「健康経営」という言葉を耳にする機会が増えてきました。しかし、「大企業がやるもの」「専任担当者がいないと無理」「コストがかかりそう」と感じ、一歩を踏み出せずにいる中小企業の経営者や人事担当者の方も多いのではないでしょうか。
実際には、健康経営は規模の大小にかかわらず取り組める施策です。経済産業省が推進する「健康経営優良法人認定制度」にも中小規模法人部門が設けられており、従業員数が少ない企業でも認定を取得している事例は数多くあります。問題は「何から始めるか」がわからないことです。
本記事では、中小企業が健康経営を無理なくスタートさせるための3つのステップを、法律・制度の根拠も交えながら解説します。担当者が兼務でも、予算が限られていても実践できる内容を中心にまとめていますので、ぜひ参考にしてください。
そもそも「健康経営」とは何か——よくある誤解を整理する
健康経営とは、従業員の健康保持・増進を「コスト」ではなく「戦略的な投資」と捉え、経営課題として取り組む考え方です。経済産業省はNPO法人健康経営研究会が提唱したこの概念を政策に取り入れ、2014年度から「健康経営優良法人認定制度」として推進しています。
ここで多くの中小企業が陥る誤解が2つあります。
- 誤解①「健康経営=福利厚生の充実」:健康イベントを開いたり、社員食堂を整備したりすることが健康経営だと思われがちです。しかし、正確には「現状把握→課題特定→施策実行→効果測定」というサイクルを回す、戦略的な取り組みを指します。
- 誤解②「大企業がやるもの」:健康経営優良法人認定制度には、資本金3億円以下または従業員300人以下の企業を対象とした中小規模法人部門が設けられています。さらにその中でも上位500法人は「ブライト500」として認定されており、小規模企業でも十分に申請・取得できる制度設計になっています。
また、健康経営は従業員のためだけの取り組みではありません。採用力の向上、離職率の低下、生産性の改善、取引先や金融機関からの評価向上など、経営上のリターンを期待できる投資でもあります。こうした視点をまず経営者が持つことが、取り組みを長続きさせる土台になります。
法律が定める「最低限の義務」を押さえておく
健康経営の話に入る前に、法律が中小企業に求めている義務を確認しておきましょう。知らずに違反している状態では、健康経営以前の問題になるからです。
労働安全衛生法の主な義務
- 健康診断の実施(全事業所):雇用する労働者に対し、年1回(深夜業など特定業務従事者は年2回)の定期健康診断の実施が義務付けられています。また、実施後は結果を5年間保存し、異常所見のある従業員には医師の意見を聴いたうえで就業上の措置を講じる義務があります。「診断を受けさせれば終わり」と思い込んでいる企業は要注意です。
- 産業医・衛生委員会(従業員50人以上):従業員が50人以上になると、産業医の選任と衛生委員会(職場の安全衛生について月1回協議する組織)の設置が義務になります。
- ストレスチェック(従業員50人以上は義務、未満は努力義務):ストレスチェックとは、従業員のストレス状態を把握するための質問票調査です。50人未満の事業所は現時点では努力義務ですが、メンタルヘルス対策として任意実施することは有効です。
50人未満の事業所が使える無料サービス
従業員50人未満の事業所は、産業医を選任する義務はありませんが、地域産業保健センター(通称:地さんぽ)という公的機関が無料で産業保健サービスを提供しています。健康相談、保健指導、職場巡視、メンタルヘルス相談など、本来なら費用のかかるサービスを活用できるため、積極的に利用することをお勧めします。各都道府県の労働局や産業保健総合支援センターのウェブサイトから窓口を確認できます。
ステップ1:現状を把握し、経営者がコミットメントを宣言する
健康経営を始めるにあたって最初にやるべきことは、「何となく始める」ではなく、自社の現状を数字で把握し、経営者が本気であることを社内外に示すことです。
現状データの収集
まず以下のデータを収集・整理してください。すでに手元にあるもので構いません。
- 健康診断の受診率・有所見率(高血圧、血糖値異常などの割合)
- 月平均残業時間・有給休暇取得率
- 過去1〜3年の休職者数・離職率
- メンタルヘルスに関するトラブルや相談の件数(概数で可)
健康診断データの集計が難しい場合は、協会けんぽ(全国健康保険協会)の「健康スコアリングレポート」を活用してください。協会けんぽに加入している事業所であれば、自社従業員の健康状態を他社・同業種と比較したレポートを無料で受け取れます。このレポートを起点にすると、「自社のどの健康課題が深刻か」が一目でわかります。
また、従業員に対して健康意識に関する簡単なアンケートを実施することも有効です。「運動習慣がない」「睡眠が取れていない」「職場のストレスが高い」など、従業員自身が感じている課題を把握することで、施策の優先順位をつけやすくなります。
推進担当者の任命と健康経営宣言
データを集めたら、次に推進担当者を1名決めます。専任である必要はなく、総務や人事の兼務担当者で問題ありません。「誰がやるか」を明確にしないまま進めると、取り組みが形骸化する最大の原因になります。
そして、経営者が健康経営宣言を作成し、社内外に公表します。宣言の内容は難しく考える必要はなく、「従業員の健康を経営の重要課題として位置づけ、職場環境の整備に取り組む」という趣旨を明示するだけで十分です。経営者が前面に立つことで、従業員の取り組みへの参加意識が高まり、施策が実行しやすくなります。健康経営宣言の文例はインターネット上にも多数公開されており、自社の実情に合わせて修正する形で作成できます。
ステップ2:優先課題を絞り込み、低コスト施策から実行する
現状が把握できたら、次は施策の実行です。ここで陥りやすい失敗が「あれもこれも取り組もうとして、何も続かない」というパターンです。まず1〜2つの課題に絞り、確実に実行・継続することを優先してください。
課題の優先度をどう決めるか
ステップ1で集めたデータをもとに、以下の観点で優先度を判断します。
- 有所見率が高い項目(血圧・血糖値・肝機能など)は生活習慣病予防の優先度が高い
- 残業時間が長い・有給取得率が低い場合は過重労働防止が急務
- 休職者やメンタルヘルスの相談が多い場合はメンタルヘルス対策を優先
低コストから始められる施策例
予算をほとんどかけずに取り組める施策を紹介します。
- 朝礼でのラジオ体操導入:費用ゼロ。運動習慣のきっかけと、職場のコミュニケーション活性化に効果的です。
- 昼休みのウォーキング推奨:目標歩数を設定した「ウォーキングイベント」を社内で実施する企業も増えています。スマートフォンの歩数計機能を活用すれば追加コストは不要です。
- 禁煙サポート:協会けんぽでは禁煙外来の治療費補助や禁煙プログラムを提供しています。まずは協会けんぽの担当窓口に問い合わせることをお勧めします。
- ストレスチェックの任意実施:50人未満の事業所でも、協会けんぽや地さんぽを通じて無料または低コストでストレスチェックを実施できます。従業員のメンタル状態の把握と職場環境改善のヒントが得られます。
- 相談窓口の設置周知:社外の相談窓口(産業保健総合支援センターのメンタルヘルス相談、EAP=従業員支援プログラムなど)を従業員に案内するだけでも、「会社がメンタルヘルスに関心を持っている」というメッセージになります。
- 管理職向けラインケア研修:部下のメンタルヘルスの変化に気づき、適切に対応するためのスキルを管理職が身につけるための研修です。地さんぽや産業保健総合支援センターが無料で提供している場合があります。
協会けんぽ・公的機関の無料サービスをフル活用する
協会けんぽは健康経営に取り組む事業所向けに、保険料率の優遇や補助金制度を設けている都道府県支部もあります。また、商工会議所や各都道府県が独自の助成金制度(健康診断費用補助、メンタルヘルス研修補助など)を設けているケースがあるため、地元の商工会議所や労働局に問い合わせると思わぬ支援が見つかることがあります。「コストがかかる」と思い込む前に、まず活用できる公的支援を調べることが、中小企業の健康経営における重要な実務スキルです。
ステップ3:効果を測定・見える化し、PDCAサイクルを回す
施策を実行しただけで終わらせないことが、健康経営を「やりっぱなし」にしないための最大のポイントです。取り組み前後のデータを比較し、効果を数値で示すことで、経営層の理解を得やすくなり、取り組みが継続する組織文化が生まれます。
測定すべき指標の例
- 健康診断の有所見率の変化(特定の検査項目の改善状況)
- 受診率・精密検査受診率の変化
- 残業時間・有給取得率の変化
- 休職者数・離職率の変化
- 従業員向けアンケートの結果(健康意識・職場満足度など)
すべてを完璧に測る必要はありません。自社で追いやすい指標を2〜3項目選び、年単位で継続的に記録することが重要です。
健康経営を「経営会議の議題」にする
健康経営が人事担当者だけの業務にとどまっている限り、組織全体への浸透には限界があります。年1回は経営会議や役員会で健康経営の進捗を報告・議論する仕組みをつくることで、健康経営が「会社全体の課題」として位置づけられます。経営者が進捗に関心を持ち、発言することで、管理職・従業員の意識も変わっていきます。
「健康経営優良法人」認定を中期目標に
取り組みが1〜2年続いてきたら、健康経営優良法人の認定申請を中期目標として設定することをお勧めします。認定要件(①経営者の自覚、②組織体制の整備、③制度・施策の実行、④評価・改善、⑤法令遵守・リスクマネジメント)は、健康経営を体系的に進めるためのロードマップにもなっています。
認定を取得すると、金融機関からの融資評価や公共入札での加点、採用活動での差別化など、経営上のメリットが期待できます。認定を「ゴール」にするのではなく、「取り組みの質を高めるための指針」として活用することが、長期的な健康経営の定着につながります。
実践のポイントをまとめて確認する
ここまで解説してきた3つのステップの要点を整理します。
- ステップ1(現状把握・宣言):協会けんぽの健康スコアリングレポートや社内データを活用して現状を数値化する。推進担当者を1名決め、経営者が健康経営宣言を公表する。
- ステップ2(課題特定・施策実行):「あれもこれも」を避け、最優先課題を1〜2つに絞る。ラジオ体操、ウォーキング推奨、禁煙サポートなど、費用をかけずに始められる施策から着手する。地さんぽや協会けんぽの無料サービスを積極的に活用する。
- ステップ3(評価・改善):2〜3の指標を選んで継続的に記録し、年1回は経営会議で進捗を共有する。健康経営優良法人認定を中期目標として設定する。
また、法律上の最低限の義務(健康診断の実施・結果への措置、50人以上での産業医選任など)を先に満たしておくことが、健康経営の土台になることも忘れないでください。
まとめ
健康経営は、大企業だけの取り組みでも、多額の予算が必要な施策でもありません。「現状を知る→課題を絞る→効果を測る」という3つのステップを着実に繰り返すことが、中小企業における健康経営の本質です。
最初から完璧を目指す必要はありません。経営者が健康経営への意思を示し、担当者を決め、公的支援を活用しながら一つひとつ積み上げていくことが、結果として離職率の低下・生産性の向上・採用力の強化という経営成果につながっていきます。
「何から始めればよいかわからない」と感じていた方は、まず協会けんぽの健康スコアリングレポートを取り寄せることから始めてみてください。自社の健康課題が見えることで、自然と次のアクションが見えてくるはずです。
よくある質問
Q1: 健康経営と通常の福利厚生の違いは何ですか?
健康経営は単に福利厚生を充実させることではなく、「現状把握→課題特定→施策実行→効果測定」というサイクルを回す戦略的な取り組みです。従業員の健康を経営課題として体系的に取り組むことで、採用力向上や生産性改善などの経営上のリターンを期待できます。
Q2: 従業員50人未満の小さな企業でも健康経営に取り組めますか?
はい、取り組めます。経済産業省の健康経営優良法人認定制度には中小規模法人部門が設けられており、小規模企業でも申請・取得できます。また50人未満の事業所は産業医の義務はありませんが、地域産業保健センターの無料サービスを活用して対応できます。
Q3: 健康経営を始めるために、まず何をすればよいですか?
まず自社の健康診断受診率、残業時間、離職率、メンタルヘルス関連の相談件数など現状データを数字で把握し、経営者がコミットメントを宣言することが重要です。協会けんぽの「健康スコアリングレポート」なども活用できます。
健康経営の推進に取り組む企業様には、INTERMINDの産業医サービスをご検討ください。健康経営優良法人認定の取得支援も行っています。









