「健康経営銘柄」という言葉を耳にしたことはあるでしょうか。経済産業省と東京証券取引所が共同で選定するこの制度は、従業員の健康管理を経営的な視点で実践する企業を広く社会に発信することを目的としています。しかし、「どうせ大企業や上場企業の話だろう」と思い込み、詳しく調べることなく関心を持てないでいる中小企業の経営者・人事担当者も少なくありません。
実はこの認識は少し誤っています。健康経営銘柄の選定対象は確かに東証上場企業ですが、その周辺には中小企業が直接挑戦できる「健康経営優良法人(ブライト500)」という制度が整備されており、認定取得によって採用競争力の強化や従業員の定着率向上といった具体的なメリットを得られる仕組みがあります。
本記事では、健康経営銘柄の選定基準を入口として、中小企業が実際に目指すべき認定制度の全体像と、自社の現状を評価するための実践的な視点を解説します。従業員50〜300人規模の企業が最初の一歩を踏み出すための情報として、ぜひ参考にしてください。
健康経営銘柄と健康経営優良法人の違いを正確に理解する
まず、制度の全体像を整理します。「健康経営銘柄」と「健康経営優良法人」は混同されがちですが、対象となる企業の規模と目的が異なります。
健康経営銘柄とは
健康経営銘柄は、2015年から経済産業省と東京証券取引所が共同で実施している制度です。東証上場企業の中から、従業員の健康管理に優れた取り組みを行っている企業を業種ごとに原則1〜2社選定します。全33業種が対象となり、選定企業は投資家へのアピールや採用ブランディングにおいて大きな優位性を持ちます。
この制度は上場企業が対象であるため、中小企業が直接選ばれることはありません。ただし、選定基準の根拠となる「健康経営度調査」の評価軸は、中小企業の健康経営推進においても非常に参考になるものです。
中小企業が目指すのは「健康経営優良法人(ブライト500)」
健康経営優良法人制度には、大規模法人部門と中小規模法人部門の2つがあります。中小企業が対象となるのは「中小規模法人部門」であり、その上位500社が「ブライト500」として認定されます。これが中小企業にとっての実質的な健康経営認定の最高ランクです。
ブライト500の認定を受けた企業は、経産省の公式サイトや各種メディアで公表されるほか、ロゴマークを名刺・会社案内・求人票に使用できるため、対外的な信頼性の向上に直結します。採用市場において「従業員を大切にしている会社」という印象を与える効果は、特に人材確保が難しい中小企業にとって無視できない価値を持ちます。
健康経営度調査の評価構造:何が問われているのか
健康経営銘柄・優良法人ともに、経産省が毎年実施する「健康経営度調査」への回答が必須です。この調査は自己申告型のアンケートですが、「実施しているかどうか」だけでなく「PDCAが回っているか」まで問われる点が特徴です。
調査票は以下の4つの領域で構成されています。
- 経営理念・方針:健康経営の方針が文書化・公表されているか、経営トップのコミットメントが明確かどうか
- 組織体制:健康経営を推進する担当者・役員が設置されているか、産業医や保健師と連携できているか
- 制度・施策実行:健康診断・ストレスチェックの実施状況、生活習慣改善施策、メンタルヘルス対策、労働時間管理など
- 評価・改善:施策の効果測定が行われているか、データに基づいて改善サイクルが機能しているか
特に重要なのは、スコアリングが加点式で行われる点です。つまり、すべての項目を満たす必要はなく、得点の高い項目から優先的に取り組むことが認定への近道になります。前年度のスコアとの比較も評価に影響するため、一度申請して終わりではなく、継続的な改善が求められます。
自社の現状を測る:最初に把握すべき4つの指標
健康経営に取り組もうとしたとき、多くの中小企業が直面するのが「何から始めればよいか分からない」という問題です。その出発点として、まずは以下の4指標を確認することをお勧めします。これらは健康経営度調査でも必ず問われる基本データです。
① 定期健康診断の受診率
労働安全衛生法第66条により、事業者は従業員に定期健康診断を受診させる義務があります。健康経営の評価では受診率100%が目標水準とされています。「受診させているはずだが実際の数字は把握していない」という企業は、まずこの数値の確認から始めてください。
② ストレスチェックの実施率
ストレスチェックとは、従業員のストレス状態を定期的に確認するための検査制度です。労働安全衛生法第66条の10により、常時50人以上の従業員を使用する事業者には毎年1回の実施が義務づけられています。50人未満の事業所は努力義務ですが、健康経営の観点からは積極的な実施が評価につながります。また、個人の結果だけでなく集団分析を実施しているかどうかも評価対象となります。
③ 時間外労働の月平均時間
残業時間の適正化は健康経営の重要な評価軸の一つです。月平均45時間以内を目標水準として把握してください。なお、時間外労働が月80時間を超えている従業員がいる場合は、労働安全衛生法に基づき、申し出の有無にかかわらず医師による面接指導の実施が事業者に義務づけられています(労働安全衛生法第66条の8)。
④ 有給休暇の取得率
2019年の労働基準法改正により、年10日以上の年次有給休暇が付与される従業員に対して、年5日の有給休暇取得が事業者に義務づけられました。取得状況の把握は法的義務への対応確認であると同時に、従業員の働きやすさを測る重要な指標でもあります。
これら4指標のうち現状で把握できていないものがある場合、それが自社の健康経営における最初の課題です。数値の「見える化」こそが、すべての施策の出発点になります。
経営トップのコミットメントと社内体制の整備
健康経営度調査の「経営理念・方針」領域で最初に問われるのが、経営トップのコミットメントの可視化です。これは「健康経営に取り組んでいる」という口頭での宣言ではなく、文書化・公表が求められます。
具体的には、以下のような対応が有効です。
- 健康経営方針を社内規程として文書化する
- 社長メッセージとして自社のウェブサイトや社内報に掲載する
- 健康経営を推進する専任担当役員(Chief Health Officer:CHO)を設置する(設置により加点対象となる)
- 健康管理の推進担当者(人事・総務などの兼務可)を明確に指名する
また、組織体制の整備として重要なのが産業医・保健師との連携です。常時50人以上の従業員を使用する事業場では産業医の選任が義務ですが、50人未満の事業場では義務がないため未選任のケースも多く見られます。ただし、健康経営の推進においては規模を問わず医療専門職との連携が高く評価されます。産業医の確保が難しいと感じている場合は、産業医サービスの活用が有効な選択肢の一つです。
さらに、メンタルヘルス対策の充実も評価に大きく影響します。従業員が気軽に相談できる窓口として外部のカウンセリングサービスを導入している企業は、メンタルカウンセリング(EAP)の活用によって制度・施策実行の領域のスコアを効率的に高めることができます。
3年間のロードマップ:段階的な取り組みの設計
健康経営に初めて取り組む企業が、いきなりすべての施策を実施しようとするのは現実的ではありません。リソースが限られた中小企業こそ、段階的なロードマップを設計することが重要です。
Year1:基盤の整備
最初の1年間は、健康経営の「土台」を作ることに集中します。
- 健康経営方針の策定・文書化・公表
- 推進担当者の指名(兼務可)
- 定期健康診断の受診率100%達成
- ストレスチェックの実施(集団分析まで)
- 4つの基本指標(健診受診率・ストレスチェック実施率・残業時間・有給取得率)の把握
- 健康経営度調査への回答(まず参加することが第一歩)
Year2:施策の拡充と効果測定
2年目は施策の幅を広げながら、データに基づいた改善サイクルを回し始めます。
- 生活習慣改善施策の実施(禁煙支援・運動奨励・食生活改善など)
- 残業時間削減に向けた労務管理の見直し
- 従業員エンゲージメント調査やプレゼンティーイズム(出勤しているものの体調不良や精神的な不調により業務パフォーマンスが低下している状態)の測定
- 協会けんぽの「健康経営サポート」サービスとの連携(無料で活用可能)
- くるみん認定・えるぼし認定など関連認定の取得検討(取得すると健康経営度調査で加点対象となる)
Year3:認定申請と高度化
3年目には、積み上げたデータと実績をもとに健康経営優良法人の認定を申請します。
- 健康経営優良法人(中小規模法人部門)への申請
- ブライト500を目指すための高度な施策の実施
- 健康経営の効果を投資対効果(ROI)として経営陣に報告
- 認定ロゴを採用・営業ツールに活用
このロードマップはあくまで一例ですが、「3年計画で段階的に進める」という視点を持つだけで、取り組みの優先順位が明確になります。
実践ポイント:今日から始められる5つのアクション
健康経営への取り組みを実際に動かすために、今すぐ着手できる具体的なアクションをまとめます。
- 経産省の「健康経営ハンドブック」を入手する:無料でダウンロードでき、中小企業向けの解説が充実しています。制度の全体像を把握するための最初の資料として最適です。
- 協会けんぽの健康経営サポートを活用する:全国健康保険協会(協会けんぽ)では、中小企業向けに健康経営の導入支援を無料で提供しています。データ提供や施策の提案を受けることができます。
- 健康経営度調査に参加する:まず回答してみることが重要です。調査票の内容を確認するだけで、自社の現状の課題が浮き彫りになります。初年度は認定を狙わなくても、自社診断のツールとして活用できます。
- 地域の商工会・自治体の支援制度を調べる:都道府県独自の健康経営優良法人認定制度や補助金が設けられている地域もあります。地域ごとの支援を積極的に活用してください。
- 産業医・メンタルヘルス専門家との連携を検討する:社内に専門人材がいない場合でも、外部の専門サービスを活用することで健康経営の体制を整えることができます。
まとめ
健康経営銘柄は上場企業を対象とした制度ですが、その評価軸は中小企業の健康経営推進においても普遍的な指針となります。中小企業が直接目指すべき制度は「健康経営優良法人(ブライト500)」であり、健康経営度調査の4つの評価領域(経営理念・方針、組織体制、制度・施策実行、評価・改善)を段階的に整備していくことで認定への道が開かれます。
まず今日できることは、定期健康診断の受診率・ストレスチェックの実施状況・残業時間・有給取得率という4つの基本指標を確認し、自社の現状を「見える化」することです。そこから始まる3年間の段階的な取り組みが、従業員の健康増進と企業競争力の向上を同時に実現する健康経営の実践につながります。
「健康への投資はコストではなく経営戦略である」という視点を持ち、まずは一歩を踏み出してください。
よくある質問
健康経営銘柄と健康経営優良法人は何が違うのですか?
健康経営銘柄は経済産業省と東京証券取引所が共同で選定する制度で、東証上場企業の中から業種ごとに原則1〜2社が選ばれます。一方、健康経営優良法人は上場・非上場を問わず広く企業が申請できる認定制度で、中小企業向けの「中小規模法人部門」があります。中小企業が目指すべきは健康経営優良法人(特にブライト500)であり、健康経営銘柄の直接の対象にはなりません。
従業員50人未満の小規模事業所でも健康経営優良法人に認定されることは可能ですか?
可能です。健康経営優良法人の中小規模法人部門には従業員数の下限要件はなく、業種・規模を問わず中小企業であれば申請できます。ただし、常時50人以上の従業員を使用する事業場ではストレスチェックの実施が法的義務ですが、50人未満の場合は努力義務となります。健康経営度調査への回答と必要な取り組みを実施することが認定の条件です。
健康経営に取り組むことで、実際に経営にどのような効果がありますか?
主な効果として、採用競争力の向上(健康経営優良法人のロゴを求人票に使用可能)、従業員の定着率改善、プレゼンティーイズム(出勤しているが体調不良でパフォーマンスが落ちている状態)の軽減による生産性向上などが報告されています。ただし、効果の出方や大きさは企業によって異なるため、自社でデータを継続的に収集・分析し、投資対効果を測定していくことが重要です。







