリアしていれば、ある日は6時間、別の日は10時間という働き方が認められます。従来の「1日8時間・週40時間」という枠組みとは異なる発想で労働時間を管理する点が最大の特徴です。
制度を導入するには、次の2つの手続きがどちらも必須です。
- 就業規則への記載:始業・終業時刻を労働者の決定に委ねる旨を明記する必要があります
- 労使協定の締結:従業員の過半数を代表する者(または過半数組合)との書面による協定が必要です
労使協定には、①対象となる労働者の範囲、②清算期間、③清算期間における総労働時間、④標準となる1日の労働時間、⑤コアタイム(設定する場合)、⑥フレキシブルタイム(設定する場合)の6項目を定める必要があります。なお、清算期間が1ヶ月を超える場合は、労使協定を所轄の労働基準監督署に届け出る義務が生じます。「協定さえ結べばすぐ使える」と思っていると、就業規則の変更や届出を失念するケースがあるため注意が必要です。
残業代・時間外労働の計算ルールを正確に理解する
「フレックスタイム制にすれば残業代を払わなくて済む」という誤解は、現場で非常によく聞かれます。しかしこれは誤りです。フレックスタイム制においても、清算期間における法定労働時間の総枠を超えた部分には25%以上の割増賃金の支払いが必要です。
法定労働時間の総枠は次の計算式で算出します。
清算期間の暦日数 ÷ 7 × 40時間
たとえば、清算期間を1ヶ月(31日間)に設定した場合の総枠は「31 ÷ 7 × 40 ≒ 177.1時間」です。この枠を超えた時間が時間外労働となり、割増賃金の対象になります。
清算期間を3ヶ月に設定した場合は柔軟性が増す一方で、管理が複雑になります。特に注意が必要なのが「各月の実労働時間が週平均50時間を超えた部分」の扱いです。清算期間が1ヶ月を超える場合、この超過分はその月の時間外労働としてカウントし、割増賃金を当月分として支払わなければなりません。清算期間終了時だけでなく、毎月の確認作業が必要になるため、特に給与計算担当者は処理フローを事前に整理しておくことが重要です。
また、深夜労働(午後10時から翌午前5時)が発生した場合は、フレックスタイム制の有無にかかわらず25%以上の深夜割増賃金が別途必要です。フレキシブルタイムを深夜帯まで広げる設計の場合は、この点を給与計算システムに正確に反映させてください。
なお、18歳未満の年少者にはフレックスタイム制を適用できません(労働基準法第60条)。アルバイトを多く雇用している企業では適用対象の確認が必要です。
コアタイム・フレキシブルタイムの設計で失敗しないために
フレックスタイム制の設計で最初に悩むのが、コアタイムを設けるかどうかという判断です。コアタイムとは、必ず出社・就業していなければならない時間帯のことで、設定は任意です。コアタイムのない「完全フレックス」も法律上は認められています。
ただし、チームで連携しながら業務を進める職場では、コアタイムがないと「誰も同じ時間に職場にいない」という状況が生まれ、会議の設定や即時の意思決定が困難になる場合があります。午前10時から午後3時をコアタイムに設定するケースが実務的には多く、この時間帯に全員が業務に当たれる体制を確保しつつ、前後のフレキシブルタイムで柔軟性を持たせる設計が中小企業では運用しやすいとされています。
コアタイム中の遅刻・欠勤の扱い
コアタイムを設けた場合、その時間帯に出勤していなければ、通常の遅刻・欠勤と同様の取り扱いが可能です。ただし、「コアタイム中の遅刻はどう扱うか」を就業規則に明記しておかないと、現場での判断が揺れてトラブルの原因になります。懲戒処分の対象とするのか、単純な欠勤控除にとどめるのか、あらかじめルールを文書化しておくことが不可欠です。
フレキシブルタイムの設定幅と業務特性の関係
フレキシブルタイムとは、従業員が自由に始業・終業を選べる時間帯のことです。「午前7時から午後10時まで」のように広く設定することも制度上は可能ですが、実際の業務内容や顧客対応の有無に合わせて現実的な幅を設定することが運用の安定につながります。深夜帯まで設定すると深夜割増の管理が複雑になるため、割増賃金の発生しない午後10時前後を上限とする設計が実務的には採用されやすいです。
勤怠管理システムの整備と清算期間の実務処理
2019年の法改正により、すべての事業者に客観的な方法による労働時間把握の義務が課されています。フレックスタイム制の導入にあたっては、タイムカード・ICカード・PCログ・勤怠管理システムなどを活用し、実績労働時間を正確に記録する仕組みを整えることが前提条件です。
特に清算期間終了時の精算処理は、手動計算だとミスが起きやすい部分です。勤怠管理システムの導入は、中小企業においても強く検討すべき投資といえます。フレックスタイム制に対応したシステムであれば、清算期間の総労働時間、時間外労働分の自動集計、割増賃金の計算補助まで対応できる製品も多く、給与計算担当者の負担を大幅に軽減できます。
清算期間終了時に生じる労働時間の過不足の処理も、事前にルールを明文化しておく必要があります。
- 労働時間が不足した場合:翌清算期間への繰り越しは認められていません。不足分を翌期間に補う運用は違法です。欠勤控除として処理することは可能ですが、最低賃金を下回る賃金になってはならない点に注意が必要です
- 労働時間が超過した場合:割増賃金を支払う必要があります。翌期間への繰り越しも不可です。「今月は頑張ってくれたから来月に回そう」という対応は法律上認められません
テレワークとの組み合わせも、現在の中小企業では一般的な運用形態になっています。在宅勤務時の始業・終業記録の方法、業務開始・終了時のチャットや日報での申告ルール、中抜け時間の取り扱いなどを就業規則やテレワーク規程に明記しておくことで、トラブルを予防できます。フレックスタイム制とテレワークを組み合わせることで従業員の自律的な働き方が促進される一方、管理職が部下の状況を把握しにくくなるという課題も生じます。メンタルカウンセリング(EAP)を活用し、テレワーク下での孤立感や長時間労働を早期に把握・対応できる体制を整えることも、制度運用の安定に貢献します。
社内浸透と制度を定着させるための実践ポイント
法的手続きを整えるだけでは、フレックスタイム制の導入は成功しません。制度が職場に定着し、従業員にとって本当に使いやすいものになるかどうかは、社内の理解と運用の仕組みにかかっています。
全社一律でなく、部署・職種単位での段階的導入を検討する
製造ラインや店舗接客など、業務の性質上フレックスタイムを適用しにくい職種と、内勤の事務・企画・開発職などで適用できる職種が混在する中小企業は少なくありません。この場合、適用できる部署から先行導入し、運用の知見を蓄えてから対象を広げる段階的アプローチが現実的です。適用できない職種との間に不公平感が生まれることも予想されるため、導入の目的と対象選定の理由を丁寧に説明する場を設けることが重要です。
管理職向けの研修と評価方法の見直し
フレックスタイム制の導入で最も大きな変化を求められるのは、実は管理職です。「何時間働いているか」ではなく「何を、どれだけの質で達成したか」という成果管理への転換が必要になります。部下が見えない時間帯に何をしているかを不安に感じる管理職も少なくないため、業務の目標設定・進捗確認・評価の方法を具体的にトレーニングする機会を設けることが定着への鍵となります。
従業員向けの丁寧な制度説明とQ&A整備
「自分の労働時間がどう計算されているかわからない」「有給休暇を取った日の労働時間はどう扱われるのか」——従業員が抱く疑問に事前に答えられるFAQ集の作成と制度説明会の実施は、現場の混乱を防ぐ有効な手段です。有給休暇を取得した日は「標準労働時間を働いたものとみなす」というルールを就業規則に明記しておくことで、有給取得と総労働時間との関係も明確になります。
定期的な運用レビューの実施
導入後は少なくとも四半期に1回程度、運用状況のレビューを行うことを推奨します。制度を活用している従業員としていない従業員の状況、時間外労働の発生状況、従業員の健康状態の変化などを確認し、必要に応じてコアタイムの設定や清算期間の見直しを行うことで、制度の実効性を維持できます。従業員の健康面では、産業医サービスを活用して定期的な面談を実施し、フレックスタイム制の活用によって生じうる不規則な生活リズムや長時間労働の兆候を早期に発見・対処することも、持続的な運用に役立ちます。
まとめ
フレックスタイム制度の導入は、従業員の自律的な働き方を支援し、優秀な人材の確保・定着に貢献できる有効な制度です。しかし、法的手続きを正確に踏まなければ、意図せず労働基準法違反が生じるリスクもあります。ここで整理した要点を改めて確認しておきましょう。
- 導入には就業規則の改定と労使協定の締結がどちらも必須で、清算期間が1ヶ月を超える場合は労働基準監督署への届出も必要
- フレックスタイム制でも清算期間の法定労働時間総枠を超えた部分には25%以上の割増賃金が必要であり、残業代ゼロにはならない
- 清算期間は1ヶ月が運用しやすく、3ヶ月にする場合は毎月の週平均50時間超過チェックが追加される
- 勤怠管理システムの導入で計算ミスと管理コストを抑制する
- コアタイムの設定・コアタイム中の遅欠勤の取り扱い・有給休暇時の標準労働時間の扱いを就業規則に明記する
- 管理職の研修と定期的な運用レビューで制度の定着を図る
制度の骨格を正しく設計したうえで、従業員が安心して活用できる職場環境を整えることが、フレックスタイム制導入を成功させる最短ルートです。不明点は社会保険労務士や弁護士などの専門家に確認しながら、段階的に進めていただくことをお勧めします。
よくある質問(FAQ)
フレックスタイム制度は何人以上の会社から導入できますか?
従業員数に関する下限要件は労働基準法上定められていません。就業規則の作成義務が生じる「常時10人以上の労働者を使用する事業場」かどうかによって手続きの内容が変わりますが、10人未満の小規模企業でも、就業規則に相当するルールの整備と労使協定の締結を行えば導入は可能です。ただし、小規模であるほど勤怠管理の仕組みをシンプルに保つことが運用安定の鍵になります。
フレックスタイム制度を導入すると、有給休暇はどのように扱われますか?
フレックスタイム制の下では、有給休暇を取得した日の労働時間は「標準となる1日の労働時間」として扱われます。この標準労働時間は労使協定で定めるものであり、たとえば「1日7時間45分」と設定していれば、有給取得日はその時間分が総労働時間に算入されます。就業規則と労使協定にこの取り扱いを明記しておかないと、従業員から「有給を取ると総労働時間が不足するのでは」という疑問が生じやすいため、事前の説明が重要です。
テレワーク中の労働時間はどのように記録すれば良いですか?
テレワーク時も客観的な方法による労働時間の把握が法律上求められています。実務的には、勤怠管理システムへの打刻、業務開始・終了時のチャットツールへの記録、始業・終業時刻を記載した日報の提出などが活用されています。「自己申告」に頼る場合でも、申告内容を定期的に確認し、実態と乖離していないかチェックする仕組みを設けることが、長時間労働の見逃し防止につながります。
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