「デジタル給与、強制したらアウト?」中小企業の人事担当者が今すぐ確認すべき実務対応7つのチェックリスト

2023年4月、労働基準法施行規則の改正により、賃金をデジタルマネーで支払う「賃金デジタル払い」が解禁されました。スマートフォンのアプリ上に給与を直接受け取れるこの仕組みは、利便性の向上や福利厚生の充実を期待する声がある一方、多くの中小企業の経営者・人事担当者から「制度の仕組みがよくわからない」「対応が必要かどうか判断できない」という声が聞こえてきます。

実際、この制度は「希望する従業員に任意で導入できる選択肢が増えた」というものであり、すべての企業が即座に対応しなければならないわけではありません。しかし、従業員から「デジタル払いを使いたい」という希望が出てきたとき、正しい知識なく対応してしまうと、労働基準法違反やトラブルに発展するリスクがあります。

本記事では、賃金デジタル払いの制度の基本から、導入に必要な実務手順、よくある誤解と失敗例まで、中小企業の実情に合わせてわかりやすく解説します。

目次

賃金デジタル払いとは何か――制度の基本を整理する

まず、賃金デジタル払いの制度的な位置づけを正確に理解することが出発点です。

労働基準法第24条は「賃金支払いの5原則」として、通貨払い・直接払い・全額払い・毎月1回以上払い・一定期日払いを定めています。これまで、通貨払いの原則の例外として認められていたのは「銀行口座への振込」と「証券会社への払込」に限られていました。2023年4月1日の省令改正(労働基準法施行規則第7条の2)により、この例外として「厚生労働大臣が指定した資金移動業者のアカウントへの払込」が新たに追加されたのが、賃金デジタル払いの本質です。

資金移動業者とは、銀行ではなく、資金決済法に基づいて送金・決済サービスを提供する事業者のことです。PayPayなどのスマートフォン決済サービスを提供している事業者が代表例ですが、すべての決済サービスが対象になるわけではありません。厚生労働省が個別に審査・指定した業者だけが、賃金デジタル払いに使用できます。2023年8月にPayPayが指定第1号となりましたが、執筆時点では指定業者の数はまだ限定的です。

重要なのは、デジタル払いはあくまでも「追加的な選択肢」であるということです。銀行振込や現金払いが廃止されるわけではなく、従業員が個別に希望した場合にのみ利用できる仕組みです。この点を誤解している経営者・担当者が多いため、まず制度の基本的な性格を正確に押さえておくことが重要です。

指定業者に課される厳しい要件――なぜ「どのペイサービスでもよい」わけではないのか

「給与をPayPayやLINE Payで払えるようになった」というイメージを持っている方も多いかもしれませんが、厚生労働省の指定を受けていない業者への払込は現行法上違法となります。では、なぜ厚労省は指定制度を設けたのでしょうか。その理由は、賃金という性格上、確実な受取と保全が不可欠だからです。

厚生労働省が資金移動業者を指定する際には、以下のような要件を課しています。

  • 口座残高の上限が100万円以下であること:資金移動業者の口座はあくまでも日常的な決済・送金を目的としたものであり、大きな金額を長期間保管することは想定されていません。
  • いつでも無料で銀行口座に出金できること:従業員が希望するタイミングで現金化できる環境が保証されている必要があります。
  • 業者が破綻した場合に口座残高の全額が保証される保全措置が整備されていること:銀行のような預金保険制度がない資金移動業者において、これは特に重要な要件です。
  • 資金決済法に基づく第二種資金移動業者であること

これらの要件は、従業員の賃金を確実に守るために設けられています。そのため、たとえ有名な決済サービスであっても、厚労省の個別指定を受けていない業者への払込は認められません。導入を検討する際は、必ず厚生労働省が公表している指定業者リストを確認するようにしてください。

導入の3つの必須条件――1つでも欠けると法律違反になる

賃金デジタル払いを実施するためには、以下の3つの条件をすべて満たす必要があります。1つでも欠けると労働基準法違反となるため、それぞれを正確に理解することが不可欠です。

条件① 厚生労働省指定の資金移動業者との契約

前述のとおり、厚労省が個別指定した資金移動業者と、会社として契約を締結する必要があります。複数の業者を対象にすることも可能ですが、現時点では指定業者の数が限られているため、まず指定業者リストを確認し、自社に適した業者を選定することが現実的です。

条件② 労使協定の締結

会社と、労働組合(労働組合がない場合は労働者代表)との間で労使協定を締結する必要があります。この協定には、以下の事項を定める必要があります。

  • 対象となる労働者の範囲(全従業員か、特定の雇用区分かなど)
  • 対象となる賃金の範囲(給与全額か、一部かなど)
  • 指定する資金移動業者名
  • 協定の有効期間

この労使協定は「会社として賃金デジタル払いを実施できる条件」を定めるものであり、これだけで全従業員に適用できるわけではありません。あくまでも「導入できる前提」にすぎない点を誤解しないようにしてください。

条件③ 従業員個人の書面による同意の取得

労使協定を締結したうえで、各従業員から個別に書面または電磁的記録(電子署名やクラウドサインなどの電子契約サービスを含む)による同意を取得する必要があります。口頭やメールのみによる同意取得は認められず、後日トラブルが発生した際に証明できないリスクがあります。

さらに重要なのは、同意は完全に任意であるということです。デジタル払いを希望しない従業員に対して、同意を強制したり、同意しないことを理由に不利益な取り扱いをしたりすることは、労働基準法違反となるほか、ハラスメントに当たる可能性もあります。また、一度同意した従業員が後から撤回することも可能であり、撤回の手続きについても事前にルールを定めておく必要があります。

就業規則・給与計算システムへの対応――見落としやすい実務上のポイント

3つの必須条件を満たすだけでなく、社内の規程やシステムの整備も必要です。ここでは、中小企業が特に見落としやすい実務上のポイントを解説します。

就業規則・給与規程の改定と届出

賃金の支払方法に関する条項は、就業規則の必要的記載事項(記載しなければならない事項)に該当します。デジタル払いを導入する場合は、賃金の支払方法にデジタル払いを追加する旨の改定が必要です。また、従業員の同意・撤回手続きについても就業規則に明記し、振込手数料の負担ルール(会社が負担するのか、従業員が負担するのか)も明確にしておくことが重要です。

常時10人以上の従業員を使用する事業場では、就業規則の変更を所轄の労働基準監督署に届け出る義務があります。この届出を怠った場合も法令違反となるため、忘れずに対応してください。

給与計算システムへの対応

デジタル払いを導入すると、振込先が「銀行口座」「デジタルウォレット(資金移動業者のアカウント)」「両方の組み合わせ」と多様化します。現在使用している給与計算ソフトが、資金移動業者のシステムと連携できるかどうかを事前に確認することが不可欠です。

対応していない場合はシステム改修やツールの追加導入が必要になることがあります。少人数の総務・人事部門では対応リソースが限られているため、まず給与計算ソフトのベンダー(提供会社)に問い合わせるところから始めると効率的です。従業員マスタの管理方法についても、デジタル払いを選択した従業員とそうでない従業員を正確に区別できる仕組みを整えておく必要があります。

セキュリティリスクと会社の責任範囲

従業員がデジタルウォレットを利用する中でアプリの不具合や不正アクセスが発生した場合、会社の責任はどこまで及ぶのかという疑問を持つ担当者も多いでしょう。基本的な考え方として、会社は賃金をアカウントに着金させる時点で支払義務を果たしたことになります。その後の従業員のアカウント管理については、原則として従業員本人の責任の範囲になります。

ただし、会社が特定の業者を実質的に強制したような場合や、業者選定時に保全措置を確認せずに契約したような場合は、会社の管理責任が問われる可能性もゼロではありません。厚労省指定業者を使用することや、従業員への説明を丁寧に行うことが、こうしたリスクを軽減することにつながります。

従業員への説明・同意取得の実践ポイント――高齢従業員やデジタル不慣れな方への配慮

制度面や書類面が整ったとしても、従業員への丁寧な説明と適切な同意取得ができなければ、制度は機能しません。特に中小企業では、デジタルリテラシーにばらつきがある従業員が混在していることも多く、以下の点に注意して進めることをお勧めします。

  • 「任意である」ことを最初に明示する:説明会や文書の冒頭で「希望する方だけが利用できる制度であり、利用しなくても一切不利益はない」ことを繰り返し伝えることが重要です。これを曖昧にすると、従業員が「会社から強制された」と感じ、後日トラブルになるリスクがあります。
  • 資金移動業者のサービス内容をわかりやすく説明する:残高の上限が100万円であること、いつでも無料で銀行口座に出金できること、万が一業者が倒産した場合も残高が保証されることなど、従業員が安心して判断できる情報を提供してください。
  • FAQを用意する:「スマートフォンを持っていなくても使えるか」「一度申し込んだら変更できないのか」など、よくある質問に対する回答を書面でまとめておくと、担当者の説明負担を軽減できます。
  • 高齢の従業員やデジタルに不慣れな従業員には個別対応を検討する:集合説明会だけでなく、個別面談の機会を設けるなど、理解度に応じた対応が誠実さを示すことにもつながります。「希望しなくてもよい制度」であることを安心して伝えられる場を作ることが大切です。

よくある誤解と失敗例――導入前に確認しておきたいこと

最後に、実務現場でよく見られる誤解と失敗例を整理します。これらを事前に把握しておくことで、不要なトラブルを防ぐことができます。

誤解①「労使協定を結べば全従業員に一括適用できる」
労使協定はあくまで「会社として実施できる条件」を整えるものです。各従業員の個別同意なしに適用することはできません。

誤解②「銀行振込をやめてデジタル払いに一本化できる」
同意しない従業員には、従来の支払方法(銀行振込や現金払い)を維持しなければなりません。並行運用が原則です。

誤解③「LINEPayや楽天Payなど有名なサービスならどれでも使える」
厚労省の個別指定を受けた業者のみが対象です。有名なサービスであっても、指定を受けていない業者への払込は現行法上認められません。

失敗例①「口頭やメールだけで同意を取得した」
同意は書面または電磁的記録での保管が必要です。紙の同意書、または電子署名・電子契約サービスを活用した記録が求められます。口頭やメールのみでは、後日「同意した覚えがない」「強制された」といった紛争が生じた際に会社側が不利になるおそれがあります。

失敗例②「アプリを会社が指定して事実上の強制になっていた」
会社が特定の業者を「推奨」する程度であれば問題はありませんが、「このアプリを使わなければ給与を受け取れない」という状況を作り出すことは許されません。選択肢の提示にとどめ、拒否した従業員への不利益な対応は厳禁です。

まとめ――中小企業が今すぐ取り組むべきこと

賃金デジタル払いは、すべての企業が今すぐ導入しなければならない制度ではありません。しかし、従業員からの希望が出た際に適切に対応できるよう、制度の基本的な仕組みと必要な手順を理解しておくことは、経営者・人事担当者の重要な責務といえます。

本記事で解説した内容を整理すると、対応の優先順位は次のようになります。

  • まず、厚生労働省の指定業者リストを確認し、現時点での選択肢を把握する
  • 次に、従業員から導入希望の声があれば、労使協定の締結・就業規則の改定・個別同意の取得という3つの手順を着実に進める
  • 給与計算システムの対応可否を事前にベンダーへ確認する
  • 従業員への説明は「任意」であることを明確にし、理解度に合わせた丁寧な対応を心がける

制度は今後も指定業者の拡大や運用の変化が想定されます。厚生労働省の公式情報を定期的に確認しながら、自社の状況に合った対応を継続的に見直していくことが、安定した賃金管理と従業員との信頼関係の維持につながるでしょう。不明点がある場合は、所轄の労働基準監督署や社会保険労務士に相談することをお勧めします。

よくある質問

Q1: すべての企業が賃金デジタル払いに対応する必要がありますか?

いいえ、賃金デジタル払いは従業員が希望した場合にのみ利用できる追加的な選択肢です。銀行振込や現金払いが廃止されるわけではないため、すべての企業が即座に対応する義務はありません。ただし従業員からの希望が出た場合は、正しい知識を持って対応することが重要です。

Q2: PayPayやLINE Payなど、有名な決済サービスであればどれでも給与支払いに使用できますか?

いいえ、厚生労働省の個別指定を受けていない決済サービスへの給与払込は法律上違反となります。有名なサービスであっても、厚労省が指定した業者のみが対象であり、必ず厚生労働省の公表している指定業者リストで確認する必要があります。

Q3: 従業員がデジタル払いを希望した場合、会社の判断で自由に導入できますか?

いいえ、デジタル払い導入には①厚生労働省指定の資金移動業者との契約、②労使協定の締結など複数の必須条件があります。これらの条件を1つでも欠くと労働基準法違反となるため、必ずすべての条件を満たす必要があります。

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