「産業医を変えたいが、どう進めればいいのかわからない」「長年の付き合いがあって断りづらい」——そうした悩みを抱えたまま、機能しない産業医との関係を続けている中小企業は少なくありません。
しかし、産業医が実質的に機能していない状態は、会社にとっても従業員にとっても大きなリスクです。長時間労働者への面接指導が行われなかった、ストレスチェックへの関与が形だけだった、メンタル不調の社員への対応が遅れた——こうした事例が積み重なれば、労務トラブルや行政指導につながりかねません。
本記事では、産業医の解任・契約解除を検討すべきタイミング、2019年改正で追加された法的義務、そして空白期間を作らないための実務手順を体系的に解説します。「変えたいけど変え方がわからない」という経営者・人事担当者の方に、具体的な道筋を示します。
産業医との契約は「いつでも解除できる」——法的な基本を押さえよう
まず、「産業医はお医者さんだから簡単に変えられないのでは」という誤解を解消しておきましょう。
企業と産業医の関係は、法的には「準委任契約」(民法656条)に該当します。準委任契約とは、法律行為以外の事務処理を依頼する契約のことで、医療行為や専門的なアドバイスの提供がこれにあたります。
民法651条は、委任・準委任契約について「各当事者がいつでも解除できる」と定めています。つまり、企業側からの契約解除は法律上いつでも可能です。ただし、「相手方に不利な時期」に解除した場合は損害賠償が発生する可能性があります。また、契約書に「1ヶ月前の予告が必要」などの解約条件が設けられている場合は、それに従う必要があります。
一方で、「黙って変えればいい」というわけでもありません。労働安全衛生法および同規則に基づく行政手続き・社内対応が必要です。この点を正しく理解しないと、法令違反になるおそれがあります。次項から詳しく解説します。
2019年改正で追加された「意見聴取」と「労働者への周知」義務
産業医制度は2019年4月に大きく改正されました。この改正で、産業医の解任・交代に関して2つの重要な義務が新たに加わっています。見落としている企業が多いため、必ず確認してください。
① 解任前の意見聴取義務(労働安全衛生規則第13条の3)
事業者は産業医を解任する前に、当該産業医から意見を聴かなければなりません。これは、企業が一方的に産業医を解任することで、産業医が職務上の意見を述べにくくなる状況を防ぐために設けられた規定です。
意見聴取は口頭でも成立しますが、書面やメールで記録を残しておくことを強く推奨します。「解任を検討しているため、現状の業務について御意見をお聞かせください」という形で、丁寧かつ明確に伝えましょう。
② 解任・辞任時の労働者への周知義務(労働安全衛生規則第13条の4)
産業医が辞任または解任された場合、事業者はその旨と理由を労働者に周知しなければなりません。周知の方法としては、社内掲示板への掲示、書面の配布、社内イントラネットへの掲載などが認められています。
「産業医が変わったことを社員に隠しておく」という対応は法令違反になります。変更の事実と理由を、適切な方法で従業員に伝えてください。
③ 行政への届出義務(労働安全衛生法第100条・101条)
常時50人以上の労働者を使用する事業場では、産業医の選任・解任から14日以内に所轄の労働基準監督署長へ届出が必要です。様式は「労働安全衛生規則様式第3号(産業医選任報告書)」を使用します。解任届と新任届を近い時期に提出できるよう段取りすることが理想です。
産業医の変更を検討すべき「3つのタイミング」
「変えたいとは思っているが、正当な理由があるのか不安」という声をよく聞きます。以下の3つの観点から、変更を検討すべき状況を整理します。
① 法的要件を満たしていない場合
産業医は単に「医師を呼んでいる」だけでは不十分です。労働安全衛生規則第14条が定める職務を実際に遂行できていなければ、法令上の産業医として機能していないことになります。
- 産業医資格の更新(5年ごとの研修受講)がされていない
- 健康診断結果の確認・事後措置への意見提供が行われていない
- 月1回の職場巡視が実施されていない(一定条件での2ヶ月に1回への変更は可能ですが要件あり)
- 長時間労働者・高ストレス者への面接指導を拒否・放置している
これらは企業側の義務履行にも直結します。産業医が機能していないことで企業が労基署から指導を受けるリスクがあることを忘れないでください。
② 実務上の機能不全が明らかな場合
- ストレスチェック制度への関与が名義だけで実態がない
- 休職・復職判断の場面で連絡が取れない、または対応が遅い
- 緊急性の高いメンタルヘルス案件で動いてくれない
- 個人情報の取り扱いに問題がある
- 最新の法令や実務動向の知識が明らかに不足している
特にメンタルヘルス対応については、近年の職場環境変化(テレワークの普及、ハラスメント問題の複雑化など)に対応できる産業医かどうかが問われます。実質的なサポートが得られていないと感じたときは、変更を検討する正当な理由になります。メンタルカウンセリング(EAP)と連携しながら従業員支援を強化したいと考えている企業ほど、産業医との連携体制の見直しが重要になります。
③ 関係上・体制上の問題がある場合
- 従業員からの信頼が著しく損なわれており、相談に来ない
- 会社の規模・業種・抱えている課題に産業医の専門性が合っていない
- コミュニケーション上のトラブルが繰り返されている
- 「先生に言うと面倒になる」と現場が産業医を敬遠している
従業員が産業医を頼れない状況は、安全配慮義務(企業が労働者の安全・健康に配慮する義務)の観点からも放置できません。
産業医変更の正しい手順——8つのステップ
感情的に動くのではなく、順序を守って進めることが重要です。以下のステップを参考にしてください。
ステップ1:後任産業医の確保を先に進める
最優先事項は「空白期間を作らないこと」です。常時50人以上の事業場では産業医の選任は法的義務であり、空白期間は法令違反になります。地域の医師会、産業医紹介会社、産業医サービスなどを活用して、後任候補を先に確保してから解任手続きを進めましょう。
ステップ2:現産業医との契約書を確認する
契約書があれば、解約予告期間・契約終了条件を確認します。契約書がない(口頭契約)の場合でも、法的には準委任契約として解除可能ですが、急な解除は「相手方に不利な時期の解除」とみなされるリスクがあります。余裕を持ったスケジュールで進めましょう。
ステップ3:解任前に産業医の意見を聴取する(書面で記録)
2019年改正で義務化された手続きです。「現状の業務についてご意見を伺いたい」という形で丁寧に行い、やり取りをメールや書面で記録に残してください。
ステップ4:解任の意思を文書で通知する
口頭での通知は後々トラブルになるケースがあります。メールまたは書面で、契約終了の日付と理由を明記した文書を送付しましょう。感情的な表現は避け、事実に基づいた簡潔な表現を心がけてください。
ステップ5:引き継ぎ事項を整理・依頼する
健康診断結果の記録、過去の面接指導記録、意見書・就業措置に関する書類などの引き継ぎを依頼します。これらは企業が保管義務を負う書類でもあるため、漏れなく受け取ってください。
ステップ6:労働基準監督署へ解任届・新任届を提出する
解任・選任の事実が発生してから14日以内に、所轄の労働基準監督署長宛に届出を行います。解任届と新任届を同時または近い時期に提出できるよう段取りすることで、空白期間のリスクも最小化できます。
ステップ7:労働者へ解任の事実と理由を周知する
社内掲示・メール・イントラネット等を使い、誰が解任されたか・その理由・新しい産業医の氏名を従業員に周知します。「なぜ変わったのかわからない」という不安を残さないことが、職場の信頼維持につながります。
ステップ8:新産業医との契約締結・業務引き継ぎを完了する
新産業医に会社の状況(過去の健康診断結果、主な健康課題、ストレスチェック実施状況など)を丁寧に引き継ぎます。初回面談や職場巡視のスケジュールを早期に設定し、体制を整えましょう。
実践ポイント:よくある失敗と対策
産業医変更の場面でありがちなトラブルと、その対策を整理します。
- 「後任が決まる前に解任通知を出してしまった」——後任確保を最優先にし、決まってから通知するのが原則です。どうしても先に動く必要がある場合は、産業医紹介サービス等を並行して早急に進めてください。
- 「人脈紹介の産業医で断りづらい」——「会社の規模・課題に合った体制を整えるため」という理由は十分正当です。感情論ではなく、法的・実務的な観点から説明すれば、相手も理解しやすくなります。
- 「契約書がなく、どう進めればいいかわからない」——契約書がなくても準委任契約は成立しており、解除は可能です。ただし書面による通知と記録保管を徹底することで、後のトラブルを防げます。
- 「50人未満だから届出や意見聴取は関係ない」——常時50人未満の事業場は産業医の選任義務はありませんが、産業医に準ずる者(地域産業保健センター等)の活用は努力義務があります。また、任意で産業医を選任している場合は関連規定の趣旨を踏まえた対応が望ましいでしょう。
- 「行政への届出を忘れていた」——14日以内という期限があります。新任届と解任届を同時に提出できるよう、スケジュールに必ず組み込んでください。
まとめ
産業医の解任・変更は、法律上「いつでも可能」ですが、正しい手順を踏まないと法令違反になるリスクがあります。2019年改正で追加された「解任前の意見聴取」「労働者への周知」の2つの義務は特に見落としがちなポイントです。
最も重要なのは「後任を先に確保してから動く」という順番です。空白期間は法的リスクであるだけでなく、従業員の健康管理に穴が開くことを意味します。産業医紹介サービスやEAP機関を積極的に活用し、体制の継続性を確保しながら変更手続きを進めましょう。
産業医が本来の機能を果たしていれば、従業員の健康管理・メンタルヘルス対応・職場環境改善に大きな力を発揮します。「変えること」はゴールではなく、より実効性の高い産業保健体制を構築するためのスタートです。この機会に、自社の産業保健の在り方を見直してみてください。
産業医を変える際に、労働者への周知はどのような方法で行えばよいですか?
労働安全衛生規則第13条の4では、産業医が辞任または解任された場合に、事業者はその旨と理由を労働者に周知することが義務付けられています。具体的な方法としては、社内掲示板への掲示、全従業員への書面配布、社内イントラネットへの掲載などが認められています。「誰が解任されたか」「理由は何か」「新しい産業医は誰か」という3点を明確に伝えることで、従業員の不安を最小限に抑えることができます。
産業医との契約書がない場合、解約はどのように進めればよいですか?
契約書がない場合でも、産業医との関係は民法上の準委任契約として成立しており、法律上はいつでも解除が可能です。ただし、口頭のみの通知はトラブルの原因になりやすいため、メールや書面で「契約終了の日付・理由」を明記した文書を送付し、記録を残しておくことが重要です。また、急な解除は「相手方に不利な時期の解除」として損害賠償を求められる可能性があるため、余裕を持ったスケジュールで進めることをお勧めします。
産業医変更後にメンタルヘルス体制を強化するにはどうすればよいですか?
産業医の変更を機に、産業医サービスとメンタルカウンセリング(EAP)を組み合わせた体制を整えることが効果的です。産業医が職場環境の改善・就業措置の判断を担い、EAPが従業員個人のカウンセリング・相談窓口を担うという役割分担により、メンタルヘルス対応の網羅性が高まります。新しい産業医との初回面談時に、EAPとの連携方針についても話し合っておくとスムーズです。
産業医の選任・変更をご検討の企業様には、INTERMINDの産業医サービスをご活用ください。精神科専門医が在籍し、日常の健康管理から有事の専門介入まで一貫して対応します。









