「今年も健康診断を無事に終えた」──そう安堵している経営者・人事担当者の方に、まずお伝えしたいことがあります。健康診断の実施は、企業としての健康管理義務のスタート地点に過ぎません。
厚生労働省の調査によれば、定期健康診断で何らかの異常所見があった労働者の割合は年々増加傾向にあり、2022年時点では受診者の半数以上に所見が認められています。にもかかわらず、「結果を本人に渡して終わり」「要再検査と言われた社員への対応が後手に回っている」という企業は、中小企業を中心に少なくありません。
健康診断後の保健指導を適切に進めることは、社員の健康を守るだけでなく、企業の安全配慮義務を果たし、労災・訴訟リスクを軽減するうえでも欠かせないプロセスです。本記事では、産業医が選任されていない50人未満の企業を含め、中小企業が実践できる保健指導の進め方を、法的根拠とあわせて具体的に解説します。
健康診断後に企業が負う法的義務とは
まず前提として、健康診断後に企業が果たすべき法的義務を整理しておきましょう。
労働安全衛生法第66条の5では、健康診断の結果に異常の所見があった労働者について、「事業者は医師の意見を聴かなければならない」と定めています。これは努力義務ではなく法的義務です。産業医や嘱託産業医(非常勤で契約する産業医)に対して、就業上の措置についての意見を求めることが求められます。
また、同法第66条の7では、健康の保持に努める必要がある労働者に対し、「医師または保健師による保健指導を行うよう努めなければならない」と規定されています。こちらは努力義務とされていますが、後述するように、対応しないことで安全配慮義務違反や労災のリスクが生じる可能性があるため、実質的に対応が求められる場面は多くあります。
よくある誤解として、「保健指導は努力義務だから実施しなくても問題ない」という認識があります。しかし、特に脳・心臓疾患のリスクが高い社員への保健指導を怠り、その後に社員が過労や疾病で倒れた場合、企業の安全配慮義務違反が問われる可能性があります。努力義務とはいえ、リスク管理の観点からも積極的な取り組みが求められます。
さらに、健康診断の結果は要配慮個人情報(個人情報保護法上、取り扱いに特に注意が必要な情報)として厳格に管理しなければなりません。社員本人の同意なしに上司や家族へ開示することは原則として認められておらず、閲覧できる担当者の範囲を社内規程で明確にしておく必要があります。
保健指導の対象者をどう選ぶか──優先順位のつけ方
健康診断の結果が出たら、まず全社員の結果をリスク区分ごとに整理することから始めます。すべての社員に同じ濃度で対応しようとすると、工数が膨大になり現実的ではありません。優先順位を明確にして、限られたリソースを有効に使うことが重要です。
最優先:要治療・要精密検査の社員
健診結果に「要治療」「要精密検査」と記載されている社員は、医療機関への受診が最も急がれます。放置することで疾病が悪化するリスクがあるため、受診勧奨(じゅしんかんしょう)──つまり「医療機関を受診するよう勧めること」──を速やかに行う必要があります。
次点:複数の検査値に異常がある社員・生活習慣病リスクが高い社員
血圧・血糖・脂質など複数の項目で基準値を超えている場合や、BMI(体格指数)が高く生活習慣病リスクが重なっている社員は、将来的に重篤な疾患につながる可能性があります。個別面談を通じた生活習慣改善の指導が効果的です。
継続観察:前年より数値が悪化している社員
現時点では異常所見がなくても、前回の健診と比べて数値が悪化している社員は注意が必要です。早期に生活習慣の見直しを促すことで、将来の疾病リスクを下げることができます。
企業規模別の実施体制──産業医がいない場合の対応策
保健指導の体制づくりで、中小企業が最も悩む点の一つが「誰が実施するか」という問題です。
常時50人以上の労働者を使用する事業場では、産業医の選任が法律で義務付けられています。産業医は健診結果の評価や就業上の措置についての意見提供を担い、保健指導の中心的な役割を果たします。
一方、50人未満の小規模企業では産業医の選任義務がなく、「相談できる専門家がいない」という声が多く聞かれます。こうした企業が活用できる制度として、以下が挙げられます。
- 地域産業保健センター(地さんぽ):都道府県の産業保健総合支援センターが設置する窓口で、50人未満の事業場であれば無料で産業医・保健師に相談・指導を依頼することができます。健診結果に基づく医師意見聴取や保健指導にも対応しています。
- 健保組合の保健師:加入している健康保険組合によっては、保健師による保健指導サービスを提供しているケースがあります。特定保健指導(40歳以上を対象とした健保の制度)と合わせて活用することで、対応漏れを防げます。
- 嘱託産業医の契約:月に数時間の訪問契約で産業医を確保することも可能です。規模が小さい企業でも、年間を通じた健康管理の専門窓口として機能します。
なお、人事担当者は受診勧奨・フォロー管理・記録の整理といった事務的な役割を担うことができますが、就業上の措置(残業制限・配置転換など)の判断は必ず医師の意見に基づいて行う必要があります。人事担当者の独断による措置は、不当な扱いとして問題となる場合があるため注意が必要です。
専門家との連携体制を整えるにあたり、産業医サービスの活用も選択肢の一つとして検討してみてください。
保健指導の標準的な実施フローと個別面談のポイント
健康診断から保健指導・フォローアップまでの流れを、標準的なフローとして示します。
- 健康診断の実施
- 結果の集計・リスク区分の整理(健診実施後1〜2週間以内が目安)
- 医師(産業医等)への意見聴取(法的義務)
- 対象者への保健指導(個別面談または集団指導)
- 要治療者への受診勧奨とフォロー確認
- 必要に応じた就業上の措置の検討
- 3〜6ヶ月後のフォローアップ確認
個別面談を実施する際の進め方
保健指導の個別面談では、社員に「指示された」「管理された」という印象を与えないことが重要です。自主的な取り組みを引き出すために、以下のポイントを意識してください。
- 数値の意味をわかりやすく説明する:「HbA1cが6.5」と伝えるだけでなく、「血糖のコントロール状態を示す数値で、この値は糖尿病の診断基準に近い状態です」など、日常語で説明します。
- 小さな行動目標を本人と一緒に設定する:「毎日30分ウォーキング」ではなく「エレベーターを使わず階段を使う」など、今の生活に組み込みやすい目標を本人が選べるよう促します。
- 記録を残す:面談の日時・内容・設定した目標・次回確認予定などを記録し、翌年の健診結果と比較できるようにします。
- プライバシーへの配慮を徹底する:面談は個室で行い、健康情報が第三者に伝わらない環境を整えます。
受診勧奨をどう進めるか
要治療・要精密検査の社員への受診勧奨は、「受診してください」と伝えるだけでは不十分です。受診したかどうかを確認するフォローアップまでが受診勧奨の一連の流れです。
確認の方法としては、本人からの申告や受診結果の提出依頼(本人の同意を得たうえで)が現実的です。受診を強制することはできませんが、勧奨を行った事実と日時を記録に残すことで、企業として義務を履行したことを示せます。受診しない場合でも記録を残し続けることが、万一のリスク管理につながります。
健康情報の管理と記録保存──社内ルール整備の重要性
保健指導を適切に実施するためには、健康情報の管理ルールを社内で明文化しておくことが欠かせません。
一般健康診断の結果および保健指導の記録は、労働安全衛生規則により5年間の保存が義務付けられています。保存方法は紙・電子データのいずれでも可能ですが、電子管理の場合はアクセス権限を限定し、外部への漏洩を防ぐ体制が必要です。紙の場合は鍵のかかるキャビネットでの管理が基本です。
また、厚生労働省が策定した「労働者の心身の状態に関する情報の適正な取扱いのために事業者が講ずべき措置に関する指針」では、健康情報を取り扱う担当者の範囲・目的・管理方法を社内規程として定めることを求めています。就業規則や個人情報管理規程と合わせて整備しておくと、社員からの信頼にもつながります。
なお、40歳以上の社員を対象とした健康保険組合による特定保健指導(高齢者医療確保法に基づく制度)と、事業者が実施する保健指導は別の制度です。両者を重複させず、互いに補完しながら連携させることで、社員への働きかけの密度を高めることができます。
実践ポイント──明日から始められる5つのアクション
最後に、中小企業がすぐに取り組める具体的なアクションを整理します。
- ① 健診結果をリスク区分別に整理する:要治療・要精密検査・要観察・異常なしに分類し、対応の優先順位を明確にします。
- ② 産業医または地域産業保健センターへの相談窓口を確保する:50人未満の企業は地域産業保健センターの無料サービスを早期に把握・登録しておくことを推奨します。
- ③ 受診勧奨の文書テンプレートを作成する:要治療者に配布する受診勧奨文書と、フォロー確認の台帳を事前に用意しておくと対応がスムーズになります。
- ④ 保健指導の記録様式と保存ルールを決める:面談記録の書式・保存場所・アクセス権限を社内で統一します。
- ⑤ 翌年の健診と比較できるよう個人別データを蓄積する:単年度の数値管理ではなく、経年での変化を追うことで、保健指導の効果測定と優先対応の精度が上がります。
生活習慣改善の指導をしても社員がなかなか動いてくれないと感じる場面も多いかと思います。そのような場合には、外部の専門家によるカウンセリングやコーチングを活用することも一つの方法です。メンタルカウンセリング(EAP)のような外部支援サービスを導入することで、社員が自発的に健康に向き合うきっかけを作ることができます。
まとめ
健康診断後の保健指導は、法的義務の履行であるとともに、社員の健康と企業のリスク管理を両立させるための重要なプロセスです。「健診を受けさせれば終わり」という認識から脱却し、結果の活用・専門家との連携・記録管理・フォローアップという一連の流れを社内に定着させることが求められます。
規模が小さい企業でも、地域産業保健センターや健保組合のサービスを活用すれば、専門家の知見を得ながら保健指導を進めることは十分に可能です。まずは今年度の健診結果を手元に置き、対象者の優先順位づけから着手してみてください。
よくある質問(FAQ)
産業医がいない50人未満の企業でも、健診後の医師意見聴取は必要ですか?
はい、労働安全衛生法第66条の5により、異常所見があった労働者への医師意見聴取は企業規模を問わず義務です。産業医が選任されていない場合は、地域産業保健センター(無料)を通じて産業医に意見を求めることができます。嘱託産業医との契約も有効な手段の一つです。
要再検査の社員が受診を拒否した場合、企業はどう対応すればよいですか?
受診を強制することは法律上できません。ただし、受診を勧奨した事実・日時・方法を記録に残すことが重要です。記録があることで、企業として義務を果たしたことを示せます。繰り返し丁寧に勧奨しつつ、産業医や保健師から直接声をかけてもらうことで、受診につながるケースも少なくありません。
健康診断の結果を上司に共有することはできますか?
健康診断の結果は要配慮個人情報にあたり、社員本人の同意なしに上司や他の第三者へ開示することは原則として認められていません。就業上の配慮が必要な場合でも、「残業制限が必要」などの措置内容のみを伝え、具体的な検査値や病名の共有は行わないことが原則です。社内規程で情報の取り扱い範囲を明確に定めておくことを推奨します。
健康診断の事後措置や保健指導の体制整備には、INTERMINDの産業医サービスが役立ちます。専属の産業保健スタッフが継続的にサポートします。









