「採用面接では口頭でしっかり説明したから大丈夫」「以前から使っているテンプレートを使い回しているし問題ないはず」——こうした認識で雇用契約書を運用している中小企業は、実は少なくありません。しかし、その油断が後になって深刻なトラブルの火種になることがあります。
入社後に「聞いていた条件と違う」と従業員から異議を申し立てられたとき、あるいは退職をめぐって「そんな説明は受けていない」と言われたとき、会社が最後に頼れる証拠は書面だけです。労働条件を書面で明示することは、労働基準法第15条で定められた使用者の義務であり、違反した場合は30万円以下の罰金の対象にもなります。
さらに2024年4月には有期雇用労働者に対する明示義務が強化され、新たな対応が求められるようになりました。本記事では、中小企業の経営者・人事担当者が今すぐ確認すべき雇用契約書の必須記載事項を、法律の根拠とともにわかりやすく解説します。書類の整備に不安を感じている方は、ぜひ最後まで読み進めてください。
労働条件通知書と雇用契約書の違い——まずここを整理する
雇用契約書の話をする前に、「労働条件通知書と雇用契約書はどう違うのか」という疑問を整理しておく必要があります。この2つを混同したまま書類を作成している企業が非常に多いためです。
労働条件通知書とは、使用者(会社)が労働者に対して労働条件を一方的に通知するための書類です。労働基準法第15条および同施行規則第5条に基づき、会社には労働契約の締結時に一定の労働条件を書面で明示する義務があります。これは会社側の義務として法律が定めたものであり、労働者の署名・捺印は法律上必須ではありません。
雇用契約書は、会社と労働者が対等な立場で合意した内容を記録する双務的な契約書類です。双方が署名・捺印することで、合意事項の証明力が高まります。
実務上は、この2つを一体化した「労働条件通知書兼雇用契約書」という形式が広く使われており、これが最も効率的かつリスク管理上も合理的な方法とされています。1枚の書類で法律上の明示義務を果たしながら、双方の合意の証拠も確保できるからです。
なお、労働者が希望する場合は、電子メールやPDFなどの電子的方法での交付も認められています(2024年時点)。ただし、あくまで労働者側から希望があった場合に限られる点に注意が必要です。
絶対的明示事項——必ず書面に記載しなければならない5項目
労働基準法施行規則第5条が定める「絶対的明示事項」とは、定めがあるかどうかにかかわらず、必ず書面で明示しなければならない項目です。以下の5つが該当します。
- 労働契約の期間:期間の定めがない(正社員)のか、期間の定めがある(有期契約)のかを明記します。有期の場合は具体的な開始日と終了日を記載してください。
- 就業場所・従事すべき業務:勤務地と担当業務の内容を具体的に記載します。テレワーク勤務がある場合は、自宅やサテライトオフィスも就業場所として明記する必要があります。
- 始業・終業時刻、休憩時間、休日、休暇、交替制:所定労働時間の詳細を記載します。フレックスタイム制や変形労働時間制を採用している場合はその旨も明示してください。
- 賃金の決定・計算・支払方法、賃金の締切・支払日:基本給と各種手当を項目ごとに分けて記載します。「給与一式」などの一括記載は認められません。固定残業代を設ける場合は、何時間分の残業代に相当するかを必ず明記してください。
- 退職に関する事項(解雇事由含む):退職の手続き方法、退職願の提出期限、解雇となる場合の事由などを記載します。
これらのうち1つでも欠けると、労働基準法違反となる可能性があります。テンプレートを流用している場合は、自社の実態と照らし合わせて記載漏れや内容のズレがないか確認することが重要です。
また、賃金については都道府県別の最低賃金を下回っていないかを必ず確認してください。最低賃金は毎年改定されるため、古い契約書をそのまま更新しないで使い続けていると、気づかないうちに違反状態になっているケースがあります。
相対的明示事項——定めがある場合に書面化が必要な項目
「相対的明示事項」とは、会社が制度として設けている場合にのみ書面で明示が必要な項目を指します。「うちには関係ない」と思って見過ごしていると、後でトラブルになりやすい部分でもあります。
- 退職手当の有無・計算方法・支払時期
- 賞与(ボーナス)の有無・計算方法
- 最低賃金額に関する事項
- 食費・作業用品など労働者が負担する費用
- 安全衛生に関する事項
- 職業訓練に関する事項
- 業務上の災害補償・業務外の疾病扶助
- 表彰・制裁に関する事項
- 休職に関する事項
特に休職制度は、就業規則には定めがあっても雇用契約書に明記されていないケースが多く見られます。休職に入る条件や復職の手続き、休職期間満了後の取り扱いなどは、トラブルが起きやすい場面でもあるため、就業規則の該当箇所を参照させる形でも構いませんので、書面上に存在を示しておくことをおすすめします。
また、就業規則を参照させる場合は、労働者がいつでも閲覧できる状態にしておくことが前提条件です。社内イントラネットへの掲載や、冊子の配布・閲覧場所の確保など、実際にアクセスできる環境を整えてください。
2024年4月改正——有期雇用労働者への追加明示義務
2024年4月1日から施行された法改正により、有期雇用労働者(契約社員・アルバイト・パートタイマーなど)を雇用する際の明示義務が強化されました。中小企業でも非正規雇用の方を採用している場合は必ず対応が必要です。
新たに追加された明示事項は以下の4点です。
- 更新上限の有無と内容:「通算契約期間の上限は3年」「更新回数の上限は2回」など、更新に上限を設けている場合はその内容を明示します。上限を設けていない場合はその旨を明示します。
- 無期転換申込権が発生する契約更新時の無期転換ルール:無期転換申込権(有期雇用が通算5年を超えた場合に、労働者が無期雇用への転換を申し込める権利)が発生するタイミングで、その旨を明示する義務が生じます。
- 無期転換後の労働条件:無期転換を行った場合にどのような労働条件になるかを明示します。正社員と同じ条件なのか、それとも別途定める条件なのかを具体的に示してください。
- 雇止め法理の適用可否:通算契約期間が1年を超える場合、または3回以上契約を更新している場合に、合理的な理由のない雇止め(契約更新拒否)は無効とされる「雇止め法理」が適用されます。この適用対象かどうかを明示する必要があります。
これらの事項は、有期雇用労働者を最初に採用するときだけでなく、契約を更新するたびに改めて明示する必要があります。特に無期転換申込権については、権利が発生する更新のタイミングで確実に書面に盛り込む運用体制を整えておくことが求められます。
古いテンプレートをそのまま使用しているケースでは、これらの記載が完全に抜け落ちている可能性があります。有期雇用の契約書は、この機会に必ず見直してください。
雇用形態別チェックポイント——パート・テレワーク・副業兼業に対応する
パートタイム・有期雇用労働者への追加事項
パートタイム・有期雇用労働法第6条により、短時間労働者(パートタイマー)および有期雇用労働者を採用する場合は、正社員の契約書に加えて以下の4項目を文書で明示する義務があります。
- 昇給の有無
- 退職手当の有無
- 賞与の有無
- 雇用管理の改善等に関する相談窓口(担当者の氏名・役職・部署名)
「昇給なし・退職金なし・賞与なし」であっても、その旨を明記することが必要です。曖昧にしておくと、後から「もらえると思っていた」というトラブルに発展しやすくなります。
テレワーク・在宅勤務者への対応
テレワーク勤務を認める場合、以下の点を契約書に盛り込むことを検討してください。
- 就業場所の特定(自宅・サテライトオフィス等、複数可)
- 通信費・光熱費の負担区分(会社負担か、自己負担か)
- 情報セキュリティに関する遵守事項
- テレワーク時の労働時間管理の方法
テレワーク勤務は「就業場所」の明示義務と直接関係するため、「会社指定の場所または在宅勤務」のように記載するだけでも一定の効果があります。
副業・兼業を認める場合の条項
副業・兼業を認める場合は、無制限に認めるわけではなく一定のルールのもとで認める旨を明記することが重要です。
- 副業・兼業を行う場合は事前に会社へ申告し、許可を得ること
- 競業他社への就業は禁止または制限すること
- 会社の秘密情報を副業先で使用しないこと
副業・兼業に関するルールは就業規則に定めるのが基本ですが、採用時に個別の合意として確認しておくことで、後のトラブル防止につながります。
実践ポイント——今日から使える運用チェックリスト
以下のポイントを参考に、自社の雇用契約書の現状を点検してみてください。
- 書類の形式:労働条件通知書と雇用契約書を一体化した兼用書式を使用しているか
- 交付のタイミング:入社日当日までに、または入社前に書面を交付しているか(内定通知書のみで終わらせていないか)
- 署名・捺印:会社側・労働者側の双方が署名または記名捺印し、各自が1部ずつ保管しているか
- 保管期間:退職後3年間(努力義務として5年間)保管できる体制になっているか
- 賃金の記載:基本給と各手当を項目ごとに分けて記載しているか。固定残業代がある場合はその時間数と金額を明示しているか
- 最低賃金の確認:直近の都道府県別最低賃金と照らし合わせて下回っていないか
- 有期雇用の場合:2024年改正の4項目(更新上限・無期転換ルール・転換後の条件・雇止め法理)が記載されているか
- パートタイマーの場合:昇給・退職手当・賞与の有無と相談窓口が明示されているか
- 就業規則との整合性:雇用契約書の内容が就業規則を下回っていないか確認しているか
- 試用期間の記載:試用期間の有無・期間・その間の労働条件を明記しているか
このチェックリストで一つでも「確認できていない」項目があれば、早急に見直すことをおすすめします。特に複数の雇用形態が混在している企業では、それぞれの形態ごとにテンプレートを整備し、最新の法律に対応したものを使用するようにしてください。
まとめ
雇用契約書は、会社と従業員の信頼関係を支える基盤となる書類です。「以前からこれで問題なかった」という経験則は、法改正や働き方の変化によってあっという間に通用しなくなります。
今回解説した内容を整理すると、まず押さえるべきは労働基準法が定める5つの絶対的明示事項の書面化です。そのうえで、雇用形態や勤務形態に応じた追加記載事項を確認し、2024年4月改正による有期雇用労働者への新たな明示義務に対応することが現時点での最優先課題といえます。
雇用契約書をめぐるトラブルの多くは、書面の不備や古い様式の使い回しに起因しています。一度きちんとした書式を整備し、採用のたびに内容を確認する習慣を持つだけで、将来の紛争リスクを大きく下げることができます。
社会保険労務士などの専門家に相談しながら、自社の実態に合った雇用契約書の整備を進めることを強くおすすめします。書類の整備は手間に感じるかもしれませんが、それは会社と従業員の双方を守るための大切な投資です。
よくある質問
Q1: 口頭で労働条件を説明すれば、雇用契約書がなくても法律上問題ありませんか?
いいえ、労働基準法第15条で労働条件を書面で明示することは使用者の義務と定められており、違反した場合は30万円以下の罰金の対象になります。トラブル時には書面が唯一の証拠となるため、必ず文書化が必要です。
Q2: 労働条件通知書と雇用契約書は別々に用意する必要がありますか?
別々に用意することも可能ですが、実務上は「労働条件通知書兼雇用契約書」として一体化させるのが最も効率的です。1枚の書類で法律上の明示義務を果たしながら、双方の合意の証拠も確保できます。
Q3: 数年前に作成したテンプレートをそのまま使い続けても問題ありませんか?
いいえ、特に賃金については都道府県の最低賃金が毎年改定されるため、古い契約書をそのまま使い続けると気づかないうちに違反状態になる可能性があります。自社の実態と照らし合わせて記載漏れや内容のズレを定期的に確認することが重要です。
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