定期健康診断の結果が返ってきたとき、人事担当者が頭を抱える場面の一つが「要治療」と判定された従業員への対応です。「受診してください」と伝えるだけで終わっていないでしょうか。実際に医療機関を受診したかどうか、治療が継続されているかどうかを把握できている企業は、中小企業の現場では決して多くありません。
労働安全衛生法第66条の7は、定期健康診断において異常の所見があった労働者に対し、事業者が医師または保健師による保健指導を行うよう努めなければならないと定めています(努力義務)。義務の強度こそ「努力義務」ですが、これは「やらなくてよい」という意味ではありません。有所見者への対応が不十分だった場合、安全配慮義務違反として法的リスクに発展する可能性もあります。
本記事では、要治療判定者への保健指導を計画的・継続的に実施するための実務的な手順を、法的根拠を踏まえながら解説します。リソースが限られた中小企業でも取り組める具体策をお伝えします。
要治療・要観察・要精密検査の違いと優先順位の整理
まず、社内での対応を始める前提として、健診結果の判定区分を正しく理解し、対象者を適切に分類することが不可欠です。現場では「異常があった人」として一括りに扱われがちですが、対応の優先順位は判定区分によって大きく異なります。
- 要治療(受診必要):医療機関での診断と治療が必要な状態。放置すると重篤な疾患に進展するリスクがある。
- 要精密検査:より詳しい検査で疾患の有無を確認する必要がある状態。
- 要観察(経過観察):現時点では治療は不要だが、生活習慣の改善や定期的なチェックが必要な状態。
- 異常なし:基準値の範囲内で健康上の問題は見られない状態。
これらの区分を社内で明文化し、判定ごとの対応手順をフロー図として整備しておくことが実務の出発点です。
特に注意が必要なのは、要治療の中でも緊急性の高いケースです。収縮期血圧180mmHg以上、空腹時血糖が著明に高い場合など、即時対応が求められる所見があります。これらについては、健診機関から結果が届いた時点で産業医への報告と本人への速やかな受診勧奨を行う優先フローを設けておくべきです。
また、要治療者の中にはすでに医療機関で治療を受けている人(既治療者)と、判定が出ても受診していない人(未受診者)が混在しています。既治療者は現在の治療継続状況を確認することが主な対応になりますが、未受診者こそが保健指導と受診勧奨の重点ターゲットです。この二者を区別せずに管理していると、本当に介入が必要な従業員が見落とされることになります。
法的根拠を押さえた受診勧奨と追跡管理の仕組み
受診勧奨は口頭で伝えるだけでは不十分です。効果的かつ記録の残る方法として、文書(書面)と面談の組み合わせが推奨されます。
労働安全衛生規則第51条の2では、健診結果に基づいて事業者が医師等の意見を聴取する義務が定められています。産業医(または嘱託医)に有所見者の健診結果を確認してもらい、就業上の措置や受診勧奨の必要性について意見を得ることが法的に求められています。この意見聴取の記録は5年間の保存が必要です。
実務的な追跡管理の手順として、以下のプロセスを参考にしてください。
- 健診結果受領後2週間以内:有所見者のリストアップと判定区分の整理。産業医への情報提供と意見聴取の依頼。
- 健診後1ヶ月以内:要治療者・要精密検査者に対して文書による受診勧奨を実施。本人の署名入りの受領確認を取っておくと記録として有効です。
- 健診後2〜3ヶ月以内:受診状況の確認。本人記入の確認票(受診日・医療機関名・治療内容の概要)を提出してもらう形が実務的です。
- 未受診者への再勧奨:確認票が未提出の場合は上司を介さず人事・産業看護職から直接フォローを行う。
この追跡シートは、担当者が変わっても引き継ぎができるよう、電子データで一元管理することを強くお勧めします。小規模事業場では健診情報の管理が属人的になりやすく、担当者の退職や異動によって情報が途切れるリスクがあるからです。
なお、健康情報は要配慮個人情報(個人情報保護法第2条第3項)に該当し、厳格な管理が求められます。2019年に厚生労働省が公表した「労働者の心身の状態に関する情報の適正な取扱いのために事業者が講ずべき措置に関する指針」に基づき、健康情報の取扱い規程を整備しておくことが必要です。健診結果を人事評価や雇用継続の判断に不利益な形で使用することは法令上禁止されており、従業員からの信頼を損なわないためにも、情報の利用目的と管理方法を社内規程で明確にしておきましょう。
受診を拒む従業員へのアプローチ方法
「自分はまだ大丈夫」「仕事が忙しくて病院に行く時間がない」という反応は、保健指導の現場では非常によく見られます。こうした従業員への対応に悩む人事担当者は少なくありません。
まず前提として、受診を強制することはできません。しかし、企業には安全配慮義務(労働契約法第5条)があり、従業員の健康状態を把握し、必要な措置を講じる責任があります。この二つの間のバランスをどう取るかが実務の核心です。
効果的なアプローチとして、以下の点を参考にしてください。
- 個別の状況に合わせた声かけ:「なぜ受診が必要か」を健診結果の数値と照らし合わせながら、産業医または産業看護職から具体的に説明する。上司からの指示より、医療の専門職からの説明の方が受け入れられやすい傾向があります。
- 受診しやすい環境の整備:通院のための時間的配慮(就業時間内の受診許可、受診休暇制度の整備)を会社として明示することで、「忙しくて行けない」という言い訳を減らす。
- 会社の関心を「管理」ではなく「サポート」として伝える:「会社に健康状態を知られたくない」という反発に対しては、情報の管理範囲(誰がどこまで知るか)を明確に説明することが有効です。健診結果が直接上司に共有されるわけではないこと、目的は就業上のサポートであることを丁寧に伝えましょう。
- 繰り返し、継続的に勧奨する:1回の勧奨で動かなくても諦めない。産業医の訪問時や保健師との面談機会を活用して、継続的にアプローチすることが重要です。
また、身体疾患とメンタルヘルス不調が重なっているケースでは、受診勧奨の難しさがさらに増します。うつ状態にある従業員は受診へのモチベーション自体が低下しているため、メンタルと身体の両面を視野に入れた対応が必要です。こうした複合ケースには、メンタルカウンセリング(EAP)のサービスを活用し、カウンセラーと産業医が連携して支援する体制を整えることが効果的です。
中小企業が使える外部リソースの活用術
「産業医も保健師もいない」「費用をかけられない」という声は中小企業の現場から多く聞かれます。しかし、活用できる外部リソースは思っている以上に存在します。
協会けんぽのサービスを最大限に活用する
中小企業の多くが加入している全国健康保険協会(協会けんぽ)は、事業場への保健師派遣や出張相談などのサービスを無料または低コストで提供しています。また、コラボヘルス(保険者と事業者が連携して従業員の健康増進に取り組む仕組み)を活用することで、健診後の保健指導を保険者側のリソースを借りながら実施することが可能です。まだ活用していない企業は、管轄の協会けんぽ都道府県支部に相談することから始めてください。
特定保健指導との違いを理解して使い分ける
40〜74歳の被保険者を対象とした特定保健指導(高齢者医療確保法に基づく)は、メタボリックシンドローム(内臓脂肪の蓄積による健康リスクのある状態)の予防・改善を目的とした制度です。ただし、要治療判定者は原則として特定保健指導の対象外となります。治療中の疾患がある人は、医療機関での管理が優先されるためです。この点を誤解している担当者も多いため、注意が必要です。
特定保健指導は要観察・境界域の従業員への生活習慣改善指導に有効であり、要治療者への保健指導とは役割を分けて考える必要があります。
嘱託産業医の訪問時間を最大化する
月1〜2回の訪問が多い非常勤・嘱託産業医の場合、限られた時間を有効に使うための事前準備が重要です。訪問前に人事担当者が要治療者リストと追跡状況をまとめておき、訪問時には優先度の高いケースから産業医と確認・検討できる体制を整えましょう。産業医の訪問時間を「書類の確認」だけで終わらせず、具体的なケース検討と対応方針の決定に使うことが効率化の鍵です。
専任の産業医が不在の事業場でも、産業医サービスを通じて嘱託産業医を選任し、定期的な職場巡視と保健指導のサポートを受ける体制を整えることが、継続的な健康管理の基盤となります。
保健指導計画のPDCAサイクルを回す
要治療判定者への保健指導は、単発の対応ではなく年間を通じた計画として管理する必要があります。計画の実効性を高めるためには、PDCAサイクル(計画→実行→評価→改善)の考え方が役立ちます。
計画(Plan)
年度初めに保健指導実施計画書を作成します。計画書には、対象者の抽出方法、受診勧奨の時期と方法、追跡管理のスケジュール、担当者の役割分担を明記します。この計画は衛生委員会(労働安全衛生法第18条に基づく組織で、50人以上の事業場に設置義務がある)で審議・承認することで、組織としての位置づけが明確になります。50人未満の小規模事業場でも、安全衛生に関する事項を決定する場を設けて計画を承認しておくことが望ましいです。
実行(Do)
計画に基づいて受診勧奨・保健指導を実施します。面談記録は統一したフォーマットで保存し、指導内容・本人の反応・次回フォローの予定を必ず記録します。指導内容は、食事・運動・睡眠・禁煙・服薬継続の5領域を基本とし、本人の生活状況に合わせてカスタマイズします。
評価(Check)
年度末に以下のKPI(重要業績評価指標)を集計して効果を測定します。
- 受診勧奨実施率:要治療者のうち、実際に受診勧奨を行った割合
- 受診完了率:受診勧奨を行った者のうち、実際に医療機関を受診した割合
- 有所見率の変化:翌年度の健診結果と比較した改善率
- 保健指導実施率:対象者のうち保健指導を受けた割合
改善(Action)
評価結果をもとに、翌年度の計画を修正します。受診完了率が低い場合は受診勧奨の方法を見直す、特定の疾患区分の有所見率が改善しない場合はその項目に特化した指導を強化するなど、データに基づいた改善を積み重ねることが重要です。
実践のためのポイントまとめ
要治療判定者への保健指導実施計画を機能させるために、特に重要なポイントを整理します。
- 判定区分の明確化:要治療・要精密検査・要観察を社内で明確に区分し、それぞれの対応手順をフロー化する。既治療者と未受診者を分けて管理し、未受診者を優先的にフォローする。
- 記録の整備:受診勧奨・医師意見聴取・保健指導・就業上の措置のすべてを文書で記録し、適切な期間保存する。属人的な管理を脱し、電子的に一元管理する。
- 外部リソースの積極的活用:協会けんぽの保健師派遣・コラボヘルスを活用し、コストを抑えながら専門職のサポートを受ける。
- プライバシーへの配慮と目的の明示:健康情報の利用目的・管理範囲・共有ルールを社内規程で明確にし、従業員の不安や反発を事前に払拭する。
- 年間計画としての管理:衛生委員会で計画を承認し、KPIを設定してPDCAサイクルを回す。年1回以上、計画を見直す。
産業保健の体制が十分でない中小企業でも、仕組みを整えることで要治療判定者への対応は確実に改善できます。「健診を受けさせたら終わり」から脱却し、受診後のフォローを組織として担う体制づくりが、従業員の健康と企業の持続的な活動を守ることにつながります。
よくある質問(FAQ)
要治療と判定された従業員が受診を拒否した場合、会社はどこまで介入できますか?
受診を強制することは法的にできませんが、事業者には安全配慮義務(労働契約法第5条)があります。受診勧奨を文書で行い、その記録を残すことが重要です。また、産業医から直接説明してもらうことで受け入れられやすくなる場合があります。受診を拒否し続ける場合でも、勧奨の事実と本人の意思表示を記録しておくことで、企業として義務を果たしたことの証明になります。繰り返しの勧奨と受診しやすい環境の整備(通院時間の配慮など)を組み合わせて対応することが現実的です。
産業医が非常勤(嘱託)の場合、健診後の保健指導はどのように進めればよいですか?
産業医の訪問前に人事担当者が要治療者リストと追跡状況をまとめておき、訪問時にケース検討と対応方針の決定を効率的に行う準備が重要です。保健指導そのものは、協会けんぽの保健師派遣サービスや外部のEAP(従業員支援プログラム)を活用することで、非常勤産業医の不在時も継続的な支援が可能になります。産業医と外部保健師が情報を共有できる記録フォーマットを整備しておくと、連携がスムーズになります。
特定保健指導の対象者と要治療判定者は重複しますか?
原則として重複しません。特定保健指導(高齢者医療確保法に基づく制度)は、メタボリックシンドロームのリスクがある40〜74歳の被保険者等を対象としていますが、すでに治療を受けている疾患がある場合は対象外または別扱いとなります。要治療判定者は医療機関での治療が優先されるため、事業場での保健指導は治療の継続支援や生活習慣改善の補完的な役割として位置づけることになります。特定保健指導は要観察・境界域の従業員への予防的介入として活用し、役割を明確に分けて対応することが重要です。







