従業員の健康管理と働き方改革。この二つの取り組みを「別々の課題」として対処している企業は少なくありません。しかし実際には、両者は深く連動しており、一体的に推進することで単独では得られない大きな効果を生み出すことができます。
特に中小企業においては、「健康経営は体力のある大企業がやるもの」「働き方改革は残業を減らすだけ」という誤解が根強く残っています。しかし、規模が小さいからこそ、一人の欠勤や離職が業績に直結します。だからこそ、従業員の健康と働きやすい環境づくりは、経営の根幹に関わるテーマだといえるのです。
本記事では、健康経営と働き方改革の相乗効果について、法制度の解説を交えながら、中小企業が実践できる具体的な進め方をご紹介します。
健康経営と働き方改革はなぜ「セット」で考えるべきなのか
健康経営とは、従業員の健康保持・増進を経営的な視点から戦略的に実践する考え方です。経済産業省が推進しており、優れた取り組みを行う企業を「健康経営優良法人」として認定する制度も設けられています。
一方、働き方改革関連法(2018年成立、順次施行)は、時間外労働の上限規制や年次有給休暇の取得義務化など、労働環境の是正を法的に求めるものです。時間外労働の上限は原則として月45時間・年360時間とされており、特別条項を設けた場合でも年720時間、単月100時間未満という上限が設定されています。また、年10日以上の有給休暇が付与されている従業員に対しては、年5日の時季指定が義務となっており、違反した場合は30万円以下の罰金が科される可能性があります。
この二つの制度には、実は明確な因果の連鎖があります。
- 残業削減によって従業員の睡眠・休養が確保される
- 十分な休息が疾病リスクの低下につながる
- 疾病リスクが下がれば医療費・欠勤コストが削減される
- 健康な従業員が増えることで生産性が向上する
- 生産性の向上が企業の採用力・定着率の強化につながる
この流れを「コストではなく投資」として経営者が認識できるかどうかが、取り組みの成否を大きく左右します。両施策を別々のコストとして管理するのではなく、一体的な経営戦略として設計することが重要です。
中小企業が直面する現実的な壁とその突破口
「理念はわかるが、現実的に手が回らない」というのが多くの中小企業の本音ではないでしょうか。実際に現場では次のような課題がよく聞かれます。
- 専任の人事・健康管理担当者がおらず、総務が兼務しているため施策が形骸化しやすい
- 残業を削減したくても、業務量が変わらなければ現場が回らない
- 産業医や社労士といった外部専門家との連携にコストがかかる
- 管理職が部下の健康状態を把握する手法もスキルも持っていない
これらの課題に対して、まず重要なのは「完璧を目指さない」という視点です。特に中小企業では、一度に全てを整備しようとすることで逆に何も進まなくなるリスクがあります。
取り組みの優先順位としては、以下の段階的アプローチが現実的です。
- 第一段階:法令遵守の徹底 残業上限の管理、有給休暇の時季指定、ストレスチェック(50人以上の事業場が対象)を確実に実施する
- 第二段階:データの一元管理 健康診断結果・ストレスチェック・欠勤率などを整理し、自社の健康課題を把握する
- 第三段階:具体的な施策展開 保健指導の強化、メンタルヘルス支援(EAP)の導入、運動促進プログラムなどを優先度に応じて導入する
- 第四段階:認定取得と対外PR 健康経営優良法人の認定を取得し、採用活動や取引先への信頼性向上に活用する
また、50人未満の事業場は産業医の選任義務がありませんが、地域産業保健センターでは無料相談を受けることができます。外部リソースを積極的に活用することで、コストを抑えながら専門的なサポートを受けることが可能です。産業医サービスの利用も、専門家との連携強化において有効な選択肢の一つです。
管理職の役割が健康経営の成否を決める
どれほど優れた制度を整備しても、現場の管理職が機能しなければ施策は形骸化します。健康経営と働き方改革の推進において、管理職の役割は非常に重要です。
管理職によるラインケア(管理職が部下のメンタルヘルスに配慮する取り組み)の質が、施策全体の効果を大きく左右します。特に中小企業では、産業保健スタッフが常駐していないケースが多く、管理職が「最初の相談窓口」になることも少なくありません。
管理職研修に組み込むべき具体的なスキルとして、以下の三点が挙げられます。
- 休ませる判断:体調不良や精神的な疲弊が見られる部下に対して、適切なタイミングで休養を促す判断力
- 受診勧奨:健康上の懸念がある部下に対して、医療機関や産業保健スタッフへの相談を促すコミュニケーション
- 業務調整:メンバーの健康状態に応じてタスクや担当を柔軟に調整する実務スキル
「休ませると業務が回らない」という現場の抵抗感も根強いですが、短期的な業務の停滞よりも、長期的な離職や傷病による損失の方がはるかに大きいという視点を経営として示すことが重要です。
また、管理職自身の健康管理も見落とせません。管理職は労働基準法上の「管理監督者」として残業規制の適用が除外されるケースがありますが、だからといって過重労働が許容されるわけではありません。管理職の長時間労働は、部下の働き方にも悪影響を与えることが知られています。
メンタルヘルス面での早期対応を強化するためには、メンタルカウンセリング(EAP)のような従業員支援プログラムの導入も効果的です。管理職が抱え込まずに外部専門家へつなげる仕組みを整えておくことが、組織全体の安全網となります。
ストレスチェックとデータ活用で施策を「見える化」する
健康経営の取り組みが「やりっぱなし」にならないためには、データに基づいたPDCAサイクルが欠かせません。その中心的な役割を担うのが、ストレスチェック制度です。
ストレスチェック制度は労働安全衛生法第66条の10に基づき、常時50人以上の従業員がいる事業場に対して年1回の実施が義務付けられています。しかし多くの企業では「実施して終わり」となっており、結果の活用が不十分なケースが目立ちます。
ストレスチェックの結果を健康経営に活かすための具体的な活用方法としては、以下が挙げられます。
- 高ストレス者の割合を部門別・年代別に分析し、組織的な課題を特定する
- 集団分析の結果を衛生委員会で議論し、職場環境の改善計画に反映する
- 高ストレス者に対する医師による面接指導の実施率を高め、早期対応につなげる
- 前年比での変化を追跡し、施策の効果測定に活用する
また、ストレスチェックのデータだけでなく、健康診断の有所見率、欠勤・休職の発生状況、残業時間の推移、有給休暇取得率などを統合して管理することで、自社の健康課題をより立体的に把握することができます。
プレゼンティーイズム(出勤しているものの体調不良や精神的な問題から生産性が低下している状態)の損失額を試算することも、経営陣への説明において有効です。「健康経営にいくらかかるか」ではなく「不健康な状態が自社にいくらのコストを生じさせているか」という視点で経営課題を捉え直すことが、予算確保の説得材料になります。
テレワーク時代における健康経営の新たな視点
新型コロナウイルス感染症の流行を経て、テレワークを継続的に導入している企業も増えています。しかしテレワーク環境下では、健康管理に関する新たな課題も生まれています。
2021年に改定されたテレワークガイドラインでは、在宅勤務中も労働時間の把握義務は継続されることが明確にされています。「テレワークだから労働時間が見えなくても仕方ない」という認識は誤りであり、適切な記録と管理体制が求められます。
健康経営の観点からテレワーク環境に対応する際に重要なポイントは以下の通りです。
- 孤立・コミュニケーション不足への対策:定期的な1on1面談やチームミーティングの実施、気軽に相談できる窓口の整備
- 運動不足・腰痛対策:ストレッチ動画の共有、スタンディングデスク等の備品補助、健康セミナーのオンライン開催
- 勤務間インターバル制度の活用:前日の終業から翌日の始業まで一定時間を確保する「勤務間インターバル制度」は努力義務とされており、ワーク・ライフバランスの制度的な担保として有効です
テレワーク中の従業員の健康状態を把握するためには、管理職による定期的な声かけはもちろん、組織全体としての仕組みが必要です。健康保険組合のデータヘルス計画(加入者の健康データに基づいた保健事業の計画)と自社の健康経営計画を連動させることで、より効率的な施策設計が可能になります。こうしたコラボヘルス(企業と健保組合が連携して従業員の健康を支援する取り組み)の推進も、国として奨励されているアプローチです。
実践ポイント:明日から始める一体型推進の5ステップ
ここまで解説してきた内容を踏まえ、中小企業が健康経営と働き方改革を一体的に推進するための実践的なステップを整理します。
- ステップ1:自社の現状を数字で把握する 残業時間の平均・上限超過の有無、有給取得率、ストレスチェック高ストレス者率、過去1〜2年の休職・離職状況などをまとめる。これが全ての起点になります。
- ステップ2:法令遵守の漏れをチェックする 時間外労働の上限規制、有給の時季指定義務、ストレスチェックの実施状況など、現行法への対応状況を点検する。違反リスクのある箇所から優先的に対処する。
- ステップ3:衛生委員会を実質的な推進の場にする 50人以上の事業場では衛生委員会の設置が義務ですが、形式的な運営になっているケースも多くあります。健康経営の推進テーマを議題に加え、データ共有と改善策の議論ができる場として機能させましょう。
- ステップ4:管理職向けのラインケア研修を実施する 外部講師の活用や、厚生労働省が提供する「こころの耳」などの無料教材を活用して、管理職のメンタルヘルス対応スキルを高める。年に1回でも体系的な研修を実施することが重要です。
- ステップ5:健康経営優良法人の認定申請を中期目標に設定する 認定取得が目的ではなく、認定要件を満たす過程で自社の健康経営が整備されることに意義があります。中小規模法人部門の認定要件は、大企業向けに比べて現実的な内容になっており、段階的な取り組みを続けることで十分に到達可能です。
まとめ
健康経営と働き方改革は、目指す方向が同じです。どちらも「従業員が健康で、持続的に力を発揮できる組織をつくる」という目標に向かっています。
中小企業においては、リソースの制約がある中で優先順位をつけながら段階的に取り組むことが重要です。完璧な体制を一気に構築しようとするのではなく、まず法令を遵守し、データを整備し、管理職を育て、少しずつ施策を積み上げていく姿勢が長期的な成果につながります。
一人の従業員の休職や離職が経営に直結する中小企業だからこそ、従業員の健康は最も重要な経営資源です。健康経営と働き方改革を「コスト」ではなく「投資」として捉え、両者の相乗効果を最大化する経営戦略を今から始めていきましょう。
健康経営優良法人の認定は中小企業でも取得できますか?
はい、取得できます。経済産業省が運営する健康経営優良法人認定制度には、中小規模法人部門が設けられており、大企業とは別の基準で審査されます。特に優れた取り組みを行う中小企業は「ブライト500」として追加認定される仕組みもあります。認定取得の過程で健康経営の体制整備が進むため、採用力強化や取引先への信頼性向上など、対外的なPR効果も期待できます。まずは経済産業省の公式サイトや地域の支援機関に相談しながら、申請要件の確認から始めることをお勧めします。
従業員が50人未満の場合、産業医がいなくてもメンタルヘルス対策はできますか?
できます。労働安全衛生法では常時50人以上の事業場に産業医の選任が義務付けられていますが、50人未満の事業場は義務の対象外です。ただし、各都道府県に設置されている「地域産業保健センター」では、小規模事業場向けに無料で産業保健サービスを提供しています。また、外部のEAP(従業員支援プログラム)を活用することで、専任スタッフがいなくてもメンタルヘルス相談の窓口を整備することが可能です。組織規模にかかわらず、従業員が相談できる仕組みを持つことが重要です。








