「毎年健康診断の案内を出しているのに、なかなか受診率が上がらない」「未受診者へどう対応すればよいのかわからない」——そんな悩みを抱える経営者や人事担当者は少なくありません。
健康診断は、労働安全衛生法によって事業者に課せられた法的義務です。にもかかわらず、中小企業では受診率が低いままになっているケースが多く見られます。受診率の低迷は、従業員の健康リスクの見落としにつながるだけでなく、法令違反として行政指導の対象となる可能性もあります。
本記事では、中小企業の経営者・人事担当者に向けて、健康診断の受診率を上げるための具体的な工夫と、押さえておきたい法律の知識を体系的に解説します。
健康診断の実施は事業者の法的義務——まず基本を確認する
受診率向上の対策を考える前に、まず法律の基本を整理しておきましょう。
労働安全衛生法第66条は、事業者が常時使用する労働者に対して、年1回(特定業務従事者は年2回)の定期健康診断を実施する義務を定めています。「常時使用する労働者」の範囲は正社員だけではありません。パートタイム労働者であっても、週の労働時間が正社員の4分の3以上(おおむね週30時間以上)であれば実施義務の対象となります。週20時間以上30時間未満の場合は努力義務(実施が望ましいとされる)とされており、把握漏れが法令違反につながるため注意が必要です。
また、派遣労働者については、一般健康診断の実施義務は派遣元事業主が負います。
さらに重要なのは、受診させるだけでは義務を果たしたことにならない点です。法律は以下の一連の対応をすべて事業者に求めています。
- 健康診断の実施
- 受診した労働者本人への結果の通知
- 健康診断個人票の5年間保存
- 異常所見がある場合の医師・歯科医師への意見聴取
- 意見に基づく就業上の措置(就業制限・配置転換等)の検討
- 常時50人以上の事業場では、定期健康診断結果報告書を労働基準監督署へ提出
受診率100%を目指すことはもちろん重要ですが、受診後のフォローまでをセットで管理する体制を整えることが、本来の目的達成につながります。産業医サービスを活用すると、異常所見への対応や就業上の措置についてもスムーズに進めることができます。
受診率が上がらない本当の理由——企業が陥りやすい3つの落とし穴
対策を打つ前に、なぜ受診率が低いのかを正確に把握することが大切です。中小企業でよく見られる原因は、大きく3つに分類できます。
①「仕組み」の問題——手続きが煩雑で受けにくい
健診機関が1か所しかなく、平日の日中しか受診できない。予約方法がわからない。業務の都合で受診日を確保できない。こうした環境的な障壁は、従業員の「受けたい」という気持ちがあっても行動を妨げます。少人数の職場では特に、一人が業務を離れると現場に支障が出るため、受診が後回しになりやすい傾向があります。
②「意識」の問題——従業員が受診の必要性を感じていない
「自分は健康だから受けなくても大丈夫」「検査で悪い結果が出るのが怖い」という心理的障壁は、多くの職場で見られます。健康診断を「義務でやらされるもの」と感じている従業員に対して、ただ案内を送るだけでは動機づけになりません。
③「管理」の問題——未受診者の把握と追跡が属人化している
受診状況を紙や個人のExcelで管理していると、誰が受診済みで誰が未受診かの把握が遅れます。担当者が変わった途端に管理が機能しなくなるケースもよく見られます。管理の仕組みが整っていないと、催促のタイミングも遅れ、期限直前になってから慌てることになります。
受診率を上げる環境づくり——日程・場所・費用の整備
最も効果的な受診率向上策のひとつは、受診しやすい環境そのものを整えることです。
出張健診・巡回健診の活用
医療機関への移動時間と手間をなくす「職場に来てもらう健診」は、受診率向上に直結します。健診機関によっては一定人数以上から出張対応が可能なため、複数の事業所や取引先と合同で実施するという方法も有効です。少人数の職場では、近隣の事業者と連携して合同開催を検討してみるのもよいでしょう。
複数の健診機関・日程を用意する
1か所・1日程だけでは、その日に都合がつかない従業員が漏れてしまいます。健診機関を複数契約し、日程・場所・時間帯を選べるようにするだけで受診率が大きく改善するケースがあります。シフト制や夜勤のある職場では、土日・早朝・夕方に対応している健診機関を選定することが重要です。
予約の手間を会社が引き受ける
「自分で予約してください」と案内を出して終わりにするのではなく、人事担当者が代わりに予約を取って従業員に割り当てる方式に変えると、手続きの手間が障壁になっていた従業員の受診率が上がります。「あとはその日時に行くだけ」という状態を作ることがポイントです。
費用負担の明確化
健康診断の費用は、行政通達により事業者負担が原則とされています。従業員に自己負担を求めると受診を敬遠する原因になりかねません。また、人間ドックを選択した場合の超過費用については会社が一部補助するなど、制度を明確に整備して周知することも大切です。受診時間中の賃金については、義務的健診は有給扱いとすることが望ましいとされており、就業規則への明記が推奨されます。
未受診者への対応——「放置」も「強制」も誤り
健康診断の受診を拒否する従業員への対応に悩む担当者は多いですが、「受診は個人の自由だから強制できない」という認識は誤りです。
労働安全衛生法第66条第5項は、労働者にも受診義務を課しています。事業者は業務命令として受診を指示することができ、合理的な理由なく拒否する場合は懲戒処分の対象となり得ることが判例でも認められています。
ただし、いきなり強硬な対応をとる前に、段階的なアプローチが現実的です。
- 第1段階:リマインドの多段階化——受診期限の1か月前・2週間前・1週間前と複数回にわたって案内を送る。メール・チャット・紙の通知など、受け取りやすい手段を使い分ける
- 第2段階:上長を経由した声かけ——人事部門からの連絡だけでなく、直属の上司から直接声をかけてもらうことが効果的。部署ごとの受診率を見える化して管理職に責任感を持たせる仕組みも有効
- 第3段階:個別面談・理由の確認——受けない理由を丁寧に聞き、日程調整や費用の問題であれば解決策を提示する
- 第4段階:書面による受診勧奨と記録の保管——口頭だけでなく書面で勧奨し、その記録を残しておくことが、事業者が義務を果たした証拠として重要
なお、就業規則に健康診断受診を義務として明記しておくことで、対応の根拠が明確になります。まだ規定がない場合は、この機会に見直しを検討してください。
受診後のフォローが「健康診断の真の目的」を果たす
受診率を上げることは重要ですが、受診後のフォローこそが健康診断の本来の目的を達成するために欠かせないプロセスです。受けたことで満足してしまい、結果の活用ができていないケースは非常に多く見られます。
法律上、異常所見(要再検査・要精密検査など)があった場合には、事業者は医師または歯科医師の意見を聴くことが義務づけられています。その意見に基づいて就業上の配慮や措置を行うことが求められます。
実務的には以下のような対応が考えられます。
- 異常所見があった従業員への個別通知と、必要に応じた受診勧奨(二次検査など)
- 保健師・産業医による結果説明や個別面談の実施
- 生活習慣の改善指導や再検査の受診率追跡
- 就業制限・配置転換等の措置が必要な場合の対応検討
こうしたフォロー体制があることを従業員に事前に伝えることは、「受診してもその後何もない」という不信感を解消し、次回以降の受診意欲を高める効果もあります。メンタルカウンセリング(EAP)と組み合わせることで、健診結果をきっかけにした心身両面のサポート体制を整えることも可能です。
実践ポイントまとめ——今日からできる5つのアクション
- 対象者リストを整備する:パートタイム労働者の勤務時間を確認し、健康診断の実施義務がある対象者を正確に把握する。把握漏れは法令違反につながる
- 受診の選択肢を増やす:健診機関・日程・場所の選択肢を複数用意し、予約は会社側が代行する仕組みを導入する
- 受診状況の見える化と多段階リマインドを実施する:期限の1か月前から段階的に通知し、部署ごとの受診率を管理職が確認できる形で公開する
- 未受診者への対応記録を残す:受診勧奨は口頭だけでなく書面でも行い、事業者としての義務履行の証跡を保管する
- 受診後のフォロー体制を整え、従業員に周知する:異常所見への対応フローを整備し、産業医・保健師との連携体制を可視化することで受診への安心感を高める
まとめ
健康診断の受診率向上は、単なる数字の問題ではありません。従業員の健康リスクを早期に発見し、適切な措置につなげるという本来の目的を果たすための出発点です。そして、その義務を果たすことは、企業を法的リスクから守ることにもつながります。
受診率が上がらない原因は「仕組み」「意識」「管理」の3つに分解でき、それぞれに対応した具体的な手を打つことが有効です。一度にすべてを整えようとするのではなく、まず対象者リストの整備と受診の選択肢の拡充から着手することをお勧めします。
受診率の向上と受診後のフォロー体制の整備を両輪として進めることで、健康診断が「やらされる義務」から「従業員と会社の双方にとって意味のある取り組み」へと変わっていきます。
よくある質問
パートタイム従業員は健康診断の対象になりますか?
週の所定労働時間が正社員の4分の3以上(目安として週30時間以上)のパートタイム労働者は、定期健康診断の実施義務の対象となります。週20時間以上30時間未満の場合は努力義務とされています。雇用形態だけで判断せず、実際の勤務時間数を確認することが重要です。
従業員が健康診断を拒否した場合、どう対応すればよいですか?
労働安全衛生法上、労働者にも受診義務があります。まずは受診しやすい環境(日程・場所・費用)を整えた上で、書面による受診勧奨を行い、その記録を保管してください。合理的な理由なく拒否が続く場合は、業務命令として受診を指示することも可能です。就業規則に受診義務を明記しておくと、対応の根拠が明確になります。
健康診断の費用は会社が全額負担しなければなりませんか?
一般的な定期健康診断の費用は、行政通達により事業者負担が原則とされています。人間ドック等で費用が上乗せになる場合の超過分については、会社の補助制度として設計することが一般的です。費用を従業員に負担させると、受診を敬遠する原因にもなり得るため注意が必要です。
健康診断の結果を会社はどこまで把握・管理してよいですか?
健康診断の結果は要配慮個人情報(機微な個人情報)にあたり、厳重な管理が必要です。事業者は健康診断個人票を5年間保存する義務を負いますが、情報へのアクセスは業務上必要な範囲に限定し、適切なアクセス管理を行うことが求められます。異常所見への対応については、産業医の意見を踏まえた上で就業上の措置を検討することが法律上求められています。








