「ウチは社員が少ないから、ストレスチェックは関係ない」——そう思っている経営者や人事担当者は、今も少なくありません。確かに現行法では、従業員50人未満の事業場は義務の対象外です。しかし2024年から2025年にかけて、この「50人の壁」が崩れようとしています。厚生労働省の審議会では、小規模事業場への段階的な義務化拡大が提言されており、制度を「他人事」と捉えていられる時間は、もう長くないかもしれません。
本記事では、ストレスチェック制度の基本から最新動向、中小企業が直面しやすい課題と対処法まで、実務に役立つ情報を体系的に解説します。これから初めて導入を検討する方にも、すでに実施しているが運用に悩んでいる方にも、参考にしていただける内容です。
ストレスチェック制度とは——制度の基本を正確に理解する
ストレスチェック制度は、労働安全衛生法第66条の10に基づき、2015年12月に施行されました。労働者のメンタルヘルス不調を未然に防ぐことを目的とした、一次予防(問題が起きる前に防ぐ)のための仕組みです。
制度の基本的な流れは以下のとおりです。
- 労働者がストレスに関する質問票(57項目の標準版など)に回答する
- 医師・保健師などの「実施者」が結果を評価し、高ストレス者を選定する
- 本人に結果を通知する(事業者への提供は本人の同意がない限り禁止)
- 高ストレス者が希望した場合に限り、医師による面接指導を実施する
- 面接指導の結果を踏まえ、就業上の配慮などの措置を講じる
- 集団分析の結果を活用し、職場環境の改善につなげる
現在、年1回以上の実施が義務付けられているのは、常時50人以上の労働者を雇用する事業場です。50人未満の事業場は努力義務(義務ではないが実施が推奨される)にとどまっています。
ただし、「努力義務だから不要」という解釈は危険です。メンタルヘルス不調は規模に関わらず発生し、むしろ人間関係が密になりやすい小規模職場ほど、問題が深刻化しやすい側面もあります。また後述するとおり、近い将来に義務化が拡大する可能性が高まっています。
2025年に向けた制度改正の動向——50人未満への義務化が現実味を帯びてきた
厚生労働省の労働政策審議会では、2024年から2025年にかけて、従業員50人未満の事業場へのストレスチェック義務化拡大が検討・議論されています。具体的な施行時期や詳細は本稿執筆時点でまだ確定していませんが、段階的な義務化を求める提言がなされており、今後の法改正に備えた先行準備が経営リスクの管理として有効です。
あわせて、実施環境のデジタル化も急速に進んでいます。以前は紙ベースの実施が主流でしたが、現在はクラウド型・Web実施が標準化しつつあり、実施コストは以前と比べて大幅に低下しています。産業医との契約がない中小企業でも、外部の実施機関(健診機関やEAP機関など)に委託することで、比較的低コストで制度を導入できる環境が整ってきています。
さらに、単に実施するだけでなく、集団分析の結果を職場環境改善のPDCAサイクルに組み込むことが、これからの方向性として一層重視されています。「実施して終わり」ではなく、データを活かして職場をよりよくする、という視点が求められているのです。
今のうちに制度の仕組みを理解し、体制を整えておくことで、義務化が拡大された際にも慌てることなく対応できます。また、先行して取り組むことは従業員への安心感や採用ブランディングにもつながる可能性があります。
中小企業が陥りやすい3つの誤解と正しい理解
実際に現場を見ると、中小企業では制度に関して共通した誤解が見られます。ここでは特に重要な3点を取り上げます。
誤解① 「高ストレス者の結果を会社が確認できる」
ストレスチェックの個人結果は、本人の同意なく事業者に提供することが法律で禁じられています(労働安全衛生法第66条の10第2項)。これは強行規定であり、就業規則や雇用契約で別途定めることもできません。
事業者が高ストレス者の情報を得られるのは、本人が面接指導の申し出をした場合に限られます。この点を従業員にきちんと説明することが、受検率向上につながります。「会社に筒抜けになるのでは」という不安が受検を妨げている場合、情報管理の仕組みを丁寧に説明するだけで受検率が改善するケースは少なくありません。
誤解② 「産業医がいないと実施できない」
ストレスチェックの「実施者」になれるのは、医師や保健師のほか、所定の研修を修了した看護師・精神保健福祉士も含まれます。つまり、産業医の選任義務がない50人未満の事業場でも、外部の実施機関に委託することで実施は可能です。
また、人事担当者は「実施事務従事者」として事務的なサポートを担うことができますが、個人の結果データを閲覧することには制限があります。役割分担を明確にすることが、情報管理上も重要です。
誤解③ 「実施すれば義務を果たした」
ストレスチェックを実施するだけでは不十分です。法令上、適切な「実施」には以下がすべて含まれます。
- 質問票の実施と結果の本人への通知
- 高ストレス者への面接指導の勧奨(強制ではなく機会の提供)
- 集団分析の実施と職場環境改善への活用
- 結果データの5年間保存
- 衛生委員会(または安全衛生委員会)への審議・報告
これらをセットで運用してはじめて、制度の目的である「メンタルヘルス不調の予防」が機能します。
高ストレス者への対応——面接指導勧奨のポイント
ストレスチェックの結果、高ストレスと判定された労働者への対応は、多くの人事担当者が戸惑う場面の一つです。ここでは実務上のポイントを整理します。
まず大前提として、面接指導の申し出は本人の意思に基づくものであり、企業側が強制することはできません。企業に求められているのは、申し出やすい環境を整え、機会を提供することです。
具体的には、以下のような対応が効果的とされています。
- 結果通知後、1ヶ月以内を目安に面接指導の申し出窓口と方法を案内する
- 申し出の方法を複数用意する(直接申し出のほか、メールや書面なども可)
- 「申し出ても不利益な扱いは受けない」ことを明確に伝える
- 面接指導の内容が人事評価に影響しないことを制度として明文化しておく
なお、面接指導を受けたことを理由とした降格・解雇・配置転換などの不利益な取扱いは、法律で明確に禁止されています(労働安全衛生法第66条の10第9項)。もしこのような事態が生じた場合、企業側のリスクは非常に大きくなります。対応の経緯を記録に残しておくことが、後々のトラブル防止にも有効です。
高ストレス者への対応に不安がある場合や、面接指導の実施体制が整っていない場合は、産業医サービスの活用を検討することが一つの解決策です。外部の専門家と連携することで、医師による面接指導を確実に実施できる体制を整えることができます。
集団分析を職場改善につなげるための実践アプローチ
ストレスチェックの集団分析とは、部署や職場単位でストレスの傾向を把握し、職場環境改善に活かすための分析です。個人の結果ではなく集団の傾向を見るため、個人情報保護の観点からも重要な仕組みです。
ただし、一点注意が必要です。10人未満の集団では、個人が特定されるリスクがあるため、原則として集団分析の対象外とするか、他の部署と統合して分析する必要があります。これは法令上の明確なルールではありませんが、実務上の標準的な対応です。
集団分析の結果を職場改善に活かすための流れは、以下のように考えると整理しやすくなります。
- 現状把握:どの部署・どの側面(仕事の量、上司のサポートなど)にストレスが集中しているかを確認する
- 要因分析:管理職へのヒアリングや現場観察を通じて、背景にある要因を探る
- 改善策の立案:業務量の見直し、コミュニケーション施策、管理職向け研修など具体的なアクションを決める
- 実施と評価:翌年のストレスチェック結果と比較し、改善の効果を検証する
衛生委員会(安全衛生委員会)では、集団分析の結果と改善策についての審議・報告が求められます。議事録を作成・保存しておくことも、適切な運用の記録として重要です。
「集団分析の結果はあるが、どう活かせばよいかわからない」という場合には、メンタルカウンセリング(EAP)のような外部の専門サービスと連携することで、職場改善のコンサルティングを受けながら制度を効果的に運用できる体制を整えることも選択肢の一つです。
今すぐ取り組める実践ポイント
最後に、中小企業の経営者・人事担当者がすぐに着手できる実践的なポイントをまとめます。
STEP 1:自社の義務・努力義務の確認と体制整備
まず、自社の従業員数(常時雇用する労働者数)を確認し、義務対象か努力義務かを把握しましょう。50人未満でも、義務化拡大の動向を踏まえ、先行して体制を整えることをお勧めします。産業医が未選任の場合は、外部の実施機関への委託を検討してください。
STEP 2:従業員への丁寧な事前説明
受検率が低い最大の原因は「情報不足と不信感」です。実施前に、制度の目的・個人情報の管理方法・会社側が結果を見られない仕組みをわかりやすく説明する機会を設けましょう。FAQを文書化して配布することも有効です。
STEP 3:情報管理ルールの明文化
外部委託先との間でデータ管理に関する契約(秘密保持契約)を必ず締結してください。また、社内での情報アクセス権限(誰が何を閲覧できるか)を明確にし、文書化しておくことがトラブル防止につながります。結果データは5年間の保存が必要です。
STEP 4:高ストレス者対応フローの事前整備
「高ストレス者が出たらどうするか」を、実施前に決めておくことが重要です。面接指導の申し出窓口、担当医師(または委託先)、対応の記録方法をあらかじめ整備しておくことで、いざというときに慌てずに対応できます。
STEP 5:集団分析結果を翌年度の計画に反映する
実施して終わりにせず、集団分析の結果を衛生委員会で審議し、職場改善策を翌年度の事業計画や研修計画に組み込む仕組みをつくりましょう。小さな改善の積み重ねが、職場全体のストレス耐性を高めていきます。
まとめ
ストレスチェック制度は、単なる法令対応の手続きではありません。従業員のメンタルヘルスを守り、職場のパフォーマンスを維持するための、重要な経営インフラです。
2025年に向けて義務化の拡大が議論されている今、50人未満の事業場においても「いずれ対応が必要になる制度」として前向きに捉え、先行して体制を整えることが、結果的に経営リスクの低減につながります。
「どこから手をつければよいかわからない」という方は、外部の専門機関との連携から始めることをお勧めします。実施体制の構築から高ストレス者対応、集団分析の活用まで、専門家のサポートを活用することで、制度を実効性あるものにすることができます。
よくある質問(FAQ)
従業員が50人未満ですが、ストレスチェックを実施しないと罰則がありますか?
現行制度では、従業員50人未満の事業場は努力義務のため、未実施による罰則はありません。ただし、厚生労働省の審議会では50人未満への義務化拡大が検討されており、今後の法改正によって状況が変わる可能性があります。義務化される前から体制を整えておくことが、リスク管理の観点から有効です。
産業医と契約していない場合、ストレスチェックはどうすればよいですか?
産業医がいなくてもストレスチェックの実施は可能です。医師・保健師・所定の研修を修了した看護師や精神保健福祉士が「実施者」となれるため、外部の健診機関やEAP機関(従業員支援プログラムを提供する機関)に実施を委託する方法が現実的です。コストを抑えたい場合は、クラウド型の実施サービスを提供する機関を比較検討してみてください。
ストレスチェックの結果は何年間保存する必要がありますか?
ストレスチェックの結果データは、5年間の保存が必要です(労働安全衛生規則第52条の13)。紙・電子データを問わず、適切な方法で管理し、外部委託先に保管を依頼する場合もデータ管理に関する契約(秘密保持契約)を締結しておくことが重要です。
高ストレス者が面接指導を拒否した場合、どうすればよいですか?
面接指導の申し出はあくまで本人の意思に基づくものであり、企業側が強制することは法律上できません。企業としては、申し出の機会を適切に提供し、不利益な扱いを受けないことを明示したうえで、本人の判断を尊重することが求められます。なお、拒否があった場合もその事実と対応経緯を記録に残しておくことがトラブル防止に役立ちます。







