「うちの会社にカウンセリング相談の場を設けたいが、従業員が本当に利用してくれるだろうか」。そんな不安を抱える経営者・人事担当者は少なくありません。実際、厚生労働省の調査では、メンタルヘルス相談窓口を設置しても利用率が低い企業の多くで、従業員が「相談内容が上司や会社に伝わるかもしれない」という不安を抱えていることが明らかになっています。
この問題を解決する鍵が、カウンセリング相談の秘密保持契約書です。しかし「契約書なんて作ったことがない」「ひな形はあっても何が重要なのかわからない」という声も多く聞かれます。本記事では、中小企業の経営者・人事担当者に向けて、カウンセリング相談における秘密保持契約書の必要性から、盛り込むべき必須条項、よくある失敗例とその対策まで、実務に即した形で解説します。
なぜ秘密保持契約書が必要なのか――カウンセラーの守秘義務だけでは不十分な理由
「外部のカウンセラーには職業上の守秘義務があるから、わざわざ契約書を作る必要はないのでは?」と考える経営者は多いでしょう。しかしこれは大きな誤解です。
公認心理師は公認心理師法第41条によって法律上の守秘義務を負っており、違反した場合は1年以下の懲役または30万円以下の罰金という罰則も定められています。臨床心理士にも倫理綱領上の守秘義務があります。しかしこれらはあくまで専門家個人の職業倫理・法的義務であり、会社と外部カウンセラーの間の業務上の取り決めを代替するものではありません。
具体的に言えば、次のような事項は守秘義務の範囲外であり、契約書で別途明確化しなければトラブルの温床になります。
- どの範囲の情報を会社に報告するか(個人データか、集計データのみか)
- 相談記録をどのように保管・管理し、いつ廃棄するか
- 契約終了後に記録をどう処理するか
- 緊急時(自傷他害のリスクがある場合)に誰にどう連絡するか
- 人事評価や配置転換に相談情報を使用することを禁じるか
これらを曖昧なままにしておくと、「善意の上司への報告」が従業員の退職や訴訟に発展したり、担当者異動後も相談記録が誰でも閲覧できる状態で放置されたりといった深刻な事態につながります。秘密保持契約書は、こうした実務上のリスクを管理するための重要なインフラなのです。
押さえておくべき法律の基礎知識
秘密保持契約書を適切に作成するには、関連する法律の基本を理解しておく必要があります。難しく感じるかもしれませんが、経営者・人事担当者として最低限把握すべきポイントに絞って解説します。
個人情報保護法――メンタル情報は「要配慮個人情報」
従業員の健康状態やメンタルに関する情報は、個人情報保護法上の「要配慮個人情報」(センシティブ情報)に該当します。これは通常の個人情報よりも厳格な取り扱いが求められるカテゴリで、取得には原則として本人の明示的な同意が必要です。
また、取得した情報を上司や人事担当者など第三者に提供することは原則として禁止されており、例外的に認められる場合も厳格な条件があります。さらに、外部カウンセラーなど委託先への監督義務も会社側に発生します。つまり「外部に任せたから関係ない」では済まず、適切な委託先の選定と管理が求められます。
労働安全衛生法――人事利用禁止の明文規定
50人以上の事業場で義務付けられているストレスチェック制度では、その結果情報の取り扱いについて厳格なルールがあります。特に重要なのが、面接指導の結果を本人の不利益な取り扱いに使用することを禁じる規定(第66条の10第3項)です。
カウンセリング相談の情報についても同様の考え方が適用されるべきであり、「相談したことで評価が下がるのでは」という従業員の不安を払拭するために、契約書や社内規程に人事利用禁止を明文化することが重要です。
守秘義務の例外――知っておくべき「開示が認められる場合」
秘密保持契約を締結しても、すべての情報が永久に守られるわけではありません。次のような場合には開示義務が発生することがあります。
- 本人または他者の生命・身体に重大な危害が及ぶ恐れがある場合
- 裁判所からの命令や法令上の義務がある場合
- 本人が開示に同意した場合
「秘密保持契約があれば何でも守られる」と思い込んでいると、緊急時の対応が遅れたり、法令違反に問われたりするリスクがあります。これらの例外についても契約書に明記し、事前に対応フローを整備しておくことが不可欠です。
カウンセリング秘密保持契約書に盛り込むべき必須条項
では実際に、どのような条項を契約書に盛り込めばよいのでしょうか。外部EAP(従業員支援プログラム)業者や産業カウンセラーと契約する際に必須となる条項を解説します。なお、外部カウンセラーとの契約は民法上の準委任契約(業務の遂行を委託する契約)が一般的です。
①秘密情報の定義――「何が秘密か」を具体的に列挙する
「相談内容全般」といった曖昧な定義では、いざというときに判断が揺れます。相談者の氏名・所属部署、相談の内容・日時・記録、カウンセラーが作成したメモや報告書、診断名や症状に関する情報など、秘密として保護される情報の範囲を具体的に列挙することが重要です。
②開示範囲の明確化――「誰に・どこまで・どんな条件で」を規定する
会社側(人事・経営者)への報告は個人が特定できない集計データのみとする、といった形で開示範囲を限定することが基本です。また、担当カウンセラー以外のスタッフが情報にアクセスする場合の条件も明示しておく必要があります。
③例外規定――緊急時の対応フローを文書化する
自傷他害の恐れがある場合など、守秘義務の例外に当たるケースの連絡フローを契約書または別紙で明確化します。「誰が・いつ・何を・誰に報告するか」をフローチャート形式で可視化しておくと、現場での迷いがなくなります。この緊急時対応フローの整備は、カウンセリングを安全に機能させるための最重要事項の一つといえます。
④記録の管理方法――保管・アクセス権限を限定する
電子データと紙媒体それぞれについて、保管場所・アクセス権限者・暗号化やパスワード設定の有無などを具体的に規定します。「担当者が異動したら誰でも見られる状態になっていた」という失敗を防ぐために、アクセス権限者を最小限に限定することが原則です。
⑤情報の利用目的制限――人事評価・配置転換への使用を明文で禁じる
相談情報を人事評価・異動・解雇の判断に使用することを明文で禁じます。この条項があることで従業員の相談へのハードルが下がり、制度の実効性が高まります。また、会社側が「知りたい情報」と「従業員が秘密にしてほしい情報」の利益相反を解消する重要な役割も果たします。
⑥契約終了後の義務――記録の返還・廃棄と証明書の提出
契約終了後○日以内に相談記録を返還または廃棄し、廃棄した旨の証明書を提出することを明記します。「契約終了後にカウンセラーが記録をそのまま保持していた」というケースは実際に発生しており、この条項がないと情報流出リスクが残り続けます。
⑦違反時の損害賠償――法的根拠を明確にする
秘密保持義務に違反した場合の損害賠償責任や違約金について規定します。これは抑止力として機能するとともに、万一の際の法的対応の根拠になります。
社内相談窓口を設ける場合の特別な注意点
外部カウンセラーへの委託ではなく、人事担当者や相談員が社内で相談窓口を担う場合には、追加で注意すべき点があります。
最大のリスクは、相談窓口担当者が人事業務と兼任している場合です。担当者が相談内容を(意図せずとも)人事判断に活用したり、上司に「情報提供」したりするケースは実際に起きています。これを防ぐためには、「相談窓口で得た情報は人事業務に使用しない」という情報ファイアウォールの設定を社内規程と誓約書で明確にする必要があります。
担当者自身に守秘義務誓約書を提出させることも有効です。誓約書には、秘密情報の定義、開示が禁止される相手(直属上司を含む)、違反時の責任などを明記します。外部カウンセラーとの契約書と同等の内容を、社内の担当者にも適用するという考え方です。
また、従業員が相談窓口を利用する前に、インフォームドコンセント(十分な説明に基づく同意)を得ることも重要です。「どの範囲の情報が守られるのか」「例外的に開示される場合はどんなときか」「記録はどのように管理されるか」を書面で説明し、同意を得たうえで相談を受ける仕組みを整えましょう。これにより従業員の安心感が高まり、相談窓口の利用率向上にもつながります。
実践ポイント:今日から着手できる秘密保持体制の整備ステップ
「何から手をつければいいかわからない」という担当者のために、優先順位をつけた実践ステップを紹介します。
ステップ1:現状の契約書・規程を棚卸しする
まず、外部カウンセラーやEAP業者との現行契約書を確認し、上記の必須条項が含まれているかチェックします。「秘密保持に関する条項があるかどうか」だけでなく、「報告範囲」「記録管理」「契約終了後の処理」が具体的に規定されているかを確認してください。
ステップ2:緊急時連絡フローを文書化する
自傷他害のリスクが生じた場合の連絡フローがなければ、今すぐ作成します。「誰が・いつ・誰に・何を報告するか」を一枚のフローチャートにまとめ、関係者全員が把握できる状態にします。
ステップ3:社内担当者に守秘義務誓約書を提出させる
相談窓口担当者、人事担当者、産業医など、相談情報にアクセスする可能性がある社内の関係者全員から守秘義務誓約書を徴収します。
ステップ4:従業員向けの説明文書を整備する
カウンセリング相談の利用案内に、秘密保持の範囲・例外・記録の扱いを明記した説明文書を添付します。「何が守られ、何が会社に伝わるか」を明示することで、従業員の相談への不安が大きく軽減されます。
ステップ5:記録管理ルールを文書化する
相談記録の保管場所・アクセス権限・保管期間・廃棄手順・廃棄記録の作成方法を社内規程として文書化します。担当者が異動しても適切な管理が引き継がれる仕組みを作ることが目的です。
なお、外部の専門的なサポートとしてメンタルカウンセリング(EAP)を活用することで、情報管理体制が整備された安全な相談環境を従業員に提供することができます。EAP業者と契約する際には、本記事で解説した必須条項が契約書に含まれているかを必ず確認してください。
まとめ
カウンセリング相談の秘密保持契約書は、従業員のプライバシー保護と企業のリスク管理を両立させるための重要なインフラです。「カウンセラーに守秘義務があるから不要」「秘密保持契約があれば何でも守られる」という誤解は、深刻なトラブルにつながりかねません。
重要なのは以下の点です。
- 専門家の職業倫理と業務上の契約は別物であり、実務的な取り決めは契約書で明確化する
- 秘密情報の定義・開示範囲・例外規定・記録管理・契約終了後の処理を具体的に規定する
- 相談情報の人事評価・配置転換への使用を明文で禁じ、従業員の不安を解消する
- 緊急時連絡フローを事前に文書化し、関係者全員が把握できる状態にする
- 社内担当者にも守秘義務誓約書を提出させ、情報ファイアウォールを設定する
中小企業においては、カウンセラーの専任雇用が難しく外部委託が主流になりますが、だからこそ契約書による管理の仕組みを整えることが欠かせません。適切な秘密保持体制を構築することで、従業員が安心して相談できる環境が生まれ、メンタルヘルス施策の実効性が大幅に向上します。
産業保健体制の整備についてお悩みの場合は、産業医サービスの活用もご検討ください。産業医と連携することで、法的根拠に基づいた情報管理体制の整備をより確実に進めることができます。
よくある質問
カウンセラーに守秘義務があれば、秘密保持契約書は必要ないのでは?
カウンセラーの守秘義務は職業倫理・法律上の義務ですが、会社との業務上の取り決めを代替するものではありません。報告範囲・記録管理・緊急時対応・契約終了後の処理など、実務的な事項は契約書で別途明確化する必要があります。守秘義務と契約書は補完関係にあり、どちらか一方があれば足りるというものではありません。
相談窓口担当者が人事担当者を兼務している場合、どのような対策が必要ですか?
相談窓口で得た情報を人事業務に使用しないという「情報ファイアウォール」の設定が必要です。社内規程への明文化に加え、担当者個人から守秘義務誓約書を提出させることが有効です。誓約書には秘密情報の定義・開示が禁止される相手(直属上司を含む)・違反時の責任を明記してください。
「統計データのみを会社に報告する」としていれば個人情報は守られますか?
集計・統計化しても、規模の小さい部署では個人が特定できてしまうリスクがあります。たとえば「〇〇部で1名が相談」という報告だけで個人が推測されるケースがあります。報告データが個人の特定につながらないかを事前に検討し、最低集計単位を設けるなどの工夫が必要です。
外部EAP業者と契約する際、秘密保持以外に確認すべき点はありますか?
秘密保持の範囲に加えて、①緊急時連絡フロー、②記録の保管期間と廃棄手順、③契約終了後の記録処理方法(廃棄証明書の提出など)、④再委託先への秘密保持義務の適用、⑤会社への定期報告の形式と内容についても確認・合意しておくことをお勧めします。
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